あの後、駆け付けた他の警察の方が、被害者の回収と現場検証に入り、わたし達はその場を後にしました。
クリフさんに連れられる(連行)ままにやってきたのは、駐屯所ではなく、喫煙所でした。路地裏から表通りに移動し、路上の一角に設けられたガラス張りのスペースです。中は丸見えですが、気密性が高いので話し声は外に漏れない、そんな空間でした。
例えば、誰かに聞かれたくない会話をする際には、うってつけなのではないでしょうか。
まるで謀(はか)ったかのように、わたし達以外に人はいませんでした。
「軽い冗談じゃねえか。そんなに怒るなよ、エルル嬢ちゃん。せっかくの美人が台無しだぜ」
「誰ですか? あなた。初対面の時はまず名前を名乗るのが礼儀ですよ。はい、言ってごらんなさい。私の名前は、申し訳ございません太郎だと」
していい冗談と悪い冗談があると思うのですよ。すぐに手錠は外されたとはいえ、悪態をつかずにはいられませんでした。
クリフさんは、バツが悪そうに言います。
「悪かったよ……。たく、せっかく見てくれはいいのに、そういうところは『あいつ』にソックリだな」
あいつというのは、わたしの育ての親のことです。クリフさんとは古くからの知り合いらしく、わたしが子どものころは、よく二人で行動しているところを拝見していました。
「それに、全部が全部、冗談ってわけじゃねえよ。嬢ちゃんと俺は知り合いだが、周りの警官からしたら立派な部外者だ。立場上、こうして邪魔の入らないように話す為には、容疑者の事情聴取を装(よそお)うのが一番手っ取り早かったのよ」
「なるほど、そういう思惑があったんですか
……すいません」
一応、正当な理由があったようです。
この喫煙所に人がいないのも、おそらく見えない所で、他の警官の方が見張っているのでしょう。
……あれ?
じゃあ、ライザは?
わたしだけ手錠を掛けられて、ライザが自由だった理由は?
……やっぱり、からかわれていただけかもしれませんでした。
「それにしても——話には聞いてたが、本当に小さくなってやがる……。当たり前だが、エルルお嬢ちゃんが、子どもの頃そのものだな。まさか、人の体が縮むとは……遺物ってのは、本当に魔法じみてるなあ」
「全くもって同意しますよ。昔の人はよくもまあ、総じて摩訶不思議な物を創り出したものです。ところで、遺物といえば」
わたしは、話を切り出します。残念ながら、のんびり再開を楽しむという空気ではないのです。
「先程、暴走した遺物を所持した男——遺物の歪みに遭遇しました。通報があってすぐ駆け付けて来たということは、クリフさんが、その事件を追っているんですね?」
「まあ、そうなる。——と、その前に」
クリフさんは肯定し、懐からタバコを取り出しました。相方は、ライターではなく、加熱式の電子デバイス。機械によりタバコの内部に熱を加え、煙を出すことなく成分を発生させ、直接燃焼させた場合に比べ臭いや副流煙が少ないのが特徴です。
禁煙の風潮が世に広がる中、従来の燃焼型のタバコに代わり、急速に台頭してきた代物でした。
「個人的に、普通のタバコの方が好きなんだが……背に腹は変えられねえ。そっちの兄ちゃんも吸うか?」
腕を組みながら、黙ってガラスに寄り掛かっていたライザに向かって、クリフさんがタバコを差し出します。
「いや、いい」
「そうか。まあ、吸わないに越した事はねえわな」
大人の男性特有の、こう……上手くは言い表せませんが、哀愁漂うやり取りでした。
一服おいて。
「この街で遺物の歪みが起こってると、駐屯所から帝都の警察署に応援の要請があってな。のこのこやってきたのが、俺ってわけだ。奴の名は、アーサー・ローラン。指名手配中だった、連続大量殺人鬼だ。一度は包囲して追い詰めたんだが、俺のせいで逃げられてな。俺一人が処分される分にはいいんだが、このまま異形化が進めば、必ず無関係な人間に被害が及ぶ。悪いが、話を聞かせてもらうぞ」
クリフさんの目が、真剣味を帯(お)びます。
わたしは、神妙に頷きました。
「元より、そのつもりです。と言っても、大した情報があるわけではありませんが、とにかく経緯だけでも。——わたしが街に着いてすぐ、遺物を持った男が、人を殺害している場面に遭遇しました。そのまま戦闘になり応戦したのですが、一度は制圧しそうになったものの、異形化が進んだ相手にわたしが不覚を取り、そこにいるライザに助けられました。異形化した男は、そのまま逃走し、そこにクリフさんが現れた次第です」
「それは災難だったな……無事で何よりだ。どこに逃げたかは、分かりそうか?」
「そこまでは……」
レーヴァの探索機能を使えば、ある程度の距離なら探れそうですが、この街全部の範囲を網羅するには時間が掛かりそうです。
「もう一つ。異形化は、進んでいたか?」
「かなり」
両脚、そして両腕。
残るは、体と頭部。
ファイナルステージへの移行、残された時間は——。
「そうか。次でケリをつけねえと、いよいよもって限界(リミット)だな」
クリフさんが、空へ向かって紫煙を吐き出しました。長い付き合いですが、この方は中々に感情を表に出しません。大人の男なのです。
しかし、先程の言葉。
俺のせいで逃げられた。
考えていることは、何となく察しがつきました。
何故なら、少なからず、わたしも同じ思いを抱いているからです。
「さて、ここからが本題だ。単刀直入に言う。アーサーを捕まえるのに、協力して欲しい」
「分かりました」
わたしは、迷わず答えました。
「即答だな」
「自分のせいで逃したことを後悔しています」
「嬢ちゃんが責任を感じることじゃねえだろ」
「そういう性格なんですよ」
「生きづらい性格だな」
「お互い様だと思いますが」
わたしは少しだけ笑い、
「否定はしねえよ」
クリフさんは笑いませんでした。けれど、その瞳に僅かながら優しい色が浮かんだのを感じます。
「ライザは——」
わたしは、彼に向き直ります。
「どうしますか?」
「その前に——いいのか?」
ライザが静かに口を開きます。
「あの男が持っている遺物は、お前の体を縮めた遺物じゃないのは明らかだろう。時間は無限じゃないんだ。あと半年しかないんだろう? 時間の無駄じゃないのか?」
「そう——かもしれません」
実際、ライザの言う通りです。
正論という他ありませんでした。
わたしの体に残された時間を考えれば、余計なことに首を突っ込んでいる暇は無いはず。
それも、見ず知らずの、あまつさえ不特定多数の人間の為に。
あの時、アーサーが放った言葉。
それは呪いの言葉でありながら、真理でもありました。
他人なんて言うならば存在してないのも同じ。星の裏側で、戦争が起こって何万人死のうが、心は痛まない。知らない国で大飢餓が発生して、何十万人飢え死のうが、ご飯が美味しいのに変わりは無い。
それを真っ向から否定出来る程、わたしは素直な性格をしていなければ、善良な人間ではありませんでした。
けれど。
「それでもわたしは、わたしの体がこうだからこそ、同じように遺物の被害に遭う人を見過ごせません」
それが、わたしの選んだ道なのです。
ライザは何も言いませんでした。
わたしは、彼の目を真っ直ぐに見て続けます。
「虫がいいとは思います。わたしに返せるものは何もないかもしれません。それでも——わたしの我儘に付き合って欲しいです。ライザ、お願いします。アーサーを捕らえるのを、手伝って下さい。同じ失敗を、繰り返さない為にも」
わたしは、自分の力で全てを為せると思える程、自分を信じてはいませんでした。
それでも、こうしてはっきりと人へ助けを求めたのは、随分と久しぶりな気がしました。
わたしは、いつだって一人で。
今までもずっと一人で。
なんとかしようと、躍起になっていたような気がします。
「分かった。任せろ」
力強い言葉。
迷いなく紡がれる意志。
ありがたくも、ほっとします。
「ありがとうございます、ライザ」
先程指摘されたばかりですが、お礼を言わずにはいらませんでした。
「話は纏まったみてえだな」
会話の成り行きを黙って見守っていてくれていたクリフさんが、口を開きます。
「嬢ちゃん、通信機は持ってるか?」
「はい」
「なら、後で事件の詳しいデータを送っておく」
「いいんですか?」
「まあ、バレたら懲戒処分だろうな」
「それは……」
「いいんだよ。元々、アーサーをとり逃した事で処分は免(まぬが)れん。それに協力して貰う以上、当たり前だ」
「……分かりました。では、アドレスを」
わたしは自らの端末を待機状態にして、クリフさんのそれと重ねました。
ぴこんという電子音と共に、通信完了。
「ところで、宿は決まってるのか?」
「いえ、まだです」
「そうか。なら、俺の方で用意しよう。馴染みの宿だ。話は着けておく」
「ありがとうございます」
「ただのお節介だよ。じゃあ、そろそろ俺は行くわ」
タバコを携帯灰皿に押し付けてから、クリフさんは喫煙所の扉に手を掛けます。そして、こちらを振り返り、
「嬢ちゃん達は、独自に動いてくれればそれでいいからよ。俺は俺で、警察として最善を尽くす。ああ、それと——嬢ちゃん、兄ちゃん、ありがとよ。健闘を祈る」
そうおっしゃって、背中越しに右手を振りながら去って行きました。
それを見送り、窺(うかが)うようにライザへと視線を向けます。
相変わらず木訥(ぼくとつ)とした雰囲気で、何を考えているか、その表情から読み取ることは出来ません。
ちょっとだけ近付いて、じっと顔を覗き込みます。身長差が凄いので、見上げる形で。少しだけ背伸びをして。
「なんだ?」
「いえ、別に。ただ——なんとなく、嬉しくて」
我ながら不謹慎だとは思いますが、不思議と、今はそういう気持ちです。助けてくれる相手がいるという、安心感。
「そうか」
目を逸らされました。照れているのかも。何となく、そう感じます。
わたしは、右の拳をぐっと突き出しました。
「改めて。よろしくお願いしますね、ライザ」
「…………」
こつん、と。
無言で合わせられた拳。
わたし達は、喫煙所を後にしました。
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