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一週間後。
わたしは、旅を続ける為に、オルセアの出入り口を訪れていました。入跡した場所とは、ちょうど反対に位置するゲートです。相変わらずの巨大な門。現世と冥府を繋ぐと言い伝えられていても何ら不思議ではない程の、非現実的な建造物です。
出立(しゅったつ)に時間が掛かったのには、理由がありました。
まず、わたしはあの後、三日三晩寝続けました。全く覚えていないのですが、ライザから聞いた話では、水も飲まずに眠り続けていたとのこと。原因はハッキリしていますが、わたしの体に起きている変化を正確に把握するには、少し時間が掛かりそうでした。
ただ一つ分かっていることは、目覚めてからというものの、逆に体の調子が妙に良いということです。
それを手放しで喜べるほど、わたしは能天気ではありませんでした。召喚機能を使った影響か、未だ休眠したままのレーヴァが起きたら、しっかり話し合わなければ。自分の体のことです。見放すことは、決して許されない。
わたしの中で芽生えた、確かな考えの変化。
誰のおかげかは、言うまでもないでしょう。
「本当に、一緒には来ないのですか?」
わたしは、見送りに来てくれたフィアリスちゃんに向かって、もう何度目か分からない問いを投げ掛けました。
年頃の少女らしい、シンプルなワンピースに身を包んだ彼女は、柔らかく笑います。
「うん。私がついて行っても、足手まといになるたけだしね」
「そんなことは——」
「あるよ。エルルとは一緒にいたいけど、迷惑になりたいわけじゃないからね」
「むー……」
「そんな顔しちゃ駄目だよ、エルル。別れ際の笑顔は、次に会う為の約束でもあるんだから」
この一週間で、フィアリスちゃんはグッと大人っぽくなりました。昨日は一日中彼女とデートしていたのですが、年相応の明るさと、大人っぽい落ち着きがいい具合に同居していて、時折わたしでもドキっとする表情を見せることがありました。
こうしていると、どちらが歳上か分からなくなります。
男子3日会わざれば、刮目して見よ。昔々のそのまた大昔の人が残した言葉ですが、女子はそれ以上ですね。彼女を取り巻く環境の変化や、立場の移り変わりが、そうさせるのでしょう。
「それに——教団のことも放っておけないしね」
ザルディオという指導者がいなくなった教団は、そのままにしておけば、おそらく自然に瓦解します。けれど、彼女はその道を選びませんでした。新たな教団のリーダーとして立つことを選択したのです。
「やっぱり、信者達のことが心配だからね。別に、自己犠牲のつもりはないよ。ただの子どもである私が生きていく為にも、教団という居場所は必要だから」
「辛くは、ないですか?」
「大丈夫、私にも味方はいる。私を支持してくれる信者達は多いし、この力もある。きっとうまくやれるよ。少しずつでもいいから皆と協力して、奉仕作業や孤児の受け入れが主の、慈善団体を目指すつもり。天候再現装置は無事だったけど、街の人にも随分迷惑をかけちゃったから、なおさらこの街を離れるわけにはいかないよ」
そう語る彼女の瞳には、確かな未来が映って。わたしには、それが何よりも嬉しくて。本来なら激励の言葉一つも送らなければならないのに、ただただ微笑むことしかできませんでした。
「それともう一つ」
わたしの体を見ながら、フィアリスちゃんが言います。
「エルルの体を縮めた遺物。教団の信者は、帝国中に点在しているから、何か情報が入ればすぐに連絡するよ」
「ありがとうございます、フィアリスちゃん」
そして、わたし達はしばらくの間、無言で向かい合いました。
別れの時間が、近づいています。これ以上引き延ばせば、どうしても辛くなってしまう。どこかで区切りをつけなければいけない。
「では、そろそろ——行きますね」
気を遣って、わたしとフィアリスちゃんを二人きりにしてくれた、彼等とも合流しなければなりません。
「うん。次に会う時は、私はもっともっと大きくなってるよ。ちゃんとエルルの隣に立てるように——今度は、私がエルルを助ける番だ」
約束、と。小指を差し出され、わたしは指切りに応じます。
あの夜交わした契り。
改めて。
今度は立場が逆転してしまいました。
……いけない、泣きそうです。
感無量でした。この街に来てからの様々な出来事と共に、万感が胸に押し寄せてきます。
ぐっと、涙を堪えます。
ここはお姉さんとして、絶対に泣くわけにはいきません。
「フィアリスちゃん、息災で。あんまり……背負い過ぎては駄目ですよ?」
教団や償いは、小さな彼女にはあまりに重過ぎる存在です。押し潰されるようなことは、あってはならない。心配が無いといえば、嘘になりました。
しかし、わたしなんかよりもよっぽど、彼女は強かったのです。
「分かってる、心配いらないよ。私は、エルルからたくさんのことを教わったから。やらなければいけないことじゃなくて、やりたいことがそこにはある」
陽光を受けた銀色の髪を、きらきらとなびかせて。フィアリスちゃんは遠い目をしながらも、静かに口を開きます。
「——私が辛くて苦しい時、神様は決して助けてくれなかった。あの時の私と同じように、信者達の中には、本当に困っていて、心の拠り所が必要な人達がいる」
神様なんて、いない。
けれど、聖女は存在する。
そう思ってしまう程に。
「神様が何もしてくれないなら、私が助けてあげるしかないと思わない?」
別れ際、彼女の悪戯っぽい笑顔が、妙に印象的でした。
それじゃあ、またね。
別れの言葉ではなく、再会の約束を口ずさみ。
わたし達は、別々の道を征(ゆ)くのでした。
所は少し進み、街道沿い。
きちんと舗装された街道を、大型のエーテル車が行き交っていました。荷物は、機械製品や日用品、特産品や配達物など。この先は、帝都へと続いているので、必然物流が盛んになります。
車に轢かれないよう注意しながら、道路脇を行きます。
途中、同じような旅人と何度か会釈を交わしてすれ違い、しばらく歩くと。
街道沿いに設置された、旅人用の休憩所にライザとセラディスの姿を見つけました。
「もういいのか?」
ライザがこちらに気づき、聞いてきます。
「はい。お別れは、もう十分に」
「そうか」
ぶっきらぼうに言うライザに向かって、わたしは微笑みました。
「ありがとうございます。気を遣っていただいて」
「別に、そんなんじゃないさ。それに——」
「それに?」
と、そこで。タバコを吸い終わったセラディスが、ライザを押し除けるようにして割り込んできます。
「それに、オレ達は一昨日、フィアリスちゃんと一緒に街を回った時に、お別れは済ませちゃったからネ!」
「何それ! 初耳ですよ! どうりで一昨日、朝から二人の姿が見えないと思ったら! お土産に貰ったお酒に、全てを誤魔化せれていたなんて!」
「オレが言うのもなんだけど、エルルちゃん、ちょろ過ぎるから少し気をつけた方がいいよ」
「変態に常識を諭される屈辱たるや!」
なんたる恥辱。
なんたる不名誉。
わたしは、強く決意します。
今後は、お酒なんかに、負けないと。
「オルセアの街はワインが有名だそうでな。何本か、見繕ってきた。旅の楽しみが増えたな」
「ライザさん大好き!」
愛しています。
今なら、抱きつくことも厭(いと)わない。ほっぺにちゅーくらいなら許せる。
「お、オレだって! エルルちゃん! オレもお酒あげるよ! 昨日知らないお姉ちゃんの家で開けたやつだし、飲みかけだけど!」
「一度封を開けたら、あまり時間置かないで飲んだ方がいいですよ? 空気に触れるとどんどん風味が劣化していきますし」
「冷静にあしらわれた⁉︎ たぶんだけど、ちょろいって言ったことを根に持っている!」
いえいえ、まさか。
竹を割ったような性格をしているわたしを捕まえて、根も葉もないことは言わないでいただきたい。
まあ、それはさておき。
「さあ、行きましょう。次の目的地は帝都ですよ」
帝都は、帝国で一番人が集まる街。
人がいればいる程、情報もそれだけ出回ります。ここまで来たのなら、立ち寄らない手はないでしょう。
“昔住んでいたこともある”ので、勝手も知っていますしね。
目指すは、帝都。
過去と現在が入り乱れ、人の欲望と希望が渦巻く都。
再び歩み出す前に、最後くらいはちゃんとしようと思い、わたしはセラディスへ向かって頭を下げました。
「セラディスも、本当にありがとうございました。きっと、わたしが思っているよりも更に、大変なことを助けて貰ったのだと思います。それでは——お元気で」
「え? オレも一緒に行くよ?」
殊勝な態度を取るわたしに、彼はあっけからんと言い放ちます。
わたしとライザは、大きく目を見開きました。
「は?」
「だって、うら若き男女の二人旅なんて——そんなやらしいことないでしょ。だったら、オレも混ぜて欲しくて」
「死ね」
ライザがセラディスを殴り飛ばし、そのまま二人で揉め始めたので、わたしはため息を吐いて一人で歩き出しました。
セラディス——特に悪い人ではなさそうですし、反対はしませんが、賑やかになりそうだなあ、と。
あと、わたしの貞操は守られなければなりません。
この体に残された時間は、あとどれぐらいなのでしょうか。
大切な友達を守る為、ずいぶん無理をしました。
しかし、わたしはちっとも後悔していません。
決して、手遅れではないのです。
何故なら、この手にはまだ、たくさんの光があるのですから。
失って、もう戻らないものに固執するより、今ある大切を。
零れ落ちないよう、そっと、抱きしめる。
それが生きるということ。
それが進むということ。
例え、その先にどんな未来が待っていたとしても、わたし達は生きて、人生という名の旅を続けるのです。
はてさて、どうなることやら。
穏やかな気持ちで、ふと、上を見上げれば。
蒼い空は、どこまでも広がっていました。
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