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わたしの意識内で想像される仮想空間は、小部屋でした。四方に広がりはありません。目に見える範囲以外は存在しない、檻の如く空間。それがわたしの心象風景なのか、はたまた|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》内に築かれたデータスペースなのかは分かりませんでした。
そんな茫洋(ぼうよう)とした場所に、わたしは立っています。気がつくと目の前には、同居人とも言える、幼い少女が存在していました。
白金色の髪に、夕焼けの瞳。やんちゃな子を見守る母親のような、優しい視線をわたしに向けてきます。
『どうやら、お互い生き残れたようじゃの』
「そのようですね。毎度のことながら、悪運だけは強いようで」
わたしは自嘲気味に笑います。
「厄介事に巻き込まれるのにも、もう慣れました。この街に来なければ、そして、事件に巻き込まれなければ、フィアリスちゃんと出逢うこともなかった——そう考えれば、この厄介なトラブル体質も、そう捨てたものではないと思えます」
『前向きじゃの』
「ふふふ。ええ、それだけが取り柄ですから」
そう言ってわたしは大人っぽく笑い、レーヴァはやれやれと肩を竦めます。
一呼吸置いて。
「レーヴァ」
少し照れ臭さはあったものの、わたしは真剣な面持ちで言葉を切り出しました。
「本当に、ありがとうございます。あなたのおかげで、大切なものを取り戻せました」
『ワシはただのきっかけに過ぎぬよ。主様が何かを為せたのなら、それは紛れもない、主様の頑張りの賜物じゃ』
「随分とまあ、褒めるじゃないですか」
『くっくっくっ、たまにはの。事実ではあるし、それに——』
レーヴァが、遠い目をして言います。
『ワシも、思うところがあっての』
「思うところ?」
『うむ——たいしたことではないんじゃが、なんかこう、色々と思い出した。ワシの出自や、生前の名前とかの。初めて『召喚機能』を使った故(ゆえ)かもしれんし、主様とより深く繋がった影響やも分からぬが、記憶——というかいくつか修復できたデータがあるのじゃ』
「結構なビックニュースじゃないですか、それ」
現代における歴史学を覆しかねない、衝撃の事実が判明しそうでした。
『まあ、いずれ、ゆっくり話そう。それはともかく、せっかくこうして、久しぶりに顔を突き合わせておるのじゃ——ほれ』
そう話を切り上げて、レーヴァが挙手をするように、平手を自分の顔の横に並べました。
わたしは、首を傾げます。
『ノリが悪いのぅ。ハイタッチじゃよ』
「ああ、なるほど」
得心がいきましたので、彼女に倣(なら)い、動きを合わせて——
ぱん、という小君良い音。
掌(てのひら)と掌を軽く叩き合うだけの行為でしたが——こう、無償に気持ちいいというか——やったね、と強く実感できるのでした。
勝鬨(かちどき)の行為としては、中々ではないでしょうか。
「では、わたしはそろそろ行きますね。レーヴァ、また会いましょう。今度はゆっくりと、お酒でも酌み交わせるといいですね。もちろんただの例えですが——何だか今は、そういう気分です。あなたのことを、もっともっと知りたい——なんて、今更ですかね」
満足そうに笑うレーヴァに別れを告げ、わたしの意識は現実へと還(かえ)るのでした。
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目を開けると、視界一面にフィアリスちゃんの泣き顔がありました。
「エルル!」
無事で、本当に良かった。その言葉は途中で遮られます。大きな瞳いっぱいに涙を溜め、フィアリスちゃんが抱きついてきたのです。
どうやらわたしは、彼女に膝枕をされて、地面に横たわっていたようで。柔らかな彼女の太ももの感触を後頭部に感じながら、顔で幼女の抱擁を受けるという、ロリコンの方々には堪(たま)らない状況になっていました。
ライザは——抱きついて離れないフィアリスちゃんの体の隙間から、彼の姿を探します。いました。よかった、ちゃんと無事です。少し離れたところで、セラディスと何かを話していました。男同士、砕けた様子。ライザは相変わらず朴訥(ぼくとつ)としていますが、見る人が見れば、雰囲気が少しだけ柔らかいのが分かります。仲がよろしいようで。セラディスがライザに殴られましたが、たぶん男の友情的なあれです。どうせ、セラディスが何か下品な冗談を言ったのでしょう。
視線を戻し——その途中で、わたしは眩しさに目を細めました。
空——遺跡の天井が崩落し、そこから覗くのは、透き通るような青空でした。
「フィアリスちゃん、フィアリスちゃん」
彼女の背中を、優しくぽんぽん叩きます。
「空、見上げてみて下さい」
「え——? うっ……わあ……!」
わたしから体を離し、首を上に向けたフィアリスちゃんが感嘆の声を洩らしました。大きく口を開け、目をいっぱいに見開き、呆気に取られています。
「これが——本物の、青空……すごい……綺麗」
感極まったような彼女の呟きに、わたしも自然と心が満たされる心地でした。
仰向けのままなんとか手を動かして、フィアリスちゃんの頭を撫でます。
幸せそうに目を細めながらも、彼女は空を仰ぎ見ていました。失われた時を、与えられなかったものを、その手に取り戻すかのように、空へと手を伸ばします。
その光景を見て、わたしは実感するのでした。
ようやく、フィアリスは解放されたのだと。
墓穴とも呼べる地下から、そしてザルディオが操る呪縛から。
彼女は、自由を手に入れたのです。
例えばそう——望めばいつでも、青空を見上げることができるような、そんな自由(あたりまえ)を。
やがて、フィアリスちゃんの視線が、わたしへ向けられます。彼女の顔には、太陽よりも眩しい、溢れるような笑みを浮かんでいました。
「ありがとう、エルル」
ああ——どうして、子どもの笑顔というのは、こんなにも愛おしいのでしょうね。
それだけで、ありとあらゆる頑張りが、報われた気になります。
フィアリスちゃんは、優しい眼差しで続けます。
「私が今ここにいるのは、エルルのおかげだよ。エルルが助けてくれた。私に生きる意味をくれた。優しさをくれた。温かさをくれた。青空をくれた……何もなかった私に、沢山のものをくれた。エルルは、本当にすごい!」
そんなことは——思わず口をついて出そうになった言葉を、わたしはすんでのところで呑み込みました。
彼女の前では、強いわたしでいよう。
そう決めたのですから。
それは、これからも。
決して変わらない。
「ええ、そうでしょうとも。何せわたしは、フィアリスちゃんにとってのヒーローですからね!」
「うん!」
二人で、抱き合いました。
これぞ、至福。緊張した糸が、一気に解れていきます。
役得でした。正当なる報酬にしては、十分過ぎる幸せ。子ども特有の柔らかさと、鼻腔をくすぐる良い匂いに包まれながら、世界の宝、人類の至宝と言っても何ら差し支えのないその存在を、わたしは抱き締めるのです。
永遠に続くかのように思えた幸福はしかし、突如終わりを告げました。
「……お楽しみのところ悪いが、そろそろずらかるぞ」
いつの間にか、ライザが近くまで来ていて、盗人のようなことを言います。
しかしまあ、理由は明らかでした。これだけ騒ぎを起こせば、いつ軍や警察が駆け付けてきてもおかしくはありません。もし拘束されれば、罪状は山盛りてんこ盛り、盛り盛り お得なバリューパック並みにセットとなって
のしかかってきます。
遺跡無断侵入、第一遺跡破損、遺物破壊、遺物の無断使用、公務執行妨害、等々。よくて極刑、悪くて極刑ですかね。
というわけで、罪深きわたし達は早々にこの場を離れてトンズラする必要がありました。首謀者はもう、いないのです。目撃者なし、証拠なし、見つかりさえしなければ、いくらでもやり過ごせる状況。
この際、逃げることに対する是非はさておきましょう。
悪いことをするのが、大人の特権です。
しかし。
「そうしたいのはやまやまなのですが、体がうまく動かないのですよ」
無茶をした反動。英雄召喚の代償で、上半身はかろうじて動くのですが、全く立ち上がることが出来ません。どこか大切な部品が壊れてしまった、おもちゃのように。痛みが無いのが逆に不気味でした。
「はいはーい! じゃあ、オレがエルルちゃんを抱っこし——」
セラディスが言い終わるよりも早く、わたしはライザに抱っこされました。またもやお姫様抱っこです。
——え?
「あああああの、ライザさん⁉︎」
「どうした? 動けないのだろう? ならば誰かが抱えていかねばなるまい」
「せ、セクハラでは……?」
「何を言っている、ついさっきもしただろうが。それに、これは正当で純粋な行為だ。厚意でもあるし、好意もある。何も問題はない」
強く言い切られると、押し切られてしまうわたしです。ちょろ過ぎでは。
「ライザさん」
フィアリスちゃんが立ち上がり、ライザへと向かって、うやうやしく頭を下げます。
「ライザさんも、ありがとう」
「いや、当然のことをしたまでだ」
キメ顔で答えるライザ。わたしと出会った時も、同じセリフを言ってやいませんでしたかね、この人。まさか小さい女の子なら、誰でもいいんじゃないでしょうね。
「やらしーんだ、ライザさん。女の子二人も侍らせて、やーらしーんだー」
拗ねたように文句を言うセラディスに、すかさずフィアリスちゃんの笑顔が炸裂します。
「セラディスもありがとう。私の手紙をエルルに届けてくれて、エルルの力になってくれて」
「……まいったね、こりゃ」
流石の女たらしも、純粋無垢な少女の前には無力でした。
さて、そろそろ時間がありません。
「セラディスは、フィアリスちゃんを頼みます。彼女にセクハラしたら——ちょん切ります」
「何を⁉︎ 悲しいことに、その不穏な単語から連想されるものが一つしかない!」
「大丈夫だよ、エルル。セラディスがイヤらしいこと考え出したら、すぐに分かるから」
「それは安心ですね」
「……いくぞ」
そしてわたし達は、遺跡を後にします。
最後に一度だけ、振り返りました。
また会いましょう。
それは、誰に向けた言葉か。また、何の為の手向(たむ)けか。
よく分かりませんでした。
ですが、問題はないでしょう。
いずれは、わたしも——そこに行くのですから。
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