【Side:Liza】
意識を集中し、感覚を研ぎ澄ますと、“その禍々しい気配“は、よりはっきりと感じられた。
「ちっ、あまり時間が無いな」
屋根から屋根へ、跳躍し、夜の闇を走りながら、ライザは憎々しげに呟く。
先ほど彼は、エルルに二つの嘘を吐いていた。
一つは、時間。
肌で感じるアーサーのエーテルは、いよいよ臨界点を迎えようとしていた。限りなく膨張し続けるエーテル。人という器を超えてなお、更なる糧(かて)を。遺物による暴走の最終段階。そこに時間は残されてはいなかった。
二つ目は、エルルが提示した作戦。口では了承したが、ライザにそれを実行する気は更々無かった。
ライザにとって、エルルを危険にさらす作戦など論外である。
本来であれば、言葉を交わし、説得するのが正攻法だ。しかし、時間が無かった。そして、ライザ自身理由は分からないが、強く感じるのだ。
エルルの——危うさを。自己軽視を著しく逸脱した、自己犠牲さえ全く厭(いと)わない、その残酷さを。そして、己の信念は決して曲げない、その頑固さを。
エルルは消耗している。それは彼女のエーテルの乱れから、はっきり見てとれた。
そんな彼女を囮にするなど、出来るわけが無かった。
ライザは恐れる。
エルルという存在は、自分にとって弱味になりかねない。
人質にとられたら? もし戦闘中に、彼女に何かあったら? 自分はきっと、冷静でいられない。戦闘中に平静を失うことが、どれ程危険であるか、青年期を戦場で過ごしたライザは、文字通り骨身に染みて理解していた。
故に、ライザは一人で征く。
エルルの願いを叶える為に。
彼女の望みを体現する為に。
仲間とは何なのか、独りを生きてきたライザには分からない。
おそらく、自分の選択肢は間違っているのだろう。エルルの気持ちを考えれば、協力して戦うべきなのは明らか。しかし、ライザにはそれが出来る自信が無かった。
方法が分からないのだ。
戦場では、常に一人だった。戦友らしき悪友はいたが、彼とて、普段はへらへらとしてはいても本質を理解し、誰かに背中を預けて戦うことは決してしなかった。信じられるのは、己が力のみ。生き残るのは、いつだって自分のことを最優先に考える人間だ。
そう生きてきた。
けれど——それはあくまで、生きる為の戦い。
今は違う。
命が惜しいわけではない。
負けることが恐ろしいわけではない。
ただ——守れないことが、怖いのだ。
彼女が傷付く。
それだけのことが、何よりも致命傷なのだ。
そしてもう一つ——ライザには、ある懸念があった。
今回の遺物暴走——いくらなんでも、進行が早過ぎる。
個体差にもよるが、通常、遺物が人を侵食する際には、それぞれの段階ごとに数日程度の時間を有する。
セカンドステージへの移行を目の当たりにしたのが、今日の出来事。本来であれば、まだ時間は残されていたはず。
エルルもそれを理解しているからこそ、万全を期すというこちらの要求を飲んだ。時間が無いと分かっていれば、彼女は何がなんでも動いたはずだ。
肌で感じる、エーテルの歪な膨張。それは、暴走がファイナルステージへ移行する直前の予兆だった。
常識や通例から逸脱した今の状態は、何故起こっているのか。
偶然で済ませてしまうのは、あまりにも楽観的だろう。
先程のデータによれば、アーサーが所持する遺物は、元々帝国管轄の物。『結社』と呼ばれる組織によって盗み出された物の一つだ。アーサーは、それをどこで手に入れた?
この状況は、誰かの手によって、意図的に引き起こされている可能性がある。
だとしたら——ライザには一つ、心当たりがあった。
もし自分の予想が当たっていたとしたら、考えうる限りにおいて、最悪の事態だ。
『あいつ』が関与しているとなると、尚更、エルルをこれ以上事件に関わらせるわけにはいかなかった。
ライザは駆ける。決意と共に。
転移は使えない。
あの魔法には膨大なエーテルが必要で、もう一度使用すれば、自分は動けなくなる。
急がなければ。
敵は強大。退(ひ)けぬ戦い。
願いはただ一つ。
彼女を守る。
遺物が産んだ歪み。
闇に燃え盛る大火の如く気配を目指して、ライザは奔(はし)る。
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