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いい歳にも関わらず、迷子でした。
もちろん、ライザが。わたしではなく、ライザが。
しかし、わたしは焦りません。大人のですので、このような状況にも冷静に対処が可能なのです。
いくつかの手段を頭の中でリストアップしながら、一つずつ検証していきます。
通信端末——ライザは、所持しておりません。
先程の高台に戻って高所から探す——しっちゃかめっちゃか移動して来たので、帰り道が分かりません。
取り敢えず動き回ってみる——街の入り口にて、地図をダウンロードし忘れるという痛恨のミスを犯している為、二重遭難の危険あり。同じ理由で、聞き込み捜査も不可。
「八方塞がり……? いや」
店主さんに運営事務所の場所を尋ね、場内放送で呼び出して貰うという手段もありますし……そもそもな話——ライザは、わたしのエーテルを感知出来るのですから、最初から何も悩む必要など無かったのです。向こうからこちらに合流しようと思えば、いつでもそれは叶うのですから。
果報は寝て待て……とはまた違いますが。
こちらから特に行動を起こさずとも、問題は無さそうでした。
焦らず、ゆっくりとした心構えで、どこか落ち着ける場所でも見つけて、コーヒーでも飲んで待ちましょう。
そうと決まればと、視線を通りへと向けたところ……ふと、一人の少女が目に留まりました。
歳の頃は、今のわたしよりも更に幼い8歳程でしょうか。天の川のような長い金色の髪に、透明感のある碧眼。幼いながらも、あまりにも完成された美しさの少女。しかしですよ。何よりわたしの目を奪ったのは——その、顔立ちでした。
ライザと、瓜二つ——。
少女と、視線が合います。ずきりと『胸』が痛みました。何か、大切な事を忘れているような。″胸にぽっかりと穴があいた″かのような、不安。
わたしは、この少女を、知っている——?
「あ……」
声を掛けようと、少女に歩み寄ろうとした時、彼女は屋台の合間を縫い、路地へと消えてしまいました。
少しだけ悩み、わたしは後(あと)を追いかけます。
何故だか、そうしなければならないような。根拠は無いのに確信が持てる、不思議な感覚でした。
大通りの喧騒を離れ、姿を見失わないように後を付けます。
幼い女の子をつけ狙う。
字面的には完全に事案ですが、まあ、今はわたしも幼女ですので、問題は無いでしょう。
少女は、迷いの無い足取りで、入り組んだ迷路のような住宅街をどんどん奥へと進んで行きます。路地を右に曲がり、左に曲がり、小さな広場を越え、可動式の機械の橋を渡り、寂れた公園を横切り、再び路地裏を先へ先へと。どんどん狭く、複雑になっていく道のり、祭りの喧騒も遥か遠く。
知らない土地の、とり分け、こういった生活感の色濃く反映された空間を歩いていると、まるで異世界にでも迷い込んだ心地になりませんか? 足元がふわふわとするというか。心が浮つくというか。
わたしにとっては、知らない世界。けれど現地の方にとっては、日常の世界。どうやって生活しているのか、どんな生活が出来るのか、そんな思いを馳せるのも、旅の醍醐味ではないでしょうか。
まあ、わたしの今の身分は、旅人ではなくストーカーですが。
二十分程歩いたでしょうか。いよいよ持って、住宅街は混沌の様子を呈(てい)してきました。
今までのしっかりとした都市計画に則り建設された区画とは違い、こちらは、街の黎明期(れいめいき)に築かれたかつての開拓者用の住居地でしょうか。建物自体も古く、建築様式もまばらです。石や木や煉瓦(れんが)など、有り合わせの材料で建てられたかのようなちぐはぐさと寄せ集め感。地表に突出した遺跡の一部に合わせて住宅街が形成されていった結果、住居の並びに規則性は失われています。少しでも建築スペースを確保する目的の為か、場所によっては鉄の足組を利用して二層構造になっており、立体的かつ複雑怪奇な表情を見せていました。
ここまで来ると、迷宮と何ら変わりありませんね。
そんな中を、少女の影だけを頼りに、更に奥へと入っていきます。人の姿はありませんでした。皆さん、お祭りに出払っているのかも。やがて、住宅の中に廃墟と思わしきボロボロの建物が混ざり始めます。道は荒れ果て、雑草が敷き詰められ、道無き道を行き、いよいよ人の生活の気配が感じられなったかと思うと、それは突然姿を現しました。
「これは、遺跡への入り口……?」
鬱蒼と生茂る草木に覆われてはいるものの、確かに建物への侵入口らしきものが見えます。
いつの間にか、少女の姿はありません。周りを見回しても、他に行けそうな場所が無いので、どうやらあの遺跡の中へと入っていったようです。
わたしは逡巡(しゅんじゅん)します。
本来、遺跡に立ち入るには、きちんとした許可が必要でした。遺跡というのは原則、国の所有物となっているからです。この街に入る際も、実は街の入り口で一回、都市部への昇降機前で一回、計二回の入跡申請をしています。
無断での遺跡への立ち入り、罰金。遺跡の破損、拘束。遺跡内の遺物の持ち去り、厳罰。
今回のケースは?
まあ——でも、この街自体が巨大な一つの遺跡みたいなものですし。広義的には、許可を得ていることになるはず。おそらく、オーケー。たぶん、大丈夫。ギリ、いける。
わたしは、入跡を決意しました。乙女の好奇心は、誰にも止められないのです。
苔むした入口を潜り、遺跡の内部へと。
狭い通路が続いていました。石でも木でも無い不思議な材質の壁を伝(つた)い、先へと進みます。
遺跡——それは、技術の棺桶とも、文明のタイムカプセルとも呼ばれる存在。現人類は、先史文明に夢を見出だし、現実をより良いものにしようと、過去の浪漫を追い求めてきました。かくいうわたしも、前職は、遺物関連の研究に携わっていた身です。久方ぶりの現場。心が踊らないといえば、嘘になります。眠っていた血が、沸々と騒ぐのを感じました。
ああ——時間が許されるなら、思う存分堪能したい。そんな知的欲求が、聖泉の如く湧き上がってくる程の魅力が、遺跡にはありました。
彼等は、時にわたし達の想像も付かないような姿を見せます。
それは超技術であったり、歴史的価値の高い文献であったり。
はたまた当時の生活様式をそのまま切り取ったかのような移住空間であったり——この場合は、それに関連する発見ということになるのでしょうか。長い階段を降りた先、広大な空間に広がっていたのは、聖堂でした。
少女の姿を探しながら、辺りを見回します。整然と並ぶ木製の長椅子。兵隊のように規則正しく整列する燭台に灯る蝋燭(ろうそく)。奥面には、決して陽が差し込むことのないステンドグラスが豪奢に備え付けられていました。
荘厳な雰囲気に当てられ、遠い記憶が蘇ります。いつか目にした、古典情報工学によって遺跡からサルベージされた古いデータ——この聖堂は、その中に記された建築様式にとても似ていました。確か、ロマネスクだかルネッサンスだかサン・ピエトロだとかカトリックだとか、そんな名前だったような。何せ情報自体が文字通り古かったので、色々な要素が混雑していて解読が難しかったのを覚えています。
聖堂に、少女の姿はありませんでした。更に遺跡の内部へと進んだのでしょうか。わたしは、中央に敷かれた真っ赤な絨毯を踏みしめながら、奥へと向かいました。
好奇心に誘(いざな)われるように。
実際、この時。わたしの関心は少女のことよりも、とあるものに釘付けでした。
聖堂の奥に祀られるもの——それは偶像です。
一体どれ程の歳月を刻んでいるのか。色あせ、右腕を失い、欠けと亀裂に身を蝕まれ、ボロボロになりながらも、その慈悲深い眼差しは全く衰えてはいません。
そして、何よりも——。
「わたしに、似ている……?」
像自体の状態があまりよくは無い為、本当に何となくなのですが。どことなく、面影があるというか。直感的に親近感を抱く程には、似ているのです。
ライザのそっくりさんを追いかけていたら、自分に似た像を発見してしまいました。
先史文明の遺跡、地下聖堂。埃臭さが全く無く、蝋燭が灯(とも)っていることから、現在進行形で人の手が入っているのが分かります。
カルト教団——先程、店主さんから聞いた単語が、頭をよぎりました。
「なんだか、キナ臭いですねえ……」
だとしたら、この像は一体、何を祀(まつ)った物なのでしょうか。
『懐かしいのう』
思慮にふけていると、ふいに、レーヴァの声が聞こえてきました。それは物理的な音の振動ではなく、全ては頭の中で完結する実態の無いやり取り。わたしとレーヴァの精神領域での繋がりがもたらす現象です。
それでも、声に出して語り掛けてしまうのは、わたしの悪癖でした。
「今何とおっしゃいましたか。懐かしい? まさか、この像はあなたが存在した時代のものなのですか?」
仮にそうだとすると、学術的にも大変価値のある発見ではないでしょうか。その道の方が見れば、垂涎(すいぜん)の。どちらかというと機械などの古典技術学が専門のわたしには、どうもピンときませんが、もしも先史文明期における宗教愚物であれば、歴史的にも学術的にも重要なものだとは理解出来ます。
レーヴァは何とも歯切れが悪そうに続けます。
『いや、まあ、それはそうなんじゃが。というよりは、これはワシの—— 』
その時でした。頭の中でノイズが走ったような雑音が流れます。レーヴァの言葉は遮断され、代わりに耳に直接届いたのは聞き覚えの無い声でした。
「始まりの魔法使い『リコウィストゥーナ』。それが、彼女の名前ですよ」
わたしは、警戒しつつ振り返ります。レーヴァとの交信が遮断された原因は分かりませんが、前回の経験から、とても無警戒ではいられませんでした。
いつの間にか背後には、若い神父さんが立っておりました。精悍(せいかん)なお顔に浮かぶのは、諭すような優しい笑み。柔和な雰囲気。絵に描いたような神父さんです。しかし——一つだけ、どうしても違和感が。それは、体のラインを隠れやすい祭服の上からでも如実に分かる、筋骨隆々の肉体でした。
ムキムキです。
ムキムキな聖職者でした。
肩幅が半端ないです。身長も2メートルはゆうに超えていそうで、自分と比べると本当に同じ種の生き物なのかという感覚になります。
わたしを見下ろしながら、神父さんは、にっこりと微笑みました。
「可愛らしいお嬢さん。こんなところで、どうしましたか?」
「いえ、その……わたしは、この街に来たばかりなのですが、道に迷ってしまいまして……」
「なるほど、それはさぞ心細かったでしょう。安心して下さい。私が、地上まで案内いたしましょう。それとも、せっかくですので、もう少しその像を見ていかれますか? 随分と熱心に見ておられましたので、よろしければ解説もさせていただきますが」
「ありがとうございます、親切な方。ありがたいお申し出なのですが、旅の仲間とはぐれてしまっているので、出来ればすぐに合流したいのですよ」
会話を続けつつも、警戒心が全く解けないわたしです。神父さんの立ち振る舞いや雰囲気から、特に悪意は感じられませんが、何となく嫌な予感がするというか何というか。わたしは基本、宗教家という人種をあまり信用していません。この方は特に、笑顔が嘘臭いです。
少女のことや遺跡のことを差し置いてでも、すぐにでもこの場を立ち去りたいという思いが、どうしてもあります。
「そうですか、残念です。我等が主(しゅ)について、未来多き若者に知っていただく、いい機会だと思ったのですが……」
「すいません」
「いえ、良いのですよ。お気になさらないで下さい。あなたならそう言うと思っていました」
「は、はあ……」
神父さんの含みのある物言いに、気の抜けた返事しか出来ないわたしです。
「では、こちらへどうぞ」
歩き出した神父さんに続き、聖堂の出口へと向かいます。
ライザにそっくりな少女が気に掛かりましたが、ひとまずは遺跡から出て、大きな迷子と合流しようと思いました。
ライザと一緒に行動したい。
自然と、そういう気分だったのです。
——今にして思えば、この時のわたしはきっと、心のどこかで無意識の内に感じ取っていたのでしょう。自分が、既に厄介事に片足を突っ込んでしまっていることを。そしてその予感は、奇しくもすぐに現実のものとなるのです。
「ああ、そうそう——」
神父さんが、ふいに立ち止まります。こちらに背を向けたまま、彼は続けました。
「お嬢さん。地上へ案内する代わりと言ってはなんですが、一つだけ、私の質問に答えていただいてもよろしいでしょうか?」
「……なんでしょうか」
「あなたは、この世界についてどう思いますか?」
「えっと……質問が抽象的過ぎて、何とも——」
「そうです、あまりにも、抽象的過ぎるんですよ。ふわふわと形の無い雲のような世界——それが、今の我々の世界です」
神父さんが、振り返ります。その顔には、笑みが浮かんでいました。そして彼は、信者へと説教するように芝居がかった論調でわたしに語り掛けてきます。
「不自然だとは思いませんか? ″正しい手順を踏まず″、急激に発達する機械文明。地動説ではなく天動説が本気で信じられ、世界の果ては崖などと画一的に教育される文明が、身の丈に合わない科学力を有する。土壌もなく、一足飛びで発展していく世界について、疑問に思ったことは? かつての栄華を愚直に追い求め、より便利に、より楽に、より早くと、過ぎた力に手を伸ばす。まるで何かに取り憑かれたように。″まるで何者かに取り計らわれたかのように″」
わたしは、何も答えられませんでした。呆気に取られてしまったからです。気持ちが完全に引いていました。
「人の生活とは、そこまでの利便性が無ければ成り立たないものなのでしょうか? いえ、違うはずです。ならば何故? 探究心? 好奇心? 幸福の為? 生産性の為? いやいや、私はこう考えます。人々は、滅びの運命に囚われているからだと」
その時、わたしは理解します。
ああ——なるほど、と。
わたしが感じていたおぼろげな不審、不安、違和感がはっきりと形になりました。彼はきっと、こちらの答えなど求めていないのだと。そういう問いであり、そういった類(たぐい)の人種だったのです。要するに、他人に自らの考えを平気で押し付けることができ、泥沼の思想に容赦なく引きずり込むという魂胆の人間です。その証拠に、わたしからのことなど意に介さず、神父さんは仰々しい仕草を織り交ぜつつ続けるのでした。
「前人類が滅びた要因には様々な説が存在しますが、私は、人類には過ぎた力を持ってしまったが為と思っております。人の心は弱い。ふとしたきっかけで、いとも容易く崩れる。何かにすがらなければ生きていけないし、何かを与え続けられなければ存在すら保てない。その何かが、機械という形ではっきりと現れる科学力であり、人々は己の心を成長させぬまま、未成熟なままに、その多様性を科学力へと転嫁し、やがて滅びの——いえ、『終焉の力』に至ってしまったのではないか」
わたしの手は自然と、懐にしまわれたレーヴァに伸びていました。
「そして、人々は今尚、同じ過ちを繰り返そうとしている。いや——″正しい段階を踏んでいない以上″、前回よりも尚更にタチが悪い。『魔法』という、我々″今の人類″が得られた唯一無二の力を、理不尽に弾圧し根絶してまで、人々は機械文明への道を邁進(まいしん)する。滅びへと向かって——今ならまだ間に合います。だからこそ、我々が、人を導かなければならないのです。どうです? お嬢さん。あなたも一緒に?」
わたしは一歩、退きます。
今ならはっきりと分かります。この人は、敵です。怖いし、気味が悪いし、理解したくない。それが敵以外の何だと言うのでしょうか。
「……質問は、一つだけじゃ無かったんですか?」
一刻も早く、この場から離れたい。
しかし。
そんな意志に反して、唐突に、わたしの体は膝から崩れ落ちました。
「は……れ……?」
舌が回らない。頭が回らない。体の自由が効かない。静かな耳鳴り、まるで貧血を起こしたかのように、世界が急激に遠ざかっていく感覚。
錯綜(さくそう)する視界の中、神父さんがこちらに向かって笑い掛けます。
そんな彼の隣に、どこから出てきたのか、黒いトレンチコートを纏った、紳士風の大柄な男性が歩み寄ってきました。
「やっと効いてくれたようだ」
「随分と時間が掛かりました——しかし、それは喜ばしいことです。それだけ『耐性』があるということですから。それではお嬢さん——」
意識が——保てな——
「もしあなたが『選別』に生き残れたならば、また会いましょう。質問の返答はその時に」
ブラックアウト。
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