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「次の目的地までは、三日もあれば着きそうですよ」
真っ赤に燃える夕焼け空が、どこまでも広がっていました。
手にした端末には、平面的な地図が俯瞰で映し出されています。次の目的地である街が赤点で示されていて、ボタン一つで、我々の現在地から試算されたおよその距離と、道のりを表示させることが出来ました。これさえ、あれば迷子とは無縁です。全く、便利な世の中になったものです。
ペイルローブの街は郊外。わたし達は、次の街を目指して目下行軍中でした。
きちんと整備された街道は家が横並びに建つ程に広く、荷台をひいた従来の馬車と、最近になって物流面で普及してきた自動走行車が、ごちゃ混ぜになって往来していました。
今の世界の縮図を如実に表しているようで、なんともまあ風情があるなあ、と思いつつ、横を歩く同行者へと視線を向けます。
「それにしても——無事で本当によかったですよ、ライザ」
「まあな。流石に、死ぬかと思った」
すっかり元通りになった彼は、何でもないことのように言ってのけました。
あれだけの傷も、エーテルが戻れば跡形も無く治癒してしまう。
それを単純に、羨ましいとは、わたしには到底思うことが出来ませんでした。きっと彼も彼なりに、その力で幾分か嫌な思いも経験しているでしょうし。過ぎた力、外れた力というのはいつの世も蔑まれ、忌避するものです。人はいとも簡単に、人を化け物と呼ぶのです。
ですが、わたしにとっては、初めての——。
あの後——エーテルを極限まで失ったわたしはどうやら意識を失ってしまったようで、ライザと同じく、駆け付けたクリフさん達に救出された形になります。ライザの状態は誰がどう見ても致命傷。しかしそんな彼は、動かないわたしを背負って病院へ運ぼうとしていたそうです。
助けようと、懸命に。
自分の方が、明らかに重傷なのに。
本当に——何処までも、馬鹿な人です。
誠実では無いかもしれません。
聖人でも決して無いでしょう。
人間性は、有り体に言って良識人とは言えないでしょう。
けれど、その思いは真っ直ぐで、裏表の無い——信頼出来る人。
それが、彼に対するわたしの思い。
わたしは、立ち止まり、ライザ向かって頭を下げました。
「今回は、ありがとうございました」
ライザは、やや呆れ顔でこちらを口を開きます。
「礼はいらんと言っただろう」
それでも、わたしは言いたかったのです。
「わたし一人の力では、最悪の事態になっていたと思いますので」
「全く……お前は背負い過ぎなんだ」
それはかつて、いつぞやの事件の時に、クリフさんにも言われた台詞でした。
クリフさん——今回は、彼にも随分と迷惑を掛けることになってしまいました。
病院で目を覚ましたわたしは、彼から軽い事情聴取の後、事の顛末を聞くことになります。事件は被疑者の死亡をもって終息、遺物は見事に破損し、回収出来たのは細かな破片だけという、迷宮入りの次に悪いケース。本来なら、国の所有物である遺物を壊す行為は重罪であるとされます。わたしは、拘束も覚悟しました。
しかし、クリフさんはわたしの頭をくしゃくしゃに撫でながら、言うのです。
「悪かったな、嬢ちゃん。俺は、俺の部下を犠牲にしたくないが為に、嬢ちゃん達を犠牲にしようとした。悪い大人だ」
エーテル炉付近に配備されていた警備員から、警察側はより早くアーサーの位置を補足。わたし達がすぐに駆け付けることを予想したクリフさんの指示で、警備員を含めた施設員は退避し、万が一に人が迷い込まないように、周辺を警察が固めていたそうです。
そのおかげもあって、力尽きたわたし達をすぐに病院へと搬送することが出来たというわけでした。
「気にしないで下さい。適材適所ですよ。それに——」
彼を、この手で討てたことには、大きな意味がありました。
あの場に警官が駆け付けていれば、クリフさんの言う通り無駄な犠牲も増えたでしょう。
「ありがとよ、嬢ちゃん。本当に——ナツメに似て、いい女になった」
クリフさんの目は、わたしに向けられつつもどこか遠くを見ているようでした。師匠とクリフさんの関係を、実はわたしも詳しくは知りません。ただの知り合いでは無いことは確かなのですが、時折わたしに向けられる、放っておけない子どもを見るかのような目。無粋な推測ですが。もしかすると、過去には男女の仲だった期間もあるのではと思いました。
「後処理は俺に任せてくれ。嬢ちゃんの体を縮めた遺物の情報があれば、すぐに連絡する。じゃあ——息災でな」
次に会う時は俺も一般人だ、と。病室を出て行く際に、クリフさんが残した言葉が印象に残りました。
ケジメ。大人は時として往々に、自身に不利益と分かっていても、自ら責任を取らなければならない時があるのでした。
わたしも——きっといつかは、ケジメを付けなければならない時が来るのでしょう。
これまでの行いと。
これからの選択に。
いつの間にか、街道は分かれ道に差し掛かっていました。
右に行けば、目的地。
左に行けば、ルノル王国との国境が見えてきます。
わたしは、再び立ち止まりました。
やなり、こういうことは、きちんとしておかないといけないと思ったからです。ライザの方を見ました。何となく流れでここまで来て、当然のように一緒に行動しようとしていますが、わたしには、彼に言わなければならないことが残っているのです。
あの時の答えを、わたしはまだ伝えていない。
「あ、あの! ら、ライザ——!」
ライザが、訝(いぶか)しむようにこちらを見てきました。
どきり、と心臓が脈打ちます。
何故か、とても緊張しました。
目を上手く合わせることが出来ず、視線が泳ぎます。胸の辺りが妙にこそばゆく、口の中がからからに乾き、呂律(ろれつ)が錆び付いた歯車のように上手く回りません。体温が理不尽に上がり、心臓が煩いくらいに鼓動を刻んでいました。顔が、とても熱い。
言語機能に著しいエラーが発生しているのような気がしました。歳をとればとるほど、『その単語』を口に出すのが、何だかとても憚(はばか)られるのです。あまりにも不慣れなその概念が、わたしをおかしくしていました。
けれど、勢いが大事。
目を見開きます。胸の前で両の拳をぐっと握り、なんとか無理矢理に、その言葉を絞(しぼり)り出します。
「とと友達から! お友達から、始めませんか⁉︎」
ライザの目が、珍しくも点になっていました。目は口程に語るとはよく言ったもので、何を言ってるんだ? こいつ。といった彼の心情がありありと伝わってきます。
いや、そもそも発言にあまりにも脈絡が無く、前後説明も省略されては、相手がそうなるのも当然なんですけれども。
ああ、緊張すると、やらかしてしまう癖をどうにかしたい。
わたしは、一度深呼吸を置いて続けます。
「初めて会った時、ぷ、プロポーズをしていただいたじゃないですか」
自分で口にするとめちゃくちゃに恥ずかしい……。今まで受けたどんな拷問よりも辛い……。
「だから、それに対する返事というか何というか……ごにょにょ」
とてもじゃないけど、ライザの目を見れませんでした。しかし、そんなわたし悶々とした思いは、次の瞬間吹き飛ぶことになります。
「ふっ」
ライザの口角が、僅かに持ち上がったのです。どころかその険(けわ)しかった目元も、優しげに微笑むではありませんか!
「はははははははっ」
笑った! ライザが、笑った! 初めて見た!
そんなに可笑しかったのですか、わたしの言動は……ちょっとショック。
「すまん、馬鹿にしているわけではないんだ。むしろ——いや、やめておこう。そうだな、まずは友人から。嬉しいよ、エルル」
何気に、名前を呼ばれるのも初めてでは? こそばゆいのでは? ではでは?
明らかに、場の空気の主導権は向こうにありました。
しかしですよ。
やられっぱなしというも、何だか悔しいではありませんか。
わたしは、ライザへと向かって手の平を差し出しました。
「助けていただいたお礼ですよ。特別に、手を繋がせてあげます」
あくまで余裕たっぷりに。
大人特有の上から目線を醸し出しながら、わたしは含み笑いをします。
「ふふふっ、何ならそのまま手を繋いだまま歩いてみますか? 今日の晩ご飯、ライザの分のお肉を分けていただけるなら、わたしとて藪坂(やぶさか)ではありませんよ?」
「そうか。では、俺が調達してきた酒は無しだな」
「鬼! 悪魔! ロリコン!」
そしてわたし達は、手を繋いで歩き出します。今回限りの特別出血大サービス。交渉の末、報酬は十分間につき、ワインボトル一本也。
行き交う旅人や行商の方が、こちらに微笑ましい視線を送ってきました。たぶん兄妹、下手したら仲の良い親子に見られているのでしょう。
今まで、一人と一本で旅をしてきました。
今は、二人と一本になりました。
初めて出来た人間の友達。
仲間とも呼ばれる形の無い暖かさ。
今回は、色々なことがありました。
嬉しかったこと、悲しかったこと。
傷付いたこと、傷付けたこと。
手に入れたもの、失ったもの。
確かな終焉へと向かうわたしの体。
時計の針は止まらず、流れ落ちる砂は止められない。
残された時間は、あと僅か。
それでも——わたしは、失われた過去でも、閉ざされた未来でもなく、ただ——今を生きるのです。
約束、しましたからね。
「これからも、よろしくお願いしますね、ライザ」
「ああ」
繋がれた手。
道は、どこまでも続いていました。
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