【Side:Eisenhund】
アイゼンドッグ・ラックにとって、戦いこそが全てである。
50年前、『魔女の黄昏』と呼ばれる弾圧戦争よりも遥か昔。人々が、人類の遺産である『遺物』の所有権を巡り、血で血を洗う争いが繰り広げられていた時代があった。
文字通り、戦場の最中にてその生を受けたアイゼンドッグは、物心ついた時から生きることが戦いそのものだったし、また両親のいない彼にとっては、戦争こそが何よりの肉親であった。
戦死者の屍肉を喰らい、身に付けているものを漁り、呼吸をするように人を殺した。
全ては生きる為に。
教養はいらなかった。
人を殺すのに知識はいらなかったからだ。
仲間はなかった。
群れは必ず裏切りと排他を生み、敵を内側にも作ることを見てきたからだ。
そこに善悪はなく、ただただ生き残る為に。
言葉すら理解せず、当時のアイゼンドッグをつき動かしたのは、生物としての本能のみだった。
戦いの度に、アイゼンドッグは過去を思い出す。
あの頃の、ひたすらに純粋で、ひたむきに繰り返した戦いの日々を。
大人になるにつれ、社会に適応するにつれ、余計なものが増えていった。
金、仕事、名誉。
戦いには、常に理由が付き纏う。
本来、己の力をぶつけ合うだけの戦いには、不必要なものばかり。
アイゼンドッグは望む。
純然たる闘争を。
矜恃など不要。
意義など無意味。
剥き出しの本能が織りなす、研ぎ澄まされた結び合いにこそ、至福の一時(ひととき)がある。
しかし。
アイゼンドッグが、そう願えば願うほどに、彼の望む闘争は彼から離れていった。
「現実とは、かくもままならないものだね——」
オルセアの街は中心、アミュゼポスタ遺跡にて。
アイゼンドッグは、憂いのため息を吐いた。
周囲にどこまでも広がる虚無の空間が、彼の虚しさに拍車を掛ける。
この地で課せられた任務。教団の長であるあの男に従事するふりをして、その実、とある少女を窮地へと追い込むこと。
もはや目的は達した。
少女は一人で友の元へと向かい、後は何も知らないあの男が都合良く役割を果たしてくれるだろう。
自分はただ、ここで少女の仲間である青年を足止めすればよかった。
救世主が再びこの世に降臨する、その時まで——。
「しかし、それでは些か面白味にかける」
「……何を言っている?」
突如肩を落とすアイゼンドッグの様子に、対峙する男が怪訝そうに眉を潜めた。
「いや、すまない。こちらの事情だ。水を差したね。戦いを、再開しようじゃないか」
相対する男の力は、まごうことなき一級品。見ただけで確信し、拳を交えて実感した。あの少女も稀に見る逸材ではあったが、この男はまた一つ次元を異(こと)にする。
ここまでの上物は、それこそ先の戦争における、あの『赤髪の魔法使い』以来であった。
アイゼンドッグの口元に、堪えようのない笑みが浮かぶ。
今はただ、この時間を大切に抱きしめようじゃないか。
アイゼンドッグは好敵手を見据え、拳を構える。
対する青年は、自らの得物である浮遊剣を周囲に漂わせながら、その切っ先をアイゼンドッグへと向けた。
両者の間に流れる張り詰めた空気。
やがて、どちらともなく。
彼等の靴底が、硬質の床を叩いた。
互いの合間は、距離にしておよそ20メートル。アイゼンドッグの全身が縮まると同時に、跳ねた。筋肉そのものがバネと言ってもいい彼である。自らの体を砲弾のような速度に変えて、一瞬で敵への間合いを詰める。
絶拳が唸った。ただの右ストレートも、アイゼンドッグが放てば、たちまち必殺の一撃と化す。纏うは、エーテルが持つ命の輝き。群青色の光が尾をひくアイゼンドッグの拳が、青年へと容赦なく打ち込まれた。
——かに思えた。
ヒットする寸前で、目標物が消失する。
アイゼンドッグが目線を滑らせると、青年が間合いを取りながら、浮遊剣をこちらへと差し向けているのが見えた。
縦横無尽。立体的な軌道を描く、金色の刃。
幾重にも重なる剣線が、人間の知覚を超える速度でアイゼンドッグへと襲い掛かる。
「ぬぅ……!」
飛び退き、回避しようとするが金色の光が追いすがった。
足を止めずに。
その全てを拳打でいなしながら、アイゼンドッグは思考を巡らせる。
青年の浮遊剣は、数こそ多くはないものの、スピードは申し分無し。
そしてなおかつ——。
その時、アイゼンドッグへと飛来する二対の剣が、空中で重なったかと思うと一つの大剣へと変貌した。今までとは比べ物にならない威力に、防御した腕を弾かれ、アイゼンドッグは体勢を崩される。すかさず追撃の一手。無数に分裂した剣が、アイゼンドッグを乱れ撃った。
至る所で、剣はめまぐるしく合体と分離を繰り返し、凄まじい勢いで加速していく。
防御と回避に徹するアイゼンドッグの目の前で、唐突に、浮遊剣が弾けた。強い閃光が視界を奪う。反射的に繰り出した蹴打(しゅうだ)に、確かな手応え。辺りに轟音と衝撃波が響き、アイゼンドッグの脚撃と青年の浮遊剣が鍔迫(つばぜ)り合った。
方や、巨大な鉄鉱石をも容易く蹴り砕く豪脚。方や、全ての浮遊剣を統合した巨躯の覇剣。両者のエーテルがせめぎ合い、激しく火花を散らす。
力の拮抗は、意外にも呆気なく傾いた。アイゼンドッグが競り勝ったのだ。
青年の浮遊剣が、バラバラに砕け散る。
勝機とばかりに、アイゼンドッグは疾駆(はし)った。
青年の攻撃手段は、中遠距離でこそ、その効果を最大限に発揮するもの。
ならば選択肢は一つ。
自ら死地へと飛び込み、死線を潜り、間合いを潰す。
砕けた浮遊剣が瞬く間に復活し、怒涛の勢いでアイゼンドッグを狙い続ける中。
彼は、時を圧縮する程の集中力を持ってその全てを見切り、ひたすらに前へと進撃する。
しかして。
アイゼンドッグの目論見は、青年が次に取った予想外の行動により、霧散することになる。
躊躇うことなく、青年もまた前進してきたのだ。
自ら間合いを捨てるのか——?
アイゼンドッグの脳裏にそんな疑問が浮かんだのも束の間、青年の体が加速する。宙を舞う浮遊剣の中から、二本を掴み取り、二刀流の構え。流れるような動作でアイゼンドッグへと斬りかかる。
そこはくしくも部屋の中心。
群青色と金色の光が衝突し、凄まじい輝きを放ちながら、踊り狂った。
青年が操る浮遊剣は、なおもアイゼンドッグを襲う。
攻撃や防御の隙間に差し込まれる、傀儡の剣と青年の剣技に。
音速を超越した激しい打ち合いを繰り広げながら、アイゼンドッグは得心する。
なるほど——どうやら勘違いをしていたようだ。
エーテルにより作り出した剣を、遠隔操作する。言葉にしてしまえば単純なこの行為も、戦闘に利用出来るほどの精密さと数を維持しようと思えば、本来なら、そのことにのみ集中しないと為し得ない程の能力だ。
ならばこその接近。
もちろん武器そのものの間合いもあったが、アイゼンドッグがこの選択をしたのは至極当然の流れではあった。
しかし、そうではなかったのだ。
これこそが、彼の真の戦闘方法(バトルスタイル)。
本体(彼自身)も含めての刃。
自らも剣を振るいながら、全ての浮遊剣を同時に操作し、間合いを支配する。
まさしく変幻自在。
それがどれ程の困難か。
研鑽され、叩き上げられた神の如く御業を前に。
アイゼンドッグの口元が、嬉々と歪んだ。
「ふははっ! はははははははは‼︎」
体が歓喜に打ち震えていた。心が感動に呑まれていた。
素晴らしい——‼︎
青年がこの域に到達するまでに払った犠牲への惜しみない称賛と、一個の生命に対する限りのない尊敬。
相手がその力を持つに至った、決して平凡ではなかったであろう、修羅の道。
その全てに——感謝する。
アイゼンドッグの笑みに、青年は無言で応える。
互いに全身全霊。
自らの存在を懸けて。
男達は、僅か数分にも満たない間に、幾千もの拳(ちから)を交え——そして。
人智を超越せし技の宴は、突然の終焉を迎えた。
遺跡全体を揺るがすかのような、強いエーテルの奔流が突如として出現し、二人の感覚を震わせた。
両者は、示し合わせることなく同時に間合いを取り、様子を探る。
何が起きているのか。
少なからずの困惑を見せる青年に対し、アイゼンドッグの中では既に明確な答えがあった。
“救世主が、現世に再び降臨したのだ“。
ならば——。
「やれやれ、残念ながら——ここまでのようだ」
自分の役目は終わった。いつまでもここにはいられない。クライアントは存外、時間にうるさい。
アイゼンドッグは言葉通りの心境で、肩を竦(すく)める。
「何……?」
怪訝そうに眉を潜める青年に対し、背を向けて。
「また会おう。青年——いや、ライザ・テオドール。名乗り上げは終わっている。次に会った時は、約束を果たす。命を賭した——闘争だ」
余韻すら残さず、アイゼンドッグは姿を消した。
先程までの激闘が、嘘のように静寂。
残されたライザの僅かなため息だけが、室内に溶けていった。
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