「さて、それじゃあ自己紹介も済んだし、早速行動に移ろう」
随分と大人びた幼女——フィアリスちゃんは、言うが早いが、すっくと立ち上がります。
「いやいやいや、ちょっと待って下さい! 話を次に進めないで! 流石のわたしも、情報が錯綜(さくそう)し過ぎて混乱してますよ⁉︎」
分からないこと、理解出来ないこと、訊きたいことが、山盛大盛りフルセットですよ。
「案外、度量が小さい」
会ったばかりの幼女に、シンプルに罵倒された!
「まずは落ち着きましょう。話を整理しましょう。今、わたし達には会話が必要です。会話こそ、人類にのみ許された唯一無二の行為——わたし達にはそれが出来るはずです」
「会話は苦手。私には、言葉の″交信″は必要無いもの。必要なのは、″発信″だけ」
「?」
うぅ……。フィアリスちゃんの言うことが、よく分からないわたしです。
どうもやはり、自分で思っている以上に混乱しているみたいで。
半分以上、ちゅーのせいですけど。
ちゅーのせいなんですけどね! 初めてだったのに! 女の子、しかも子どもはノーカウントと信じたい。
一度、深呼吸します。ここは重要な場面です。『教祖』と呼ばれ、名乗ったこの少女は今のところ貴重な情報源なのです。ちゃんと頭を回転させて、冷静に、脱出に必要な情報を引き出さなければ。
「まずは、いくつか質問させて下さい」
「別にいいけど。私を此処から連れ出してくれるなら」
フィアリスちゃんが、再びその場でちょこんと座りました。
「連れ出す……そもそも、此処はいったいどこ何ですか?」
まずは、そこからですよ。
「オルセアの街の地下にある、クレプス教団の本拠地。地下遺跡を利用した、あるいは隠れ家と言った方が正しいかも」
やはり地下施設だという推測に間違いは無かったようです。そして、何処か遠くへ連れ去られたわけでは無いということも朗報。ライザとの早期の合流も、わたしの目標に設定されます。
「その、クレプス教団というのは?」
わたしの質問に、フィアリスちゃんは、そんな下らないことが聞きたいのかと言わんばかりに、かすかに目を見開きます。
何となくですが、その侮蔑はわたしにではなく、彼女の言う教団へと向けられているような気がしました。
「先史文明を滅(ほろぼ)した『機械』を否定し、今の人類が持つ——持っていた、『魔法』を至上のものとする宗教団体。始まりの魔法使い、リコウィストゥーナを崇拝し、その宗教観上、魔法が存在した『魔女の黄昏』以前はそれなりの規模だったらしいけれど、今はもう……ただのカルト教団。こそこそ地下に潜って、アングラ的に信者を獲得して、ようやく存続している感じ」
カルト教団。街に貼られたビラ。人攫い。どうもキナ臭く思います。
そして。
「魔法……ですか」
かつての人類と、我々の間にあった決定的な違いが失われて早十余年。わたしがよく知るところの例外を除き、この世界に、魔法はもう残っていないとされています。それが一般常識と化(か)し、魔法よりも便利で手軽な機械の台頭によって、人々の記憶からも忘れ去られるだけの存在。
「既に存在しないものを、未だ崇め続けるなんて……」
「それは他の宗教も一緒。神様だって、存在しない」
「むぅ」
確かに、おっしゃる通り。
人の心の拠り所というのは、何も実在するものである必要は無いのです。いえ、むしろ存在しないからこそ、人々の理想をより強く反映させる器たりうるのでしょう。
導いてくれる存在、赦しを与えてくれる存在、罰を与えてくれる存在。人が、心の底で渇望し求める思いが偶像を産み、偶像が信仰を育み、信仰は人々を束ね、それが集団となれば、宗教と相成るわけです。
一方で、偶像崇拝の危険な所は、人の悪意が介入する余地が十分にあるということでした。形のないものは、権力者によって都合よく事実を捻じ曲げられ易く、宗教というのは時に戦争の原因になる程に強い影響力を持ち、だからこそ、人心を掌握するにはこれ以上無いものと言えます。歴史的に見ても、独裁者のエゴに利用されたケースは少なくありません。
「人の心の弱さ。人の心の脆さ。形の無いものにすがり、自身の心の在り様を他者に委ねる……哀れだとは思わない?」
それは、誰に向けての言葉なのでしょうか。わたしはまだ、彼女という人物をよく知りません。なのに不思議と、その言葉が他者に向けられたものではないと思えました。何とも自虐的に聞こえたのです。
「否定はしませんが、教祖という事は、あなたがクレプス教団とやらの一番偉い人なのでしょう? それなのに——」
「そんな私が、言うべきことではないと? それは些(いささ)か短絡的。立場上はそうだけど、実権は違う。大昔の国の言葉でいう、摂政が別にいるの。私は、ただのお飾り。″信者を獲得する為の道具″でしかない。もっと小さい頃に、貴方と同じように攫われてきて、以来ずっと、この墓穴のような地下で軟禁生活。教団に対しての矜恃なんか、微塵も持っていない。むしろ——こんな場所、消えてしまえばいいのにとすら思ってる」
相変わらずの無表情で感情は読み取りづらいのですが、その言葉には、特別な恨みがこもっているように感じました。
「……だから、ここから出たいと?」
「そこまで単純な話でもないけど、まあ、概ね合ってる」
「事情は何となく分かりましたけど……」
彼女の逃亡を手助けすることを了承するかどうかは、判断に迷うところですよ。
しかし……。
「別に、悪い取引では無いと思うけど? 貴方だって、こんな場所から一刻も早く逃げたいだろうし。私がいれば、施設のセキュリティはフリーパス。いざという時は、人質にも出来る」
フィアリスちゃんの言う通り、彼女を連れて行くメリットは確かにあるのです。施設の全貌も分からぬまま逃げ回るよりかは、案内人がいた方が良いのは明らか。
「もちろん、ここから逃してくれたら、お礼はする。ちゃんと形のあるもの。俗物的に言えば、お金」
ダメ押しとばかりに、フィアリスちゃんが言います。小さな手で五本指を作り出し、生々しく金額を提示してきました。
それは、魅力的な提案でした。
旅には先立つものがどうしても必要ですので。例え相手が幼女でも、貰うものは貰う主義ですよ、わたしは。
それでも慎重に、少しの間考えて、
「——分かりました」
わたしは、頷きます。
「契約成立だね」
フィアリスちゃんはそう言うと、手を差し伸べてきました。
「契約の証。握手」
反射的に応じます。手錠が邪魔をして、両手で包み込むような握手になってしまいました。
フィアリスちゃんの柔らかい手。ぐっと力が込められます。
そして彼女は、わたしの目を真っ直ぐに見ながら、言うのでした。
「これで私達は一連托生だよ。契約は絶対。裏切りは御法度(ごはっと)。何があっても、相手を見捨てない」
フィアリスちゃんの言葉一つ一つに込められた思いを感じ取り、わたしは真剣な心持ちで再び頷きます。
この小さな少女が、一体何を背負っているのか。わたしにはまだ分かりません。けれど、中途半端な気持ちで答える事は許されないと思ったのです。
この選択が正しいものだったのかどうか。今のわたしには知る由もありませんが、
「ありがとう」
可愛いらしい幼女に、じっと見つめられたままそんな事を言われた日には、まあ、悪い気はしませんね。
さて。
そうと決まれば。
わたしは、フィアリスちゃんから手を離し、腕に力を込めました。
「えい」
気合いを入れると、ばぎゃっと手錠が外れます。細かい破片が落ち、残った輪っかも力づくで引き剥がしました。
その様子を見ていたフィアリスちゃんが、ぼそりと呟きます。
「馬鹿力」
「……あなたは少し、おしとやかさを学ぶべきですね」
「鉄を素手で引き千切る人に言われても……」
「今の男女平等をうたう参画社会では、淑女こそ強く無ければならないのです」
「……そう」
またぞろ悪態をつかれるかと思ったのですが、フィアリスちゃんは視線を伏せてしまいました。
何か傷付けるようなことを言ってしまったのかと不安になります。
「大丈夫。何でもない。それじゃあ、行こう」
フィアリスちゃんが立ち上がります。
今度こそ、わたしに異論はありませんでした。
「はい。あ、でも脱出の前に——」
「?」
「わたしの——どうしても取り戻したい荷物があるんですよ。とても大切な物なんです」
わたしの唯一無二の相棒。絶対に、置いて行くことは出来ません。
現在の所有者であるわたしが触らなければ、ただの綺麗な石のままなので、『遺物』とバレる心配はありませんが、宝石として売り払われてしまったら元も子もありません。
「何か、心当たりがあったりしませんか? 攫ってきた人の持ち物を保管している場所とか」
「ある。心当たり。信者から寄付された物を保管する倉庫」
「まあ」
素晴らしい解答。花丸の代わりに、フィアリスちゃんの頭を撫でます。さらさらでふわふわの髪。
拒絶されるかとも思いましたが、フィアリスちゃんは不動のまま受け入れていました。
「ちょうど良かった。私も用事がある。貴方に渡す謝礼を取りにいかなきゃいけなかったから」
わたしは、彼女の頭を撫でる手をぴたりと止めます。
「……大変心強いのですが、盗む方の盗(と)るではないでしょうね?」
「そんなことはない。ちょっと借りるだけ」
「それは返さない人の言い分です。めっ、ですよ」
フィアリスちゃんの頭から手を離し、人差し指を口の前で立てます。そんな小さい頃から道を踏み外すと、わたしみたいな人間になってしまいますよ。などとは、流石に言いませんでしたが。
「“お礼″は、金品じゃなくても大丈夫です。フィアリスちゃんなりに、何か考えておいて下さい」
「分かった。………………」
長い沈黙。そ、そんなに強く怒ったつもりはないのですが……。
「えっと……ど、どうかしましたか?」
落ち込んでいるのですか。悲しんでいるのですか。泣きそうなのですか。わたしが傷付けてしまったのですか。
「名前を呼ばれたのは久しぶり。……嬉しい」
そう言葉にするフィアリスちゃんの表情はやっぱり平坦で、語調も抑揚なく、けれど口元がほんの僅かながら緩んだのをわたしは見逃しませんでした。
会って間もないのにも関わらず、愛おしさが込み上げてきます。母性本能とでも言うのでしょうか。可愛い。守ってあげたい。そんな衝動が、わたしを突き動かします。
気がつくと、フィアリスちゃんの手を取っていました。
逃避行の始まり。
手を繋いで、いざ出発です。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!