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少し時間は進み、わたし達は繁華街から少し離れた小高い丘を登っていました。坂道を越え、階段を踏みしめ、丘の頂上を目指します。そこに建っているという、穴場の宿屋を目指して。
経緯としては、当初予定していた宿泊施設がいっぱいで、そこの方に別の宿を紹介してもらった形になります。
見晴らしがいい道中でした。周りに建物はなく、段々になった畑が広がっています。視界を遮るものがないので、振り返ると街が一望できました。夜の闇を貫くような街の中心地の明かり。住宅地や公共区、工業区らしき所まで、雨後の竹の子のように背の高い建物が乱立し、技術の灯火が贅沢に燃えていました。
言わばこの街は、機械文明の象徴。
では何故、魔法の存在を掲げるクレプス教団は、そんな街の地下に拠点を構えているのでしょうか。
魔法を復活させる——。
はたして、そんなことが可能なのか。
そしてそのことを、あの変態(ザルディオ)が、教団内にも秘匿する理由は?
魔法を蘇らせ、教団の勢力を拡大させるのが目的ならば、むしろ大々的に大義名分として掲げても問題は無さそうでしょうに。その方が信者の心象を掌握し、組織内での立場をより強固なものに出来るはず。
それをしない理由——考えられるのは、ザルディオの目的と、教団の目指すところが違う場合。
魔法文明を復権させ、教団の勢力を拡大する——それが教団の目的であるとするならば、当然ザルディオが魔法の復活を画策(かくさく)するのも、その為だとわたしは考えたのですが……それが、間違いだとしたら?
はたして彼は、どこを見て、何を成(な)そうとしているのか。
今のところ体に異常はありませんが、わたしは一体、何をされたのでしょうか。
不確定要素と不安要素は、いくらでも沸いてきました。黒いモヤが心に蓋をし、頭の片隅をウジ虫のように蝕(むしば)むのです。
逃げたい。今すぐに。どこか遠くへ。あの男の手の届かない所へ。
けれど——それは、出来ないのです。
フィアリスちゃん、そしてライザ。わたしには、自らの保身の為だけに捨てることの出来ないものが、たくさんあります。
「…………」
手を繋いで歩いていたフィアリスちゃんが、こちらをじっと見ていました。何かを言いたそうに口を開くのですが、どうやら息が上がって、うまく言葉が出ない様子。考え事をしながら歩いていたので、不覚にも、彼女の状態に気を配るのを失念してしまっていました。
ずっと、歩きっぱなしでしたので、フィアリスちゃんの小さな体では疲労が溜まるのは当然です。気付けなかった自分を叱責し、わたしは提案します。
「少し、休憩しましょうか」
ちょうど階段脇のちょっとした広場に、休憩用のベンチが設置されているのを発見しました。
二人で座り、一息つきます。
しばらくして、フィアリスちゃんが繋いでいた手を離し、真剣な面持ちで口を開きました。
「エルルに、聞きたいことがある」
「? なんでしょうか、改まって」
そのただならぬ雰囲気に、わたしは居住まいを正します。
「エルルは、例えばだけど——自分が秘密にしている日記を、勝手に覗かれたら、どう思う?」
「えっと——それは、何かの例えでしょうか」
脈絡のない問い掛けに、わたしは少し戸惑ってしまいました。
「とにかく、そのままの意味でいいから、答えて」
「うーん……それはまあ、嫌ですけど」
古来から、乙女の日記には嬉し恥ずかし桃色の秘密が綴られているものですしね。あるいは、ブラックホールよりも暗い禁忌なども添えて。
パンドラの箱とでも揶揄(やゆ)すべき手記を、誰しもが抱えていたことがあるのではないでしょうか。
思春期を迎える時分には、特に。
「そう……」
フィアリスちゃんは、何故か酷く落胆したような、それでいて何かを諦めたかのように目線を伏せました。そして、俯いたまま消え入りそうな声で言うのです。
「エルル。私は——」
しかし——そんな彼女の言葉は、ふいに鳴り響いた大きな音に、かき消されてしまいます。
火薬の炸裂したような音。思わず視線を空へと向けると、夜空をバックに、光の花がぱっと弾けていました。
「花火——」
どうやら本日の祭りは、もう終わりのようで。祭りのシメといえば、やはり古来から花火と相場が決まっているのでしょう。
間髪置かず、次々と打ち上がる花火達。手を替え品を替え、色が、形が、大きさが、千変万化するその様子は、至高の職人芸が詰まった、見るものを夢見心地へと誘う極上のエンターテインメント。
それを映す背景も秀逸でした。この街の星空は人工的なものなので、プラネタリウムのような絢爛(けんらん)さを放っています。そんな中を、矢継ぎ早に咲き乱れる花火は、何とも言えない風情と神秘さがありました。
星空と花火。互いの良さを引き立て合い、高みへと昇華するその芸術は、人の目を奪い、そして心を奪います。
いやもう、本当に、ただの一言しか感想は浮かびませんでした。
「綺麗——」
フィアリスちゃんが、感嘆の声を漏らします。空を見上げる瞳の中では、世界が輝いていました。きらきらと。星屑が、火枝が、溶け合い、彼女の心の隙間を埋めるように染み渡ります。
暗い地の底。物心ついた頃から、閉じ込められ、蓋をされ、およそ幼子(おさなご)が与えられて当然のものは得られず、自分が何者なのかすらも分からず。
フィアリスちゃんは今、失われた時間を取り戻しているのでしょう。そしてこれからの未来を積み重ねていく——彼女には、その権利があります。
わたしに出来ることは、あまり無いのかもしれません。
それでも、ほんの少しでも、わたしが師匠に貰ったものを、フィアリスちゃんにも上げられたのならば。
それは、とても意味のあることです。
受け継いでいくこと。
繋ぐこと。
それが、人の使命。
生きる意味だと、わたしは思うわけですよ。
やがて、夢のような時間も終わりを告げます。
余韻に浸りながら、フィアリスちゃんは、ぽつぽつと言葉を紡ぐのでした。
「楽しかった。綺麗だった。お祭りも、花火も、エルルいると、私は色々なことに出会う。そしてたぶん、エルルといるから、私はこんなに嬉しいんだ」
彼女の言葉は、静かな確信に満ちていました。
「でも——だからこそ、私はエルルに言わなきゃならないことがある」
迷いと決意が複雑に絡み合った眼差し。
「私の——『力』のこと。忌々しくも、揺るぎない事実。いみじくも、逃れようのない現実。私が、私を、人でなしだと定義する所以(ゆえん)」
揺れる視線。光を閉じ込める瞳は、人を映す鏡のようなものだと、わたしが感じたのは気のせいではありませんでした。
重い沈黙、永遠のように感じる刹那。
紅い唇がゆっくりと持ち上がり、
「私には——″人の心が読める力″がある」
唱えられたのは、呪いにも似た言葉でした。
「正真正銘の——化け物なんだ」
物理的な質量を伴っていると錯覚する程に重い、フィアリスちゃんの告白。
「そんな、馬鹿なことが——」
あるわけがない。その言葉を、わたしはすんでのところで呑み込みます。
思い当たる節が、いくつもありました。
初めてあった時のこと。施設脱出の際の暗証番号。節々の言動と反応。むしろわたしは、心のどこかでなんとなく気付いていたのでしょう。ただ、目を背けていただけで。そんなことあるはずが無いと常識にとらわれて、“自分が置かれた状況“を、この幼くなった体を棚に上げて、この世には『遺物』と呼ばれる夢物語が存在すると、誰よりも知っていたはずなのに。
「……対象者に″触れることによって″、思考を読み取る。いつからこの力を持っていたのか分からない。気付いた時には、声を耳で聞くかのように、自然に、私は人の意識を理解していた」
いつの間にか——わたし達の手は、離れてしまっていました。
フィアリスちゃんは泣いているようにも見えました。彼女は笑っているようにも見えました。けれど、それはただの気のせいで。
そこにあるのは、ただただ——
「今は、エルルの手を握るのが、怖い」
悲痛な、叫びでした。
儚げで、今にも消えてしまいそうなフィアリスちゃん。
自分のトラウマを、嫌なところを、相手にさらけ出した時の恐怖たるや、とても平静ではいられない程に大きく。
ましてや、相手の心象——彼女はそれを、ダイレクトに感じることができてしまう。
フィアリスちゃんの懺悔のような告白は、続きます。
「この力で、私にはザルディオから与えられた教団内での役割があった。現実にうちのめされ、世界から見捨てられた迷える子らを、信者へと引き込むこと——引きずり落とすこと。私の力は、言葉なく彼等を理解し、彼等が望むだけの言葉を紡ぐことができる。それは弱った心に染み渡り、やがて判断力を緩やかに腐らせていく。人は、私を聖女と崇め、教祖とかしずき、その全てを教団へと捧げるようになるの。人の心の弱みにつけこんだ、人心掌握——それが私の仕事。それが私の罪。私の手は——どうしようもなく汚れている」
人が追い詰められた時、最も望むものは何でしょうか? もちろん、辛い現実を瞬く間に解決してくれるヒーロー的な打開案です。けれど残念ながら、理不尽の塊、不条理の坩堝(るつぼ)であるところの現実世界においては、往々にしてそんなものは存在しなくて——ならばこそ、人は理解者を求めるのです。
己が置かれている辛い現状を真に理解し、己が望む言葉を優しく共感し、己が傷を正しく共有してくれる、そんな都合の良い存在を。
「でも、それは——」
言葉が口をつこうとしましたが、わたしを遮るようにしてフィアリスちゃんは言います。
「私のせいで、たくさんの人間の人生が狂った。教団の下卑た男達の為に、自らの娘を差し出した母親がいたわ。教団への献金を得る為に、妻を売る夫がいたわ。教団の役に立てなくなった信者は、自殺するか、家族諸共無理心中するか、犯罪に走るか。何人も死んだ。誰もが狂った。私の言葉で、私の力のせいで」
「……フィアリスちゃんのせいでは、ないでしょう」
冷たい言い方をすれば、自己の在り方を他人に“すがった“時点で、どうなろうがそれは
ただの自己責任です。
そんなものに巻き込まれるほど、馬鹿らしく不条理なことはないでしょう。
フィアリスちゃんが憂いているのも、きっと——
「私が、存在しなければ、不幸にならなかった人がいるのは事実。信者の家族……何の罪もない子ども達。会ったこともない、けれど確かに存在していた人達」
「その背負い方は……駄目ですよ」
その思考の迷路に嵌(はま)ってしまえば、行き着く出口(さき)は一つしかないのです。
——自分さえ、産まれて来なければ——
わたしも。
何度、そう思ったことでしょう。
「……フィアリスちゃんが、教団から脱出したかったのも、そういった事情があったのですね?」
フィアリスちゃんは、静かに頷きます。
「私は、逃げたかった。どうすればいいか分からなかったから。ザルディオのせいにしても、他人に罪を転嫁(てんか)しても、現実から目を背けても、諦めてみても、心は全然楽にならなかった。私が私の意志で、私の罪と向き合う術を、私は知らなかった」
まだ幼い少女が背負うには、あまりにも大きな罪。
それを償う為の手段など持てず、赦せるだけの自己も確立出来ず、ただ現実という名の冷たい氷の下で、死んだように生きるしかない——。
「そして何より——私は、怖かったの。私が視る大人達の心は、現実への悲しみと、世界への憤(いきどお)りと、人への恨みに満ちていた。物心ついた時には地下にいたから、私は彼等を通して世界というものを、人というものを学んだ。ふと——ある時自分の心に、信者達の悪意をどろどろに煮詰めたような何かが満ちているのを感じて、まるで自分が自分ではない何者かになってしまうかのような感覚が、胸を溶かし始めた」
人は、自分の心とすらまともに向き合えず、自らの心ですら抱えきれない生き物です。普通の人間ならば、他人の感情や思考まで取り入れようとすれば、容易く壊れてしまうでしょう。
フィアリスちゃんにとって真に不幸だったのは、それに耐えられるだけの強さを生まれ持ってしまったことでした。
けれど、この子はまだ、子どもなのです。
子どもが大人や自身が置かれた環境に受ける影響というのは、あまりに大きく。
閉鎖された環境、囚われの世界。大人達のおぞましい狂気やドス黒い欲望に晒され、感情という名の宇宙にも似たプールに溺れ、フィアリスちゃんは何を感じ、何を思ったのでしょうか。
ああ——なるほど。
わたしは分かってしまいます。
フィアリスちゃんが辿り着いた答え。
痛みと傷みに蝕まれたバグのような心理。
この世界に存在する全ての有機物の中で、人間しか持ち得ない真理。
それは、わたしがかつて抱いた——
「だから私は——死ぬことにした」
全てを、解決へと導くかのようにも思えるロジックでした。
フィアリスちゃんの消え入りそうな視線が、空へと向けられます。
「最後のわがまま。一度もこの目で見たことのない青空……見たかった。暗い地の底で死ぬのは怖かったから。死ぬなら、せめて青空の下で——死にたかった」
それが、理由。
本当の——根底にあった、動機。
罪があって。
許されない罪だけがあって。
贖罪の方法が分からず。
罰を受けたくて。
赦されたくて。
けれど、どうしようも無いから。
辛いから。
痛いから。
悲しいから。
死にたく——なった。
逃げ出したかった。
今、わたしの目の前にいるのは、フィアリスちゃんであり、過去のわたしでもあるのだと、ひどく自覚します。
わたしは、師匠に出会って、救われた。絶望の海から、掬い上げられた。
ならば、わたしが、彼女にしてあげられることは——?
こんな時、どんな言葉を掛けてあげればいいのでしょうか?
未だに、過去の自分とさえ向き合えていないわたしに、過去を乗り越えられてすらいないわたしに、はたして、そんな資格があるのでしょうか?
フィアリスちゃんが、こちらを見ていました。
その表情には、変わらず何も無くて。
けれど、気のせいなんかじゃない。
彼女は、泣いていました。
彼女は、泣きながら嗤(わら)っていました。
心が泣いていて。
罪深い自分を、嘲笑っているのです。
「私は、たくさんの人を不幸にして、たくさんの人をないがしろにして、たくさんの人に辛い思いをさせて、たくさんの人を傷付けて生きてきた。でも——本当に罪深いのは……そんな私が、恥知らずにも今、全く別のところで、一番辛さを感じていること」
フィアリスちゃんが、手の平をこちらに伸ばしてわたしに触れようとします。
しかし、その手は虚しく空を切りました。
わたしに触れるか否かの寸前で、力無く垂れ下がります。
わたしは、動けませんでした。
「私は今、エルルを——エルルの気持ちを裏切ってしまったことが、ひたすらに、辛い」
「わたしを……?」
裏切った?
「私は、ずっとずっと、エルルの心に触れていたから。短い付き合いだけど、出会ったばかりだけど、エルルは私のことを、ちゃんと大切に思ってくれていた。初めてだった。産まれて初めて、私のことを、そんな風に思ってくれる人が現れた。嬉しかった。本当に、嬉しかった。それなのに——私は、エルルが手を繋いでくれているその間も、エルルの心を覗いていた……一方的に、断りもなく。それは裏切りだ。酷い裏切りだ。人の心を踏みにじる行為なんだ。本当は、すぐに言うつもりだった。でも、言えなかった。エルルが、いい人だったから。エルルのこと、好きになってしまったから。怖かった。この力のこと、エルルに知られて、嫌われるのが。見捨てられるのが、怖かった」
フィアリスちゃんの目頭から、何かが溢れ落ちました。
本来人は——心を読む力など無くても、他人のことを理解出来るはず。そう錯覚してしまう程に、彼女の感情がダイレクトにわたしの中へと流れ込んできます。
わたしは、師匠とは違う。
人に生きる意味を与えれるくらい立派な人間でもなければ、強くもない。
弱い。
弱くて、小さくて、脆い人間。
けれど。
いや、だからこそ。
「フィアリスちゃん」
わたしは、静かに口を開きました。
そして、彼女へと手を伸ばします。
フィアリスちゃんの体が、びくりと震えました。それでも構わず、彼女をそっと抱き寄せます。
「え、エルル? 何して——私に触ると—」
フィアリスちゃんの小さな頭を胸に抱きながら、わたしは言うのです。
「あなたの悩みは、あなたの苦しみは、あなただけのものです。わたしが肩代わりしてあげることは出来ません。わたしは万能の神様でもなければ、胡散臭い聖職者でもないのです。したり顔で、我が物顔で、高説を授けることも出来なければ、あなたの罪を赦してあげることも、あなたに罰を与えてあげることも出来ません」
人が、人を救うというのは、きっと言うほど綺麗ごとではないのです。
どんなに素晴らしい言葉も、どんなに優しい慰めも、どんなに強い光も、結局のところは、受け取る側次第。ほんの小さな一歩を踏み出せるかどうかは、自分自身が決めるしかありません。
しかし——ならば、人が人に寄り添う行為は、全くの無駄だというのでしょうか。
わたしは、そうは思いませんでした。
母が死に、父は父でなくなり、師匠に拾われ、レーヴァと契約し、クリフさんをはじめ色々な人と関わり、ライザと出会って、こうしてフィアリスちゃんと触れ合っている。
その全てが、無意味だったなんて、絶対にあるはずがないのです。
わたしは確かに、彼等あるいは彼女達から、たくさんのものを貰ったのですから。
「ですが——あなたが辛い時、悲しい時に、こうして抱いてあげることは出来ます」
それでも、ずっと一緒にいられるわけではありません。
常に、寄り添うことは出来ないでしょう。
けれど、温もりを通じて繋がれた心は、その人の一部になって生き続ける。
いなくなってなお。
死してなお。
わたしは、師匠にそのことを学びました。
腕の中でフィアリスちゃんが嗚咽を漏らしているのが分かりました。苦しくないよう、彼女の肩に手を添えて、顔を離してあげます。
わたしは、涙でくしゃくしゃになったフィアリスちゃんの顔を覗き込みながら、はっきりと断言します。
「あなたは、強い子です」
だって——人の汚いところを見て、世の中の醜いところを感じて、それでも、わたしをこうして信じてくれているじゃないですか。
歪まず、捻くれず、外れず、違(たが)わず、自分の行いを後悔して、傷付き続けている。
そんなあなたを、わたしは尊敬します。
「あなたは、誰よりも強くて、優しい子ですよ。そんなあなたと、友達になれて、わたしは誇りに思います。わたしは——嘘を吐いていますか?」
フィアリスちゃんが、首をふるふると横に振ります。ふわふわの銀色の髪が、とても綺麗に揺れていました。
「でも、私は……」
「——少し、昔話をしましょうか」
今度は、わたしの番です。
あなただけに、怖い思いはさせません。
それは、どこかの少女の喜劇。
それは、いつかの少女の悲劇。
弱くて、泣き虫で、みすぼらしい少女の物語。
母を、この体で殺したこと。
父を、″この手で殺した″こと。
物を盗み、人を傷つけ、必死に生きたこと。
フィアリスちゃんに聞かせるのは、絵に描いたような、ありふれた、どこにでもある御伽噺。
「こんな罪深いわたしは、フィアリスちゃんと友達でいては、駄目なのでしょうか?」
フィアリスちゃんの濡れそぼった瞳が見開かれたかと思うと、溢れる感情そのものを堪えるように目を強くつむり、必死に首を横に振ります。
「う——うぅぅぅぅ、そんな、こと、ない——!」
わたしは、彼女の白銀の髪を撫でます。
「ありがとうございます。わたしも、同じ気持ちですよ」
フィアリスちゃんのことを怖がるなど、嫌うなど、あるはずがありません。
絶対に、あなたのことを、見捨てたりはしません。
わたしは、右手の小指をフィアリスちゃんに向かって差し出します。
「東方由来の契りですよ。約束です。フィアリスちゃんが辛かったり、苦しかったり、迷ったりして、どうしようもない時は、わたしが必ず助けに行きます」
絡まる小指。細く、小さな、互いの指。
指切り。
拭われた涙。決意に満ちた、黒曜石の瞳。
「私も——いつか、エルルみたいに強くなって、エルルのことを助けたい。自分の力と、向き合いたい」
わたしは、彼女が言うほど強い人間ではありません。
しかしながら、思うのです。
この子の前では、強者でいようと。
強く、あろうと。
本当は弱いけれど、強いふりをしようと。
そう、決意します。
「約束ですよ」
「うん、約束する」
満天の星空の下。
浮かび上がる少女は、神秘的で、とても美しく。
ともすれば、天から舞い降りた本物の聖女のようで。
ですが、わたしは知っています。
ここにいるのは、ただの普通の少女なのだと。少しだけ不思議な力があるだけの、小さな子どもなのだと。
大人として、子どもと交わした約束は、守らねばなりますまい。
絶対に。
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