終焉の幼女エルルと死なずのライザ

かこみ
かこみ

インディゴ色の哀愁①前編

公開日時: 2021年5月17日(月) 16:28
文字数:3,564

【Side:Eisenhund】




 アイゼンドッグ・ラックにとって、戦いこそが全てである。


 50年前、『魔女の黄昏』と呼ばれる弾圧戦争よりも遥か昔。人々が、人類の遺産である『遺物』の所有権を巡り、血で血を洗う争いが繰り広げられていた時代があった。


 文字通り、戦場の最中にてその生を受けたアイゼンドッグは、物心ついた時から生きることが戦いそのものだったし、また両親のいない彼にとっては、戦争こそが何よりの肉親であった。


 戦死者の屍肉を喰らい、身に付けているものを漁り、呼吸をするように人を殺した。


 全ては生きる為に。


 教養はいらなかった。


 人を殺すのに知識はいらなかったからだ。


 仲間はなかった。


 群れは必ず裏切りと排他を生み、敵を内側にも作ることを見てきたからだ。


 そこに善悪はなく、ただただ生き残る為に。


 言葉すら理解せず、当時のアイゼンドッグをつき動かしたのは、生物としての本能のみだった。


 戦いの度に、アイゼンドッグは過去を思い出す。


 あの頃の、ひたすらに純粋で、ひたむきに繰り返した戦いの日々を。


 大人になるにつれ、社会に適応するにつれ、余計なものが増えていった。


 金、仕事、名誉。   


 戦いには、常に理由が付き纏う。


 本来、己の力をぶつけ合うだけの戦いには、不必要なものばかり。


 アイゼンドッグは望む。


 純然たる闘争を。


 矜恃など不要。


 意義など無意味。


 剥き出しの本能が織りなす、研ぎ澄まされた結び合いにこそ、至福の一時(ひととき)がある。


 しかし。

  

 アイゼンドッグが、そう願えば願うほどに、彼の望む闘争は彼から離れていった。


「現実とは、かくもままならないものだね——」


 オルセアの街は中心、アミュゼポスタ遺跡にて。


 アイゼンドッグは、憂いのため息を吐いた。


 周囲にどこまでも広がる虚無の空間が、彼の虚しさに拍車を掛ける。


 この地で課せられた任務。教団の長であるあの男に従事するふりをして、その実、とある少女を窮地へと追い込むこと。


 もはや目的は達した。


 少女は一人で友の元へと向かい、後は何も知らないあの男が都合良く役割を果たしてくれるだろう。


 自分はただ、ここで少女の仲間である青年を足止めすればよかった。


 救世主が再びこの世に降臨する、その時まで——。

 

「しかし、それでは些か面白味にかける」


「……何を言っている?」


 突如肩を落とすアイゼンドッグの様子に、対峙する男が怪訝そうに眉を潜めた。


「いや、すまない。こちらの事情だ。水を差したね。戦いを、再開しようじゃないか」


 相対する男の力は、まごうことなき一級品。見ただけで確信し、拳を交えて実感した。あの少女も稀に見る逸材ではあったが、この男はまた一つ次元を異(こと)にする。


 ここまでの上物は、それこそ先の戦争における、あの『赤髪の魔法使い』以来であった。


 アイゼンドッグの口元に、堪えようのない笑みが浮かぶ。


 今はただ、この時間を大切に抱きしめようじゃないか。

 

 アイゼンドッグは好敵手を見据え、拳を構える。

 

 対する青年は、自らの得物である浮遊剣を周囲に漂わせながら、その切っ先をアイゼンドッグへと向けた。


 両者の間に流れる張り詰めた空気。


 やがて、どちらともなく。


 彼等の靴底が、硬質の床を叩いた。


 互いの合間は、距離にしておよそ20メートル。アイゼンドッグの全身が縮まると同時に、跳ねた。筋肉そのものがバネと言ってもいい彼である。自らの体を砲弾のような速度に変えて、一瞬で敵への間合いを詰める。


 絶拳が唸った。ただの右ストレートも、アイゼンドッグが放てば、たちまち必殺の一撃と化す。纏うは、エーテルが持つ命の輝き。群青色の光が尾をひくアイゼンドッグの拳が、青年へと容赦なく打ち込まれた。


 ——かに思えた。


 ヒットする寸前で、目標物が消失する。


 アイゼンドッグが目線を滑らせると、青年が間合いを取りながら、浮遊剣をこちらへと差し向けているのが見えた。


 縦横無尽。立体的な軌道を描く、金色の刃。


 幾重にも重なる剣線が、人間の知覚を超える速度でアイゼンドッグへと襲い掛かる。


「ぬぅ……!」

  

 飛び退き、回避しようとするが金色の光が追いすがった。


 足を止めずに。


 その全てを拳打でいなしながら、アイゼンドッグは思考を巡らせる。


 青年の浮遊剣は、数こそ多くはないものの、スピードは申し分無し。


 そしてなおかつ——。


 その時、アイゼンドッグへと飛来する二対の剣が、空中で重なったかと思うと一つの大剣へと変貌した。今までとは比べ物にならない威力に、防御した腕を弾かれ、アイゼンドッグは体勢を崩される。すかさず追撃の一手。無数に分裂した剣が、アイゼンドッグを乱れ撃った。


 至る所で、剣はめまぐるしく合体と分離を繰り返し、凄まじい勢いで加速していく。


 防御と回避に徹するアイゼンドッグの目の前で、唐突に、浮遊剣が弾けた。強い閃光が視界を奪う。反射的に繰り出した蹴打(しゅうだ)に、確かな手応え。辺りに轟音と衝撃波が響き、アイゼンドッグの脚撃と青年の浮遊剣が鍔迫(つばぜ)り合った。


 方や、巨大な鉄鉱石をも容易く蹴り砕く豪脚。方や、全ての浮遊剣を統合した巨躯の覇剣。両者のエーテルがせめぎ合い、激しく火花を散らす。


 力の拮抗は、意外にも呆気なく傾いた。アイゼンドッグが競り勝ったのだ。


 青年の浮遊剣が、バラバラに砕け散る。


 勝機とばかりに、アイゼンドッグは疾駆(はし)った。


 青年の攻撃手段は、中遠距離でこそ、その効果を最大限に発揮するもの。


 ならば選択肢は一つ。

 

 自ら死地へと飛び込み、死線を潜り、間合いを潰す。


 砕けた浮遊剣が瞬く間に復活し、怒涛の勢いでアイゼンドッグを狙い続ける中。


 彼は、時を圧縮する程の集中力を持ってその全てを見切り、ひたすらに前へと進撃する。


 しかして。


 アイゼンドッグの目論見は、青年が次に取った予想外の行動により、霧散することになる。


 躊躇うことなく、青年もまた前進してきたのだ。


 自ら間合いを捨てるのか——?


 アイゼンドッグの脳裏にそんな疑問が浮かんだのも束の間、青年の体が加速する。宙を舞う浮遊剣の中から、二本を掴み取り、二刀流の構え。流れるような動作でアイゼンドッグへと斬りかかる。


 そこはくしくも部屋の中心。


 群青色と金色の光が衝突し、凄まじい輝きを放ちながら、踊り狂った。


 青年が操る浮遊剣は、なおもアイゼンドッグを襲う。


 攻撃や防御の隙間に差し込まれる、傀儡の剣と青年の剣技に。


 音速を超越した激しい打ち合いを繰り広げながら、アイゼンドッグは得心する。


 なるほど——どうやら勘違いをしていたようだ。


 エーテルにより作り出した剣を、遠隔操作する。言葉にしてしまえば単純なこの行為も、戦闘に利用出来るほどの精密さと数を維持しようと思えば、本来なら、そのことにのみ集中しないと為し得ない程の能力だ。


 ならばこその接近。


 もちろん武器そのものの間合いもあったが、アイゼンドッグがこの選択をしたのは至極当然の流れではあった。


 しかし、そうではなかったのだ。


 これこそが、彼の真の戦闘方法(バトルスタイル)。


 本体(彼自身)も含めての刃。


 自らも剣を振るいながら、全ての浮遊剣を同時に操作し、間合いを支配する。


 まさしく変幻自在。


 それがどれ程の困難か。


 研鑽され、叩き上げられた神の如く御業を前に。


 アイゼンドッグの口元が、嬉々と歪んだ。


「ふははっ! はははははははは‼︎」


 体が歓喜に打ち震えていた。心が感動に呑まれていた。


 素晴らしい——‼︎


 青年がこの域に到達するまでに払った犠牲への惜しみない称賛と、一個の生命に対する限りのない尊敬。


 相手がその力を持つに至った、決して平凡ではなかったであろう、修羅の道。


 その全てに——感謝する。


 アイゼンドッグの笑みに、青年は無言で応える。

 

 互いに全身全霊。


 自らの存在を懸けて。


 男達は、僅か数分にも満たない間に、幾千もの拳(ちから)を交え——そして。


 人智を超越せし技の宴は、突然の終焉を迎えた。


 遺跡全体を揺るがすかのような、強いエーテルの奔流が突如として出現し、二人の感覚を震わせた。

 

 両者は、示し合わせることなく同時に間合いを取り、様子を探る。


 何が起きているのか。


 少なからずの困惑を見せる青年に対し、アイゼンドッグの中では既に明確な答えがあった。


 “救世主が、現世に再び降臨したのだ“。


 ならば——。


「やれやれ、残念ながら——ここまでのようだ」


 自分の役目は終わった。いつまでもここにはいられない。クライアントは存外、時間にうるさい。


 アイゼンドッグは言葉通りの心境で、肩を竦(すく)める。


「何……?」


 怪訝そうに眉を潜める青年に対し、背を向けて。


「また会おう。青年——いや、ライザ・テオドール。名乗り上げは終わっている。次に会った時は、約束を果たす。命を賭した——闘争だ」


 余韻すら残さず、アイゼンドッグは姿を消した。


 先程までの激闘が、嘘のように静寂。


 残されたライザの僅かなため息だけが、室内に溶けていった。


 

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