終焉の幼女エルルと死なずのライザ

かこみ
かこみ

2-4 「未練と拘束、死なずの魔法使い」

公開日時: 2020年10月1日(木) 06:29
文字数:5,141

【Side:Elulu】




 決着はしたものの、油断は出来ませんでした。


 早く、男から遺物を引き離さなければ。


 わたしは勝利の余韻に浸ることなく、警戒しながら歩みを進めます。


「レーヴァ、申し訳ないですが、もう少しだけ警戒を頼みます」


 何が起こるか分かりません。しかし、相棒からの返事はありませんでした。


「レーヴァ?」


 僅かな違和感。彼女との接続が、″切れている″……?


 疑問が懸念へと変わる刹那。


 地面が、震えました。


「——っ!」


 思考よりも速く、わたしは武器を構え、前方にエーテルを放出します。刃はその姿を大きく広げ、シールドへと形を変えました。


 攻撃が来るという直感があったのです。何らかの方法で、こちらの意思を寸断しつつの妙撃が。


 それに対する為にわたしが選んだ行動は、とにかく防御を広範囲に張り巡らせるでした。


 しかし、後手に回ってはロクなことにならないのが世の常なようで。


 はたして、次の瞬間。


 足下の石畳が、爆ぜました。


 地面から勢いよく這い出でてくる黒腕。


 それが異形化が進行した男の物であると判ずるまでもなく、足に、触手のような腕が巻き付いてきました。


 切断し、逃れようと武器を振ろうとしますが、ここにきて前方にシールドを展開していたことが仇になります。


 触手はあっという間にわたしの体を這い上がり、完全に拘束されてしまいました。


 武器が絡め取られます。わたしからのエーテル供給を受けられなくなった、レーヴァは元の石に。無慈悲にも地面に転がります。


 首元にまで触手がまとわりつき、強く締め付けられました。


「っ……ぁ⁉︎」


 首を絞められ、死へと向かう苦痛が襲い掛かりました。


 これは——非常に不味い。


 次に起こる事態は容易に想像が出来ました。


 わたしは何とか拘束から逃れようと、体の中でエーテルを急速に巡らせます。


 腕力を向上させ、力付くで触手を引きちぎるしか道は無いように思えました。けれど、あがけども脱出出来る気配がありません。


 腕を動かそうにもびくともせず、体をよじろうにも抵抗されます。


 地面にめり込んで倒れ伏していた男の体が、起き上がり始めます。


 まるで死人が間違って目覚めてしまったかのように力ない動き。


 異形化した左腕が、地面に向かって根差していました。


 墨汁を煮詰めたかのように、どろどろに濁った男の双眸(そうぼう)が向けられます。そこに彼の意思は感じられず、セカンドステージへの完全な移行を終えつつある事実を示していました。


 人体と適合しなかった遺物は、使用者の本能を解放し、異形化を経て肉体を変質させ、やがて全てを呑み込んでいきます。


 そして至る——ファイナルステージ。


 人の体と精神は完全に遺物と同化し、遺物(それ)を稼働させる為だけの生体ユニットと化すのです。


 宿主が生きている限り、際限なく供給されるエネルギー。制御を失った遺物は、その機能を暴走させ、甚大な被害を辺りに撒き散らします。


 それが、『遺物の歪み』と呼ばれる事象の全貌でした。


 男の右腕がうねりながら変貌します。先端に、刀子型の遺物を宿し、蠍(さそり)の尻尾のような様相を呈(てい)しました。


 その切っ先が、わたしへと向けられます。


 まさしく凶器。ふさわしく狂気。


 一切の逡巡(しゅんじゅん)もなく、一撃が放たれました。


 男の黒腕が勢いよく伸び、真っ直ぐに向かってきます。


 迫り来る圧倒的な脅威。


 酸素の供給が絶たれ、徐々に視界が霞む中、わたしは静かに悟りました。


 ああ、わたし、死ぬんだなあ——と。


 自覚してしまえば、それは何でもないことのように思えます。


 知覚さえしてしまえば、それは当たり前のことなのです。


 あるいは、待ち望んでいたのかもしれません。


 恋い焦がれていたのかも。


 母を殺して産まれたわたし。


 わたしが死ねば、母は生き返ることが出来ると、子どもの頃は本気で信じていました。


 ずっと、罰を望んでいたのだと思います。


 あるいは、この体が小さくなったあの日、わたしは罰を受けた気分でした。


 余命一年と宣告され、この半年。


 世界を旅してきました。


 元の姿に戻りたいという気持ちに嘘はありません。


 けれど、はたして。


 死にたくは——なかったのでしょうか。 


 分かりません。


 自分でも、分からないのです。


 死が贖罪になるとは到底思いませんが。


 生への執着が、わたしには決定的に欠落しているように感じました。


 未練など——。


 ああ——でも。


 一つだけ。


 唯一、心残りがあるとしたら。


 もし、叶うならば。


 恋を——してみたかったなあ、と。


 こんなわたしでも、誰かを愛することが出来たなら。


 こんな体(わたし)でも、誰かから愛されることが出来たなら。


 少しは、赦(ゆる)されるのではと。


 思ってしまうのです。


 まあ、もう手遅れですが。


 それを遠ざけてきたのは、他ならぬわたしなのですから。


 死が近づいてきました。


 目前まで迫り来る触手のような黒腕。


 なんだか、ゆっくりと。


 時間がせきとめられたかのように。


 濁って。


 ゆらゆらと。


 たゆたうように。


 世界が滲んで。


 わたしは、最後まで目を閉じませんでした。



 金色の光が輝いたのは、その時です。



 突如として空間に穴が開いて、影が躍り出ます。わたしと触手の間に割って入るようにして、『彼』が腕を伸ばしました。


 一瞬の衝突。


 光が強く瞬(またた)いたかと思うと、彼の腕が、鮮血と共に宙を舞います。


 人形のパーツのように、いとも簡単に。


 人の腕が——斬られて。

 

 触手の軌道が、僅かに逸れます。


 そのおかげで、わたしは危機を免(まぬが)れました。


 彼の腕を犠牲にして。


 だというのに、わたしは動けず、彼の名を悲痛に叫ぶことすら出来ないのです。


 片腕を失ったライザはしかし、即座に動いていました。


 彼の右手に握られた金色の剣が、伸びきった黒腕へと向かって、一閃されます。


 切断出来れば、そのまま遺物を奪えるという算段。


 しかし、それは叶いませんでした。


 触手が、目にも留まらぬ速さで伸縮し、ライザの斬撃を回避します。


「ちっ……」


 元の位置へと戻った触手に対し、ライザは追撃を行いません。その理由は明白。自らの負傷。そして、わたしという足手まといがいる以上、深くは踏み込めないのです。


 己の愚かさと無力さに、自責の念が心を裂きました。


 そんなわたしの心中を察してか、ライザは視線を前へと向けたまま、毅然(きぜん)と言うのです。


「心配するな。お前は——俺が守る」


 ああ——彼の言葉に答えたいのに、声が出ませんでした。喉が強く圧迫され、空気を取り入れることすら困難です。苦しい。痛い。しかし、そんなことより今はライザです。どうか無理はしないで欲しい。逃げて欲しい。そんな思いを口にすら出来ないのです。


 敵は、動きませんでした。


 ライザと男は、お互いに視線を送り合い、対峙します。両者の間で重々しくぶつかり合う、兵(つわもの)が放つ独特の威圧感。


 まるで永遠にも感じられる、数秒。


 先に動いたのは、男の方でした。右腕が、死神の鎌のように持ち上がります。ただし——次いだ行動は、意表を突かれるものでした。


 男が、自らの左腕に向かって、斬撃を放ったのです。


 切り離される左腕。地面に根差した腕を戻すことは出来ないのか——ともすれば、それはトカゲの自切を思わせました。


 そして、異形の男はわたし達を無感情に一瞥(いちべつ)すると、警戒しつつも後退していきます。何を感じたのか、一切の迷い無き逃走。すぐに夜の闇に紛れて、目視出来なくなりました。


 実に突然の幕切れ。


 助かった——こちらの負傷を考えれば、そう思うべきでした。


 事態は最悪です。


 失われたライザの左腕。


 もう……取り返しがつかない。


 わたしは、自らが引き起こしてしまった惨状に絶望し、それが許されないことだとは理解しつつも、思わず目を逸らしてしまいそうになります。


「じっとしてろ」

 

 そう言うと、ライザは右手の剣を不造作に振るいました。


 瞬く間に、わたしを拘束する——本体から切り離され、硬質化した触手がバラバラに。


 支えを失ったわたしは、そのまま地面に崩れ落ちそうになるのを、ライザに受け止められました。


「かはっ……はぁっ……はぁ……っ」


「大丈夫か?」

 

 生理的反応として、肺が一酸素を取り入れようと必死に脈動します。


 ですが、自分の体のことなど、二の次です。 


 敵がいなくなった以上、かろうじて繋ぎ止めていた冷静さは完全に失われていました。わたしは、すがるようにライザの体を掴みます。

 

「ら、ライザ! う、腕が! 早く止血しないと!」


「大丈夫だ」


 取り乱すわたしとは対照的に、彼は冷静でした。


「″これくらいの傷、すぐに治る“」


 ライザが、おもむろに切断面へと視線を向けました。すると、彼の言葉の意味を理解する間も無く、驚くべきことが起こったのです。

 

 切断面がぼこぼこと波打ったかと思うと、瞬く間に骨が形成され、腕の形を型どるように神経と血管が張り巡らされていき、肉と皮膚がそれらを覆い尽くし、やがて腕が元通りの状態へと回帰します。


 僅か、数瞬の出来事でした。


「なっ——何が、起きたんですか」


 流石に、驚きを隠せません。わたしが知る常識では、人の体はこのように回復しないはずです。


「転移直後のような、エーテルが不足している状況で無ければ、例えそれが致命傷であってもすぐに治癒する——そういう体なんだ。死にたくなっても、死ねない。全く、不便なものだ」

 

 ややシニカルな笑みを、ライザは薄く浮かべます。だから気に病むなと、そう言われているような気もしました。


 どこか諦めにも似た彼の横顔に、これ以上言及することは憚(はばか)られました。


「そろそろ立てそうか?」


 そうライザに問われて、わたしはようやく″その事実″に意識が向きます。


 先程、触手の拘束から解かれて以来、わたしはずっと彼に支えられたままだったのです。


 つまり、寄りかかるように体が密着した状態なわけでして。


「す、すいません!」


 慌てて、離れました。


 これが噂に聞く吊り橋効果というものでしょうか。妙に胸がざわめいていました。


 わたしは、それを悟られないように、つとめて冷静にお礼を言います。


「ありがとうございました。二度も助けていただいて……申し訳ない」  


「礼はいらん。謝罪はもっといらん。俺はお前が好きだ。だから、助けるのは当然のことだ」


「そ、そうですか……」


 そう、真正面から好きと言われるとごにょにょ。


 わたしは顔の火照りを感じながら、なんとか意識を逸らそうと、地面に落ちたままになっていた相棒を拾います。


 いえ、忘れていたわけではないのですけれどね。


 そういえば、不覚をとった要因の一つに、レーヴァとの接続が急に途絶えてしまったこともありました。


 おそらくそれも、あの男が所持する遺物の力のような気がします。


 戦闘の中で、幾度なく敵へ向けた意識が途切れたのと同じように。


 わたしとレーヴァの間の、意識を接続する糸が切られた——そんな感覚がありました。


「取り敢えず、警察に通報をしましょう」


 ライザに目配せし、了承を得る意味も含めて、宣言します。


 被害者のこともありますし、目撃したことを証言しなければならないでしょう。下手すると、今日の宿は警察署か駐屯所になりそうですが、致し方ないことです。事件の解決には協力しなければ。逃してしまったのも、わたしの責任なわけですし。


 そう思いポケットの通信機に手を伸ばした、その時でした。


「随分とまあ、派手にやらかしたなあ……」


 声がしました。


 振り返ると、真っ暗な礼服の上によれよれのコートを身につけた男性が、宵闇から滲み出るように歩いてきます。


 どこか気怠げで、退廃的な雰囲気を纏(まと)う人物。わたしは、この方を知っていました。


「住民から通報を受けて来てみりゃあ、どうやら後の祭りのようだったな」 


「クリフさん!」


 数年ぶりに再会した彼の名は、『クリストフ・サンジャック』。帝国が抱える治安維持組織の中でも、暴力性が強い事件を扱う私服警官、いわゆる刑事さんでした。


 ″前の職業柄″、一時期とてもお世話になったことがあります。久しぶりの再会。


 人見知りであるところのわたしは、知り合いの登場に一抹の安堵を覚え、そしてこれから始まるであろう事情聴取にも、緊張を強いられないで済みそうという期待を胸に、クリフさんへ無警戒に近寄って行きます。


「お久しぶりです」


「おう。久しぶりだな、エルルお嬢ちゃん。じゃあ、手を出してくれ」


「?」


 意図は分かりませんが、言われた通りにします。


 クリフさんは、懐から金属質な拘束具を取り出しました。頑丈そうな輪っかが二つ、その間を、これまたちょっとやそっとでは切れなさそうな鎖が繋いでいます。


 まあ、手錠ですね。


 ごく一般的 (?)な。


 がしゃん。


 と小気味いい音を立てながら、それはわたしの腕に装着されました。


「?」


 いきなり、手錠を掛けられましたよ?


「さて、署までご同行願おうか」


 なんですと?



 


 


 

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