【Side:Elulu】
「勝手に一人で出て行ったことは、後程ねちねち責め立てるとして。さて、どうしたものでしょうかね」
かっこよく駆け付けたはいいものの、正直、怪我人が二人に増えただけというのが現状でした。
敵は一人。しかし、どうしたことでしょう。以前発していたエーテルとは、明らかに力強さが段違いです。遺物の暴走には、人の潜在的なエーテルを強引に呼び起こす作用こそ確認されてはいるものの、ここまで劇的な変質を起こす事象は聞いたことがありませんでした。
こちらは二人。されど、どちらもコンディションは最悪の一言。わたしはエーテルの殆どが尽きかけていて、戦闘出来るのも、もって数分といったところ。そして、それよりもライザは——。
「大丈夫ですか? ライザ」
聞くまでもないのです。今の彼は、目を逸らしたくなる程の様相。体中に痛々しい傷を負い、纏うエーテルは、燃え尽きる寸前のローソクのようでした。
「すこぶる調子が良いな。あとちょっとで死ねそうだ」
「平たく言うと?」
「最悪な気分だ」
「……何か、作戦はありそうですか?」
先程、ホテルで交わしたやり取り。今度は、わたしが彼に向かって問い掛けました。
「ああ」
わたしは、アーサーから意識を外すことなく、ライザの言葉に耳を傾けました。
「互いに消耗している中、二人で無闇に攻撃しても勝ち目は薄い。俺が奴を惹きつける。お前がアタッカーだ。隙を突いて奴の心臓部——遺物をブチ抜け」
「それは——」
「どちらが犠牲になるという話ではない。負ければ、二人とも死ぬ。街の人間もな」
ライザの言う通りでした。
お互いに満身創痍。
必要なのは、協力なのです。
力を合わせねば、勝ちは得られますまい。
頭の中でスイッチを入れます。一瞬の雑音(ノイズ)と共に聞こえてきたのは、相棒の起動音。残り少ないエーテルを、効率よく蓄積させる旨を彼女に伝えます。全ては、たった一撃の為に。応えるように、レーヴァの装甲の隙間から銀色の光が溢れ始めました。
わたしは、視線を前に向けたまま、頷きます。
「よし。奴の遺物の能力に気を付けろ。″俺の剣から目を離すな″。——行くぞ」
ライザが静かに宣言し、疾風のように駆け出しました。敵の注意を引きつける為に、わざと正面からアーサーへと向かっていきます。
その時、わたしは気付いてしまったのです。
ライザの両腕が殆ど動いていないことに。
彼が操る浮遊剣に、まるでエーテルが込められていないことに。
彼の体が傷付いたままだったこと。肉体を治癒する余裕が無いという事実が、一つの限界を指していました。
もはや、敵を討ち倒すだけの力など、ライザには残っていないのです。どころか、このままでは——
アーサーが、静かに動き出しました。まるで昆虫のように発達した右腕が、鞭のようにしなります。その一振りは、先刻相対した時とは、まるで別物。風を切り裂くような鋭い音と共に、凄まじい速度でライザに襲い掛かります。
ライザはそれを、すんでの所で躱(かわ)しました。
行き場を失ったアーサーの攻撃が、地面を爆散させます。けれど、それで終わりではありませんでした。息つく間もなく、必殺の威力を備えた一撃が、次々と繰り出されます。
大振りな右腕のなぎ払い。それが回避されると、今度は大きく体を捻り、左腕の絶拳をライザへと向かって放ちます。間合いは、遙か遠く。本来ならば届かない距離も、伸縮するアーサーの体は常識を嘲笑います。
単調な軌道の攻撃でした。いくら速度が逸脱していようが、こうも直線的な動作が連続すれば、次の一手を読むのは容易くなります。ライザは、幾分かの余裕を持ってして、アーサーの圧殺撃を避けられる——はずでした。
ライザへと放たれた拳が、唐突に開かれました。五本の指が、赤黒いエーテルを纏いながら猛烈な勢いで伸長し、矢のように飛来します。
予期せぬ、多方向からの攻撃。極限状態の中、ライザが選択したのは肉を切らせる行為でした。
左右から襲いくる二本の指を、前進によって回避。しかし、待ち構えていた残りの三指が完全に逃げ道を塞ぎます。不可避の檻。防御は無意味。それでも、ライザは前進を止めませんでした。恐(おそ)れず、ただただ前へ。
活路は後退に非(あら)ず。定められた死の運命、避けられない攻撃、“ならば避けなければいい″。
ライザは、迫る凶槍へと向けて、真っ直ぐに飛び込みました。彼の左腕が被弾し、吹き飛びました。その反動で体を強制的に動かすことにより、必殺のタイミングだった残りの二指を躱します。いえ、正確には避け切れるものではないのです。
最後の一指が、彼の脇腹を大きく抉りました。
血が、肉が、骨が、内臓が。
飛び散り、舞い散り、赤く、煌(きらめ)き。
目先の生を得る為に、致命傷を自ら受けにいく矛盾。しかし、その矛盾がライザを生き永(なが)らえさせたのです。
ライザは動き続けます。
はみ出た腸が、鮮血と共に尾を引いていました。失われた左腕が主の限界を訴えています。
このままでは、ライザが死んでしまう。消えてしまう。いなくなってしまう。
た、助けに行かなければ。
…………助けに行く?
いや——違う。
ここまで来れば、お互いを信頼し合うしかないのです。相手を信じ、各々の役割を全うする。どちらが犠牲になればなどという、簡単な話では無い——やるべきことを、やらなければ。
甘えるな。
先程の言葉、わたしはライザにそう言われた気がしたのでした。
強く、レーヴァの柄を握り締めます。
「レーヴァ。聞こえていますか?」
『うむ』
「“奥の手″は使えそうですか?」
『無理じゃな。今更止める気は無いが、そもそも起動の為のエーテル自体が足りん。今使っても、一歩も動けんじゃろうな。1ならばまだやりようもあるが、完全な0では“いくらワシでもどうにもならん″』
「分かりました。ならば、やはり一撃に全てを投じます。進行状況は?」
『出来る範囲の限り、としか言えんな』
「十分です」
出来る範囲で、その限りを尽くす。
人は、出来ることしか出来ないのだから。
天命を待つ気は更々ありませんが、人事を尽くす。
それが、わたしのポリシーです。
「行きますよ、レーヴァ」
『了解じゃ、主様』
わたしの想いに呼応し、
|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》の装甲が流れるように展開、白銀の刃を形成します。
残り少ないエーテルを足に集中。どうせ当たれば死ぬのです。防御を捨てていいと考えます。アーサーからの猛攻に、ライザが浮遊剣を使用しないのも同じ考えからでしょう。
速度のみに特化させる心構え。わたしは、地を蹴り砕く勢いで体を加速させました。
大きく右から回り込み、接敵を試みます。途中、文字通り瞬(まばた)く程の隙間に、ライザへ視線を送ります。
今尚(いまなお)死線を潜(くぐ)り続ける彼は、わたしの目論見を察知し、合わせる為に動き始めました。
ライザが陽動を担う作戦。しかし、当初の予測よりも敵の攻撃が激しく、更に肉体の損傷も相まって、このままでは役割の遂行が困難であると思えました。故に、わたし『達』は行動します。
予断が許されぬ状況の中、更なる連携を。
極限状態が可能にするアイコンタクトのみで交わされる疎通は、言葉(おと)という領域を超えたスピードで、わたし達の間に意思を伝達します。
アーサーの更なる攻撃が、ライザへと放たれようとしたその刹那。わたしは、一気にエーテルの出力を上げました。
突如として現れた自身への脅威に、アーサーの意識が一瞬、此方へと向けられます。
ライザは、その隙を見逃しません。最後の力を総動員して勝負に出ます。攻撃の為に待機させていた十本の浮遊剣が一本へと収束し、強烈な光を放ちました。
「おおおおおおおお‼︎」
ライザの咆哮。全身全霊を掛けた一撃が、アーサーへと炸裂します。
本来であれば、その攻撃を防ぐ事などアーサーにとって容易かったでしょう。しかし、反応の連鎖は積み重なり、その度に次の行動への遅れを生じさせます。高速戦闘においては殊更、その0.1秒の遅れが何よりも有効なのでした。
バラバラになった浮遊剣が、アーサーの体の周りに散り舞います。僅かに、彼の体勢がぐらつきました。
今が好機。チャンスは、ここしかない。
わたしは、己が身を弾丸のように変えて突貫します。
わたしの接近を察知したアーサーが、すかさず反撃に転じてきました。両の手を鞭状に変化させ、敵(わたし)を近寄らせまいと縦横無尽に走らせます。
網の目のように張り巡らされた乱打。折り重なった攻撃の隙間は、あまりにも狭く。針の穴を通すような難事にも、わたしは全く臆(おく)しませんでした。その攻撃を生かせる最大の間合いは、すでに過ぎているのです。ライザが繋いでくれた、か細くも強固な糸を手繰り寄せ、前へ。
とにかく前へ!
次々と襲いくる死の猛攻。
躱(かわ)し、避け、凌(しの)ぎ。
入れ、更なる間合いの内側へ。
潜れ、災禍たる死線を。
抜けろ、閉ざされた道を。
苦難の先、辿り着いた場所。
ふいに——視界が、開けました。
時が静止したかのような錯覚。一秒にも満たない時間の中、研ぎ澄まされた感覚がもたらす時間的矛盾。ここにきて、はっきりと相手の姿が垣間見(かいまみ)えます。瞳の無い頭部と交わす視線。攻撃の為に伸ばした腕が仇となり、胸部が無防備に。
後は、最後の一撃を叩き込むだけ——ですが。
異変が起こります。甲殻に覆われたアーサーの胸部が開き、中から姿を現したのは|【手に持つ聖母】《インビジブル・ドア》。
光が、瞬(またた)き——まずい——意識を——。
そんな——ここまできて——わたしは——わたし″達″は——。
″俺の剣から目を離すな″。
いや——わたしには、仲間がいる——!
意識を失う直前、わたしは、宙に漂う剣の残骸へと手を伸ばしていました。
——————。
意識が戻った瞬間、髪の毛を、死が掠っていきました。
それは、わたしの頭部を砕くはずだったアーサーの剛腕。
地獄から掴み取った蜘蛛の糸——ライザの剣が、意識の無いわたしを導いてくれた。
目の前には、剥き出しになった|【手に持つ聖母】《インビジブル・ドア》が。
「これで! 終わりです‼︎」
想いを膂力(りょりょく)に。揺るぎない意志をエーテルに乗せて。
「たぁぁぁああああ‼︎」
真っ直ぐに、力の限り、わたしは|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》をアーサーの胸に突き立てました。
手から伝わる確かな手応え。
遺物を砕き、肉を裂き、骨を断ち、臓物を掻き分け、命を奪う。
とても。
ああ——とても嫌な感触。
|【終焉たる救世主】《レーヴァテイン》と|【手に持つ聖母】《インビジブル・ドア》が共鳴するように、強い光を放ち始めました。白銀と赤黒いエーテルが混ざり合い、弾けて拡散。視界が真っ新に。
わたしの意識は、再び途絶えるのでした。
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