私は、何の為に産まれてきたのだろう。
悠久にも感じる、果てしなく無為な時間の中、考える時間はいくらでもあったけれど、同時に、その答えが絶対に得られない事も私は理解していた。
何故なら、私には何も無いからだ。
何も、与えられてはいないからだ。
いや——正確には、違う。
与えられてはいるのだ。注(そそ)がれているのだ、ずっと。
なんというかそう——世の中の『悪意』とやらを。
地下教団の『教祖』として祭り上げられた私の元には、『私の力』を頼って連日連夜、信者と呼ばる大人達が尋ねてくる。
彼等は皆、それぞれが悩みを抱えていて。
泣きながら、どうすればよいのかと、私にすがりつくのだ。
大の大人が幼い子どもに泣きつくその姿は、少しだけ哀れで、僅かに歪(いびつ)で、なんとも滑稽だった。しかし——そんな感傷もほんの一時(ひととき)のもので、私は機械のように、それこそ彼等が毎日祈りを捧げるただの偶像のように、『力』を使い、宣託を授ける。
それは、人の心を詠む力。
会話無く、他人の人生を覗き。
知識無く、他人に人生を説き。
彼等がその時、最も欲しがっている言葉を紡ぐ。
それが、私に与えられた役割。
信者達は私の力を神の御業(みわざ)と崇め、そこに心酔と狂信が生まれる。
人の心を詠む力による、文字通りの、人心掌握。
『教団』の信者を増やし、多額の寄付金を集める為とか『あの男』は言っていたが、私にはどうでもいい事だった。
本当に、心の底から、どうでもいい。
などと言うと、私という『器(うつわ)』に、果たして心なんてものが存在するのかという疑問が浮かぶけれども。
何の為に産まれてきて、何の為に生きるのか。
答えられない私に、心などという確かな物が存在しているとは、到底思えないからだ。
やはり、私は他人の器でしかないのだと、酷く自覚する。
器——そう。私は、入れ物だ。
信者の心を通(とお)して、私は世界を視る。
大人達の心を通(つう)じて、私は感情を観(み)る。
彼等は皆、世の中のしがらみにこてんぱんにされた敗北者達で。心の中には、どろどろとした負の感情が蠢(うごめ)いて。世界は、裏切りと憎悪と侮蔑と差別と区別と理不尽に満ちているのだと、否が応でも理解させられる。
私は、そんな彼等の心を理解(よ)み、寄り添い、拠り所となり、そして依代(よりしろ)となるのだ。
幾百、幾千と繰り返される宣託により、私の中には、私という小さな器ではもう抱えきれない程の、膨大な心の闇が渦巻いていた。
いつだったか、私をここに連れてきた、幼い少女のような姿をした『生き物』はこう言っていた。
「だからそう、これはある種の実験なんだよ。何も知らない、世間の穢(けが)れを知らない、無垢なる入れ物に、世界の悪意を注ぎ続けたら、一体、″どんな生き物″になるのかっていうね。面白いとは、思わないかい?」
その時は、彼女が何を言っているのか意味が分からなかったけれど、今なら理解出来る。
地下の穴蔵、墓穴(はかあな)のようなこの場所で。
空の青さも、夜の昏(くら)さも知らず。
一人ぼっちで。
昼は、下らない大人達を慰め。
夜は、下卑(げひ)た男達に嬲(なぶ)られ。
緩やかに。
坂道を転がるように。
私が、私ではない何かに成り果てていく感覚だけが、胸を支配していた。
死ななければならないと思った。
私が、私ではない何かになる前に。
死にたいと思った。
私が、私である内に。
ああ——けれど。
けれどそうだ、私には一つだけ、夢があった。
人の心を通して恋焦がれ続けた風景。
どこまでも、どこまでも飛んでいけそうな程に広がる、青き空。
一度でいいから、見たかった。
ああ、最後の我儘が赦(ゆる)されるのなら。
私にも、神などという不確かな幻想が存在するのなら。
せめて——青空の下で、死にたい。
こんなところで、一人で死ぬのは——嫌だ。
それは、初めて芽生えた希望。
私は、ちゃんと死ぬ為に、この牢獄からの脱出を決意した。
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