約束の時間少し前に、愛車を沙織のマンションの入口前に停めた友之は、既に荷物を手にして佇んでいた彼女を見て、窓越しに声をかけた。
「やあ、待たせたな。と言うか……、一泊なのに、荷物が妙に多くないか?」
二、三泊分の荷物が楽に入りそうなスーツケースを見た友之が、思わず疑問を口にしたが、沙織はそれを一刀両断した。
「何を言ってるんですか。女の旅支度なんて、色々かさばるものだと相場が決まっています。あまり無粋な事は言わないで貰えますか?」
「それはすまん」
「とにかく、トランクを開けてください」
「ああ、今俺が入れるから。座っていてくれ」
「それはどうも」
慌ててトランクのロックを外しながら外へ降り立った友之は、彼女からスーツケースを受け取って車の後部に向かった。
(沙織の性格からして、旅行時の手荷物なんか特に、シンプルに纏めるものと思っていたんだが……。単にちょうど良い大きさの物が無くて、大きめのスーツケースを使っているのか?)
しかし持ち上げたそれが妙に重量感があり、友之は内心で益々疑問に思ったが、口には出さなかった。
「さあそれでは、景気良く飛ばして行きましょう!」
「そうだな……」
(何なんだろう、この妙に高いテンションは)
運転席に座るなり、助手席から明るい掛け声をかけてきた沙織を訝しく思いながらも、友之は素直に目的地に向かって車を走らせて行った。
それから疲れが溜まらない程度に休憩を取り、途中で一般道に下りてゆっくり昼食を取りながら、高速を走らせて四時間強。二人は三時直前に、目的の宿へと到着した。
老舗旅館に相応しい広々とした玄関から入り、磨き込まれた廊下を進んだ沙織達は、奥まった場所にある離れの一角に案内される。
「うわぁ、庭が一望できる。素敵ね。それに露天風呂まで付いてる!」
「そちらの庭には部屋からは出られませんが、東側の庭は散策できますし、この宿の自慢の一つですの。宜しかったら後で、ご覧になってくださいませ」
「そうします」
館内の説明をしながら、流れるような動きでお茶を淹れた仲居に、沙織も笑顔で相槌を打つ。
「それではご夕食まで、ごゆっくりお寛ぎください」
「お世話になります」
恭しく一礼して仲居が部屋から出て行くと、沙織は早速添えてあったお茶請けに手を伸ばしつつ、満足そうにお茶を味わい始めた。
「やっぱり旅館のグレードに合った、良い茶葉を使ってるわ。美味しい。このお饅頭も、餡と皮の組み合わせが絶妙だし」
「あのな、沙織」
「ところで友之さん。お二人は遅い時間に旅館に入るから、夕食時に顔を合わせるという話でしたよね?」
声をかけようとしたところでそれを遮られた友之だったが、特に文句などは口にせず、頷いて答えを返した。
「ああ。二人が取っている部屋は別だが、この部屋に纏めて夕食を運んでもらう手筈になっているから」
「因みに、旅館の浴衣でご挨拶しても、無礼だとか言って怒り出したりはしない方でしょうか?」
「二人とも基本的には大らかな人だし、そこら辺は気にしなくて良い。顔を合わせるまで、十分に時間はあるしな」
「よっし! じゃあお茶を飲んだら、早速ひとっぷろ浴びて来ようっと!」
そう言って再び満面の笑みで饅頭を食べ続ける沙織に、友之は何とも言えない表情を向けた。
「……妙にリラックスしているな」
しかしそれに沙織が、軽く首を傾げながら言い返す。
「どうして友之さんの方が、緊張しているように見えるんですか? やっぱり先に一度お風呂に入って、さっぱりしてきた方が良いですよ? 休みながら来ましたけど、やっぱり運転して疲れてません?」
「確かに多少、疲れたかもしれないが……」
「やっぱりそうですよね? 久しぶりに顔を合わせるのに、ぐったりしていたら相手にも悪いですよ。ゆっくりお風呂に入って、リラックスしてきましょう! 私、アロママッサージも予約して、お風呂上がりに受けてきますから。構わないですよね?」
どうやら仲居から館内設備の説明を受けていた段階で、これからの予定を素早く組み立てていたらしい彼女に、友之は頷くしかなかった。
「ああ、好きにしろ」
「じゃあ、行って来ます! 鍵を一本持って行きますね!」
「分かった」
そして備え付けの浴衣一式を持ち上げた沙織は早速行動に移り、広い続き間に一人取り残された友之は、思わず溜め息を吐いた。
(本当に、どうして俺の方が緊張しているんだ。普通逆だろう? 沙織が変に緊張していないのは良かったが、妙に機嫌が良いのが逆に気になって仕方がない)
しかし考えていても仕方が無い為友之は立ち上がり、彼女同様備え付けの浴衣を持って大浴場へと向かった。
そんなこんなで温泉を満喫しているうちに夕食前の時間になり、二人が部屋に戻って寛いでいると、内線の呼び出し音が鳴り響いた。その受話器を取った友之が相手と幾らか言葉を交わしてから、受話器を戻しつつ沙織を振り返る。
「フロントからで、二人が着いたそうだ。こちらの部屋を伝えて貰ったから、部屋に入って荷物を置いたら、すぐこちらに来るだろう」
「今更ですが、こちらからご挨拶に出向かなくて良かったんですか?」
「今回は客として、沙織を招いたわけだからな。ここに居てくれ」
「そう言われたら、仕方がありませんね」
そんなやり取りをしているうちに、部屋の入口に設置されている呼び出しのチャイムが鳴り、二人揃って来訪した老夫婦を玄関で出迎える。
「やあ、お祖父さん、お祖母さん、久しぶり」
「おう、元気そうだな、友之」
「今日は初めて、あなたの彼女さんを紹介してくれるって言うから、楽しみにしていたのよ?」
まず先に友之が挨拶をしてから、一歩下がっていた沙織を紹介した。
「ああ……、うん。母さんが、二人になんて言っていたのか若干不安だけど、彼女が関本沙織だよ」
「初めてお目にかかります、宜しくお願いします」
そこで神妙に頭を下げた沙織を見て、年長者二人は相好を崩した。
「いやいや、堅苦しい挨拶は抜きで。私は友之の祖父で、松原孝男。連れ合いは静江だ」
「こんにちは。お会いできて嬉しいわ」
「とにかく、立ったままでは落ち着かないし、中に入ってくれ」
「ああ、そうだな」
友之が二人を促し、四人で座卓を挟んで座ると、沙織が改めて挨拶した。
「それでは改めて、ご挨拶させて貰います。松原工業営業部第二課に所属しております、関本沙織です。こちらは些少ですが、真由美さんに二人のお好みをお尋ねして用意してみましたので、宜しかったらお受け取りください」
そこですかさずさり気なく背後に置いてあったスーツケースから、包みを二つ取り出した沙織は、向かい側に座る二人に恭しくそれを差し出した。それを見た静江が、恐縮した様子で声を上げる。
「まあ! こちらの都合でわざわざ出向いて貰ったのに、お土産まで頂くなんて申し訳ないわ。ねぇ、あなた?」
「それはそうだが……。せっかく持って来て貰った物を、突き返すのも失礼だろう。ここはありがたく頂戴しよう」
「はい、どうぞお納めください」
そんな風ににこやかに笑顔を振りまいている沙織と、夫婦は和やかに会話を始めたが、友之は何とも言い難い顔になった。
(土産を用意するとか、言って無かっただろうが? それにお祖母さん用の甘納豆は、確かにお気に入りの店の物だが、お祖父さん用の酒は、この前俺が渡した奴だよな? 堂々と流用するとは、沙織らしいと言えば沙織らしいが……)
そして四人が揃って少しして、仲居によってお膳が運び込まれ、それを味わいながら沙織がお酌などもして、和気あいあいと夕食を食べ進めた。
(沙織の愛想が、良すぎるのが気になる。相当、お祖父さん達に気を遣っているのか……。後から反動がきそうだから、心しておかないとな)
彼女からの八つ当たりを覚悟しながらも、友之は久しぶりに顔を合わせた祖父母と楽しく会話し、最後の水菓子まで食べ終えた。そして空になった食器を下げつつ、お茶を淹れた仲居がいなくなると、沙織がさり気なく話を切り出す。
「ところで松原さんは、今現在は松原工業の業務には全く関わっていらっしゃらないんですか?」
その問いに、孝男は不思議そうに答えた。
「基本的にはそうなるが、それがどうかしたかな?」
「いえ、大した事では無いのですが……。私はそれほど話題が豊富では無いので、そろそろ仕事の話でもしてお茶を濁そうかと思いましたので。ただ松原さんがお仕事の話を好まれないなら、控えておこうと思ったものですから」
神妙にそんなお伺いを立てた沙織だったが、それを聞いた孝男は破顔一笑した。
「何だ、そんな事か! 沙織さんは今までの会話でも、特に話題が偏っているとは思わなかったが、仕事の話をしたければ、話して結構! 寧ろ日常業務についての、率直な意見を聞かせて貰いたいぞ?」
それを聞いた沙織は、一瞬不敵に口元を歪めてから、何食わぬ顔で話を続けた。
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