【Side:Elulu】
背中を叩くような凄まじい衝突音。その衝撃に後押しされながら、わたしは通路を疾走します。
その時ふいに。
『体の調子はどうじゃ?』
頭の中で、レーヴァが言いました。
いつも矍鑠(かくしゃく)とした彼女にしては珍しく、落ち着いた声音でした。労(いたわ)るような優しさすらあります。
「正直な話、かなりご機嫌ですね」
昨夜の襲撃の際には、エーテルの殆どを使い切っていました。この体が抱える明確な弱点。幼女化の影響。今のわたしは、元の体だった頃と比べると、エーテル保有量が極端に少ない状態にあります。全力で戦闘を行える時間は著しく限られ、また回復もし辛いという二重苦。睡眠(きぜつ)で得られた回復は、全快時の70%程でしょうか。また、傷は魔法で完璧に治癒しているとはいえ、体力はそういったわけにもいかず、体の芯には無視出来ない気怠さが沈殿しています。
わたしは、自嘲気味に笑いました。
「どれだけ奮起しても、言い訳はいくらでも浮かびます」
『現実を見るのはいいことじゃと、ワシは思うがの』
「そうですね、その通りです。出来ることと、出来ないこと。意気込みだけでは決して越えられない壁。けれど——わたしは知りました。人には、それでも、戦わなければならない時があるのを」
出来るかどうか、勝てるかどうか、ではなく。現実を知ってなお、理不尽に直面しても、不条理に押し潰されようが、それでもと歯を食いしばり、立ち上がり、立ち向かい、抗わなければならないのです。
精一杯——“生一杯“、命の限り。己の存在、その全てを懸けて。
何の為に?
時には、己の矜恃の為に。
時には、大切なモノの為に。
それでも、人は、困難へと臨(のぞ)む。
『……それでも、ワシは、主様に死んで欲しくはない』
わたしの言い回しに乗っかり、拗ねたように相棒が言いました。裏表のない彼女の気持ちが、ダイレクトに伝わってきます。
『あのムキムキ神父に、主様が痛め付けられている合間、無いはずの心臓が握り潰されるかのような心地じゃった……。何も出来ん己の無力さをどれだけ呪ったことか。あのような思いは、もうしとうない……』
随分としおらしく、涙ぐむレーヴァを、わたしは微笑ましく思い、くすりと笑いました。
「大丈夫ですよ、死ぬ気など毛頭ありません。幸せをなことに、わたしの周りにはそれを良しとしないお節介さん達が、いてくれるので」
ロリコンの仲間とか、老婆心に溢れる相棒、女好きの変態。少しだけ、ほんの少しだけ特別な力を持った、大切な友達も。
今のわたしは、いたずらに自らを傷つけようとは思いません。自らの贖罪の為だけに行動するには、いつの間にか、この小さな手の中には、決して手放したくはない温もりで溢(あふ)れていました。
命を捨てるということ。
命を懸けるということ。
似ているようで、全く違う言葉遊び。
結果は、はたして同じなのでしょうか。
投げ出すのではなく、失わない為に。
いつだってそこには、逃げられない戦いがあるだけなのです。
手に握ったままの相棒に向かい、わたしは言います。
「それに、勝算が全くないわけではありません。いざとなったら、『切り札』を使います」
レーヴァに備わった機能は、いくつかあります。一つは、変形機構。携行に便利な石モードと、戦闘に使用する剣モードを即座に切り替えられる、武器としての機能です。もう一つが、収納機構。理外の異次元区間をその身に内包し、物理法則を無視して物の出し入れが出来る、本来であれば武器庫としての機能。
そして、最後に——わたし達が、切り札と表(ひょう)する秘中の秘。
「暖気(ウォームアップ)をお願いします。準備が整うまで、なんとか持ち堪えてみせますよ」
『了解じゃ。ワシも、あの変態(おとこ)には一泡吹かせてやりたい。準備に専念する。我等の力、存分に味合わせてやろうぞ』
それは、ある意味で人道に反した機能(おくのて)であり、何故、無機物であるはずの遺物に、“レーヴァという人格が存在するのか“——その答えでもあります。
|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》。
彼女に託されたのは、遥か過去、時の彼方に消えた、哀れな先駆者達の切なる願い。祈りとも言える、残響。
「行きますよ、レーヴァ。生きる為に、そして友を助ける為に」
『うむ、主様。既に朽ち果てた我が身、どこまでも共に』
そして通路が終わり、舞台はついに最終局面へと移行します。
————
長い通路を抜けた先に待っていたのは、異空間とも呼べる奇抜な場所でした。
満天に広がる、青空。
屋内を走っていたはずなのにと、頭が混乱します。
外へと、通じていたのでしょうか——否。わたしは、この感覚を知っています。天候再現装置。ここが、そのコントロールルームであるということは、不思議と理解出来ました。
空中に投影される、多数のモニター。それぞれには、何らかのコンディションを表すゲージが映し出され、メーターがあちこちで目まぐるしく変化していっています。中には、ペイルローブの様子を映したものもあり、それらが管理モニターの役割を担うのだということは、容易に想像がつきました。
足元の白い床には、マス目が描かれ、キューブが積み上がったかのような不可思議な柱が至る所に乱立していました。
柱の影から、信者達が次々と姿を見せます。足取りは、まるで古典映画に登場するゾンビのよう。一階の兵士達と同じく、操られているのでしょう。
「やはり、来ましたか。待っていましたよ、
私の|金ヅル《女神》」
忌まわしき声がした先には、奴がいました。周囲よりも頭ひとつ高い柱の上に設置された、玉座のような椅子に足を組み仰々しく腰掛け、こちらを見下ろしています。
悟られぬよう、拳を強く握りました。
「気の利いた言い回しのおつもりでしょうけど、残念。気持ち悪い上に、本心が透けて見えるんですよ」
くすくすと、わたしは笑います。
「そんなに高いところに座って、気分は御山の大将といったところですか? 実にお似合いですね。それに結構なキメポーズをとってらっしゃいますけど、その格好、辛くはありませんか? まさか、わたしがここに来るまで、ずっとポーズを取ってお澄まししていたわけではありませんよね? わざわざ信者達を柱の影に待機させてたことといい、ラスボス感を演出してくださったようで。ああ、知らなかった! カッコつけって、たくさんの仕込みの上に成り立っているのですね!」
わたしの口撃に対し、ザルディオは優しく微笑みました。そのおぞましさに、ぞくりと、背筋が震えます。
「とても攻撃的だ。少し早口で、声が震えている。口数も多い。——怖いんですね?」
正鵠を射られ、わたしは歯を食い縛ります。
どんなに意気込もうと、どれだけ決意しようが、いざ実物を前にすると、わたしの体はどうしようもなく竦(すく)むのでした。
怖い。あの時の記憶がフラッシュバックし、理性の遥か奥底で、本能がずっと警告を発しています。
逃げろと。遠ざかれと。目を背けろと。
恐怖に屈し、傷跡に跪き。
分かりきっていたことですが、いい加減自分が情けなくて泣けてきます。
わたしは、全身に力を入れ、無理矢理震えを押さえ込もうとしました。
例えそれが欺瞞でも、誤魔化しでも、ただの強がりでも。
恐怖を捻じ伏せ、己を叩き上げ、本能を叱咤し、わたしは不敵に笑います。
「さあ、フィアリスちゃんはどこですか? あなたになど微塵も興味はありませんが、彼女は返してもらいます!」
精一杯の啖呵(たんか)。しかし、ザルディオは全く動じません。諭すような声音が、降り注ぎました。
「返す? おかしなことを言いますねえ。あれは私の娘ですよ。つまり、私の所有物だ。私だけの物。子として産まれたからには、親に尽くす義務があるとは思いませんか?」
「そんなわけ——ないでしょう! ふざけるのも大概にしなさい!」
そんな馬鹿げた理屈だけは、認めるわけにはいきません。子が親の所有物? 絶対に、あり得ない!
「乱暴な物言いですね。逆に好感が持てますよ。ああ、もちろん嫌味ですけどね?」
暖簾(のれん)に腕押し、柳に風といった様子でザルディオが前髪を掻きあげます。鼻につく動作でした。
「それに——親としては、娘の意思を尊重してあげたく思います。ねえ、フィアリス?」
「はい、お父様」
彼女の声が聞こえてきた方に視線を向けます。いつの間にか——ザルディオが座る柱の根本の傍に、フィアリスちゃんが立っていました。
美しく着飾ったドレス姿。童話の中から飛び出したかのような姫君。表情は、どこか虚(うつろ)で。操られている……? いや、瞳はこちらを映していました。
「フィアリスちゃん!」
わたしの呼び掛けに、フィアリスちゃんの目が僅かに見開かれます。やはり、意識はある。
「どうして……」
フィアリスちゃんの元へ向かおうと足を踏み出したわたしを止めたのは、絞り出したような彼女の声でした。
「どうして、来てしまったの……?」
「あなたを助けに来ました! さあ、わたしと一緒に帰りましょう!」
手を伸ばすわたしを見て、フィアリスちゃんが何とも言えない表情をします。唇をぎゅっと結び、泥のような瞳に悲しさとすがるような思いを乗せて、やがて彼女は口を開きました。
「帰る場所なんて……ない。私には、教団以外に、居場所なんてないのだから」
消え入りそうに。
いや、いっそ消えてしまいたいと思っているのかもしれません。
わたしは——その気持ちを、知っているが故に、言葉に詰まりました。
自分の居場所。大人ならば、それは自分で作るべきものです。しかし、忘れてはいけないのが、彼女はまだ、ほんの子ども。与えられて然るべき。ならば、わたしが彼女にできることとは——?
どう答えればいいのか、どんな言葉を掛ければいいのか、逡巡(しゅんじゅん)してしまいます。
その間、ザルディオはわたし達を冷ややか目で見下ろしていました。顔は笑っているのに、目の奥が死んでいる——気持ちの悪い表情。
「フィアリス」
ザルディオの一刺しに、フィアリスちゃんの体がびくりと震えます。
「いつまで、もたもたしているんですか? まさか、“約束“を忘れたわけではありませんよね? さあ、貴女の素直な気持ちを、その愚かな少女に伝えてごらんなさい?」
怯えた様子で下を向くフィアリスちゃん。それも僅かな時間。再び顔を上げた彼女の表情は、冷たい決意に満ちていて。まるで出会ったあの時のように濁った視線を、わたしへと向けてきます。
「帰って。誰も、助けてなんて言っていない。私は、教団の為に働く。私は、教団の為に生きていく。私は、ザルディオの為に、存在している。貴女なんか——知らない」
「そん——な」
彼女の言葉が、わたしに重くのしかかります。体に力が入らず、手に持っていたレーヴァが、急激に重量を持ったかのような錯覚を覚えました。
その様子を見て、ザルディオが愉快そうに顔を歪めます。
「私も、これからはよき父親になろうと思いましてね。娘の意思は、出来る限り尊重してあげなければと、そう思うわけですよ。この青空だってそうです!」
天を仰ぎ、彼は絶頂を極めるのでした。
「我が娘が望む青空を再現してみたのですよ! ペイルローブ遺跡の根幹ともいえる天候再現装置——当初は破壊してしまう予定でしたが、こちらのコントロール下におけると分かった今、いくらでも用途は思い付きますね! 未来は明るい! この空のように‼︎」
遺跡のシステムを掌握した——? そんなことが、はたして可能だというのでしようか。現代の先史文明研究学では、当時のシステムに介入したり、書き換えたりは、禁忌(タブー)であるとされています。当時のマニュアルは電子の海へと消失し、操作方法が分からないまま触れて損失すれば、取り返しがつかないから。遺物などの一部の機能実験や、ペイルローブのように、稼働し続けている遺跡機能をそのまま転用する場合等を除き、基本的にはそれらは不可侵の領域なのです。
いや、今はそんなことより——。
わたしは何とか頭の中にかかるモヤを払おうと、頭を振ります。
フィアリスちゃんの真意を確かめなければ。
レーヴァを構え、その切っ先を前へ。
フィアリスちゃんを助けるという目的は、今や霧散し、わたしの独りよがりに成り果てたかのように思えます。
自分が何の為にここに立っているのか、揺らぎそうになります。足場が、音を立てて崩れ落ちる感覚。
けれど。
それでも。
わたしは、前を向かなければならないのです。
背中を押す存在がありました。託されたものがたくさんありました。かろうじてわたしを現実に繋ぎ止めるのは、残してきたあの二人の存在、フィアリスちゃんが見せる違和感、そして——自らの身に迫った危機でした。
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