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わたしが産まれた時のことです。
母が亡くなったのは。
元々体が病弱だった母は、わたしを身篭った時、ある選択を突き付けられました。
わたしを産んで、自らが死ぬか。
わたしを殺して、自らは生きるか。
母が選んだ道は、わたしの存在が証明しているでしょう。
そうしてわたしはこの世に生を受けました。
母の命を譲り受けて。
母の人生を奪って。
母を殺して。
わたしは——人殺しでした。
それは、紛うことなき事実。
何故ならば——わたしが、人生で初めて認識した言葉は、それだったのです。
父は、常々言っておりました。
この、人殺しと。
わたしが、物心つく前から。
わたしが、物心ついた後も。
ずっと。ずっと。
わたしの初語は、母でも父でもご飯でも鳴き声でもなく、「ひところし」だったと聞き及んでおります。
おそらく赤子のわたしは、舌足らずに、意味も分からず、頑張って発音したことでしょう。
父は、歪んだ笑みを浮かべながら、わたしを殴りました。
何故だか、それだけは原始の記憶として覚えているのです。
わたしの幼少期は、父からの虐待の日々でした。
殴られ、傷付けられ、罵声を浴びさせられ、否定され、餌を与えられず、教育は放棄され、ただひたすらに人殺しと言われ続ける——。
雨水を飲んで乾きを潤したこともありました。木の根をかじって飢えを凌いだこともありました。傷口が膿んで、ばい菌が入り込み、風邪を拗らせ死にかけたことも。今でも、体の至るところには古傷が散見されます。
別に父のことは恨んではいません。
むしろ当然の感情だと思います。
わたしは、間違いなく母を殺したのです。
この手で——この体で、母を殺した大罪人なのです。
誰だって、家族を殺されたら、犯人を憎むでしょう?
愛していればいる程、なおさらです。
父は、母のことをとても愛していました。
だからこそ、許せなかったのだと思います。
母を奪ったわたしのことを。
母を殺したわたしのことを。
わたしは、母の代わりにはなれなかったのです。
それもまた、必然でした。
わたしは、母のことを知らないのです。
どんな方だったかも。
名前も。
わたしは、母の顔も知りませんでした。
家に写真はありませんでした。父が、処分したのだと思います。
父は独占したかったのでしょう。母を、自分の記憶の中だけに。唯一無二の存在として。
母の顔を、名を、知りたいとは思います。
もう会うことは叶わずとも——せめて、顔だけは。名前だけは。
ああ——何故、今になってわたしはこんなこと思い返しているのでしょう。
わたしの生い立ち。母のこと。父のこと。
まるで——走馬灯のようじゃあ、ありませんか。
『危ない! 主様!』
声よりも、言葉よりも早く伝達されるレーヴァの意志。反射が、わたしの体を動かしました。
上半身を無理矢理、左に傾けます。
首筋を掠(かす)るようにして、鋭い斬撃が過ぎ去って行きました。
下手人は、先程の男です。間近で、視線が交錯しました。刹那の出来事。わたしは左足を軸に、右の蹴りを放ちます。
肉を叩く感触。男の体が、飛びました。
しかし、手応えから、受け流されたことを確信します。ダメージは無きに等しく。男は空中で身を翻(がえ)すと、無難に着地しました。
わたしは、腰から相棒を抜き放ちます。
瞬く間に、石は剣へと変形。
得物を構え、男へと闘志を向けます。
男は、わたしの遺物を見て目を見開き、やれやれと肩をすくめました。
「おいおい、勘弁してくれよ……なあ。今度は遺物の相手かよ。ついてねえ。最悪だ。最低過ぎて、笑えるぜ」
男の手の平の上で、ナイフが月の光を受けて妖しく光りました。
『気を付けよ、主様。あの男の手にあるのが、遺物じゃ』
「分かっています」
刀子型のナイフでした。あるいはメスのようにも見える程の薄い刃物です。あんなもので人の肉を、骨を、解体出来る訳がありません。
だとすれば、答えは一つ。
あれが遺物で——そして、とてつもない切れ味ないし、それに類する機能を有しているということ。
相手がナイフとはいえ、一太刀も許すわけにはいかない勝負。先程のような失態を避ける為にも、先手必勝——!
足を、踏み抜こうとした——その時でした。
男が、まるで降参するように両手を挙げたのです。ホールドアップ。わたしは、動きを止めました。
「降参だ、お嬢ちゃん。見逃してくれ」
「何を——言ってるんですか?」
「? 別に、言葉通りの意味だよ。裏表のない、純粋な気持ちだ。アンタには敵いそうにない。だから、許して下さい、見逃して下さいと、そう言っている。いわゆる、命乞いだよ。何なら、土下座でもしようか? 体も、まあ、生命活動に支障が無い範囲でなら痛めつけてもいいぜ?」
男が、当然のように言い放ちます。
わたしは、男の傍に横たわる肉塊に目を向けました。
「そんなこと——できるわけ、ないでしょう」
「もちろんタダでとは言わねえよ。これ——俺が持ってる遺物(こいつ)はアンタにやる。足がつかないように闇ルートで売れれば、一生安泰だぜ? 働かなくても、生きていける。いいなあ。いいよなあ。羨ましいよなあ」
「犯行は、やめると? 自主をすると言うんですか?」
「何言ってるんだ? それとこれは別だよ。全くもって、話が違う。俺には使命がある。断罪はやめない。やめられない。やめるわけにはいかない」
「だったら——無理な、要求ですね。呑めません」
わたしの言葉に、男はひどくつまらなさそうに、ため息を吐きます。ぞっとする程の濁った目を、こちらへと向けてきました。
「分かんねえなあ。理解が出来なくて、まるで理外だよ。断る理由が分かんねえ——ああ、そうか。言葉足らずだったんだなあ。俺の落ち度だったんだ」
なんというか、この方とこれ以上言葉を交わすのは、まずい気がしました。こちらの常識が通じない——暖簾に腕押し、馬の耳に念仏といいますか、逆に呑み込まれてしまいそうな危機感が、胸を支配します。
「お嬢ちゃん、アンタの知り合いには手を出さないと約束しよう。一切合切、金輪際、アンタの人生(ストーリー)に、俺は登場しないことを確約する。犠牲になるのは、いつだって赤の他人だ。とるに足らない、その他大勢だ。アンタの良心は痛まない。だって、他人なんて言うならば存在してないのも同然だよなあ。星の裏側で、戦争が起こって何万人死のうが、心は痛まねえ。知らない国で大飢餓が発生して、何十万人飢え死のうが、飯が旨いのは変わらねえ。お嬢ちゃん。アンタは、ここで俺を見逃して、知り合いに危害が及ぶのを懸念してるんだろう? だったらこれで、問題はクリアだ。解決した。さあ——そこを退いてくれ。あるいは俺が退(ひ)くのを見送ってくれ」
わたしはこれ以上、言葉を返すことなく、再び相棒を構えました。
正義感?
いいえ、ただの恐怖心です。
この人は、怖い。
人殺しが許せないとか、犯罪は見逃せないとか、そんなちっぽけな倫理観などではなく、形容できない悪寒、とても許容できない嫌悪感。
静かな異常性が、わたしの脊髄(せきずい)を底冷えさせました。
おそらく——『浸食』が進んでいるのでしょう。
適性が無いものが使えば、遺物に理性を蝕まれ、本能を剥き出しにされる。
遺物には、そういった特性がありました。
支配ではなく、解放。それがファーストステージ。
そうした過程を経て、遺物と人は徐々に同調していき——最後には『異形化』と呼ばれるセカンドステージへと移行します。
つまり——人ならざるモノへの、昇華。
「なんだかなあ。なんでだよ。なんなんだよ」
男が、至極気怠げに呟くと同時、彼の両足が胎動しました。ぼこぼこと波打つような動きと共に、つま先から、甲殻系の昆虫を思わせる漆黒の装甲に包まれていきます。やがて、それは足の付け根まで達したところで止まります。
変身——いえ、いよいよ虫の変態を連想します。
異形化が進んでいる——必ず、ここで止めなければ。
そう思うわたしに、油断はありませんでした。
だから、彼が虚空に向かって無造作に振るった、そのナイフの軌跡も見逃しませんでした。
しかし、次の瞬間。
『右じゃ!』
再び、わたしはレーヴァの声に助けられる形になります。
「なっ——」
左に、飛びました。
そうしなければ、わたしの胴体は真っ二つにされていたでしょう。
出会い頭と似たような状況、けれど反撃はしませんでした。それよりも距離を取ることを優先します。わたしの頭の中では、目まぐるしく、現状を把握しようと思考が駆け巡っていました。
まるで、時間が飛んだような感覚だったのです。
間違いなく、わたしは全神経を張り詰めていた。なのに、レーヴァに言われるまで、反応すら出来なかった——思い返せば、出会い頭の一撃も、似た感覚があったのです。
攻撃の前——男が虚空に向かって振ったナイフ——無意味ではないはず。
意識が、飛んだ?
奪われた?
いや——″切り取られたような“。
何にせよ、あの遺物には、幻覚系の機能が備わっていると推測します。
そして、レーヴァに二度救われた事実——彼女にはその機能が働かないことも判明していました。
「レーヴァ、サポートをお願いします。一気に決めますよ」
『うむ、任せておけい』
男がこちらを追撃せんと跳躍するのが見えました。両脇に立ち並ぶ家の外壁を利用しながら、フェイントを交え、立体的な動きで距離を縮めてきます。
やはり、目で追えない速度ではない——わたしは、【|終焉たる救世主《レーヴァテイン》】を振りかざしました。
頭の中で、スイッチを入れるイメージ。
すると瞬く間に、機械の装甲がスライドし展開します。
そして迸(ほとばし)る、銀色の光。
やがて、新たなる光の刃が形成されます。
それは、『エーテル』と呼ばれる、人の生命エネルギーともいうべき輝きでした。
人の体で生成されるエーテルは、機械を稼働させる原動力になり、こうして体外に放出を助ける機構を利用すれば、武器にもなります。
そして、体内を巡るエーテルを意識的に操作できれば、身体能力の飛躍的な向上を可能とします。
わたしは、エーテルを足に集中させ、地を蹴りました。
男に合わせるように、外壁へと跳躍します。
バッタのように壁に張り付き、重量で体が剥がれ落ちる前に、次の跳躍を敢行。
男がこちらの意図を察知し、空中でナイフを振ります。
来た——!
「頼みますよ! レーヴァ!」
『うむ!』
男へと向けていたわたしの意識が、倒錯します。
けれど予定通り。
『左斜め後方!』
レーヴァの伝達を察知し、わたしは空中で体を捻り、相棒を薙ぎ払います。
男が手にする遺物と、わたしの遺物が衝突しました。一瞬のつばぜり合い。わたしはそれを見計らい、受け流すように剣を引きながら、一旦、相棒のエーテル出力を解除します。
空中、踏ん張る拠り所もない場所で、そんなことをすればどうなるでしょう。
男のナイフを受け止めていた壁が急に消失し、彼は勢いのままつんのめりました。
その隙を逃しません。
こちらは、あらかじめ剣を引いていた分、余力があります。
再び、エーテルを出力し、刀身を形成。
男が体を反転させながらナイフを振ってきますが、僅かにわたしの方が速く。
「たああああああああ‼︎」
思いっきり、男の背中に向けて叩きつけました。
人の体が、大砲の砲弾のこどく放たれます。地面に激突。大きな音と、衝撃と、土埃を伴い、わたしが着地する頃には、男は地面にめり込んで動きませんでした。
決着です。
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