怒り心頭に発した状態の上司に、逆らう事などできる筈も無く、沙織は手早く仕事に区切りを付けた後、友之に職場近くの居酒屋に連行された。
「それで?」
諸々の注文を済ませて、向かい合って座った上司から、面白く無さそうにグラス片手に問われた為、沙織は神妙に口を開いた。
「木曽さんが《松原課長を密かに愛でる会》の会長ですから、松原課長を好きだったのはご存じかと思いましたが」
「それはまあ……、知ってはいたが? ここで長々と、その会の名前を口にするな」
早くもうんざりしかけた友之に、沙織はさらりと付け加える。
「その木曽さんを、ずっと貴島課長が好きだったんです。それこそ、営業二課に居る頃から」
「……は? 最近の話じゃないのか?」
思わず呆けた顔になった彼に、沙織が溜め息を吐きながらとどめを刺した。
「やっぱり、全く気が付いていなかったんですね……。当時の諸々の事情について、察して下さい」
「…………」
すると友之は、視線を沙織から逸らしてあれこれと考えていたかと思ったら、片手で顔を覆いながらがっくりと項垂れた。そんな彼を少しだけ憐れむように見てから、沙織は先程由良から仕入れた情報を披露する。
「まあ、あれでどうにかできなかったら、どうしようもないヘタレでしたが、何とかなったみたいですよ? あのままの勢いで激励会会場に乱入して、プロポーズしたみたいですし」
それを聞いた友之は、のろのろと顔を上げて疑わし気に尋ねた。
「本当か? 我に返った後の、貴島さんの八つ当たりが怖いんだが……」
「うまく纏まれば、そこら辺は大丈夫じゃないですか? 玉砕した場合は、八つ当たりは倍増かもしれませんが」
「おい!?」
思わず声を荒げた友之だったが、沙織は小さく肩を竦めたのみで話を続けた。
「貴島課長が、よほど下手を打たなきゃ大丈夫でしょう。ですが……、あの二人を見て、ちょっと羨ましいかもって思いました」
「何が羨ましいって?」
「何年も変わらず、相手の事を好きって事です。良くそれだけのエネルギーがあるなと、本当に感心します」
沙織が語った内容に、友之は意外そうな表情をしてから何気なく口にする。
「そういうものって、元々持っているものじゃなくて、恋愛をしていれば自然と湧いてくるものじゃないのか?」
「さすが、恋多き男は言う事が違う、……と言いたい所ですが、課長がこれまで付き合ってきた相手とさほど長続きしていなかった所を見ると、その類のエネルギーがあまり湧かない方ばかりと、お付き合いしていたんですね」
何となく、どうでも良い人間ばかりと付き合ってきたのかと言われたように感じた友之は、少々気分を害しながら言い返した。
「喧嘩を売ってるのか? そういうお前はどうなんだ?」
その切り返しに、沙織はそ知らぬ顔で答える。
「生憎とエネルギー皆無の、フリーズドライ女なもので。誰かからエネルギーを貰わないと、温かくなりませんから」
「堂々と開き直るな。それに今まではともかく、これからそういう恋愛をしたいとは思わないのか?」
「これからですか?」
「ああ」
そこで沙織はテーブルにグラスを置いて真面目に考え込んだが、結果を出すまでそれ程時間はかからなかった。
「……面倒くさそうです」
予想通りと言えば予想通りの反応に、友之は盛大に溜め息を吐いた。
「お前だったら、そう言うだろうとは思ったがな……。そんなに理想が高いのか?」
何気なくそう尋ねると、軽く首を傾げた沙織が、あっさりと否定してくる。
「自分では、それほど理想が高いとは思っていませんよ? 現にこれまで付き合った男と比べたら、課長の方がはるかに仕事ができるイケメンですし」
「それは光栄だ。それなら俺と付き合ってみるか?」
「はぁあ?」
何気なく叩いた軽口に、沙織があからさまに嫌そうな表情と声音で答えた為、友之は微妙にプライドを傷つけられた気分になった。
「例えで言ってみただけなのに、どうしてそんなにあからさまに、嫌そうな顔をするんだ」
ムッとしながら問い質すと、沙織はここで微妙に話題を変える。
「前々から思っていたんですけど、課長って、何となくイメージが父に似ているんです」
急に話題を変えられて戸惑ったものの、予想外の話の流れに、友之は思わず興味津々の顔付きになった。
「へえ? どんな所が?」
「頭が良くてバリバリ仕事ができるイケメンだって所がです」
「そうか……」
断言されて悪い気はしなかった友之だったが、続く彼女の台詞で表情を変えた。
「だけど父って、救いようのない馬鹿でとんでもなく残念な男だったんですよね……。だから課長を恋愛対象にって、無理だと思います」
「おい、ちょっと待て!」
そこで思わず声を荒げた友之だったが、沙織の話は容赦なく続いた。
「勿論、課長を救いようのない馬鹿で残念な男などとは思っていませんから、安心して下さい」
「そうじゃなくて! 普通は父親に似ていると、安心するものじゃないのか? 本当にお前の恋愛観は、どうなっているんだ!? 到底、納得できないんだが!?」
「人は十人十色です。私に関しては、こういう人間だと納得して下さい。あ、揚げ出し豆腐一つ追加でお願いします」
友之の訴えを軽くスルーし、通りかかった店員に追加注文を頼む沙織の姿は、どこからどう見ても通常運転だった。
「……ただいま。急に食べて来るって連絡をして悪かった」
沙織と別れて無事に自宅に戻って来た友之は、リビングで母親に出迎えられたが、幾分心配そうに尋ねられた。
「それは構わないけど……。本当にちゃんと食べて来たの? 何だか疲れているようだけど……。お茶でも飲む?」
「ああ、欲しいな」
「分かったわ。ちょっと待ってて」
笑顔で台所に行こうとした真由美だったが、その背中に友之が声をかけた。
「あ、そうだ、母さん」
「何?」
「変な事を聞くようだけど、『頭が良くてバリバリ仕事ができるイケメン』と『救いようのない馬鹿でとんでもなく残念な男』って両立すると思う?」
「え?」
振り向いて怪訝な顔を見せた母親に、友之は自分が口走った内容を頭の中で反芻して、真顔で謝った。
「……ごめん。何でもないから、気にしないでくれ」
「両立するんじゃない? 頭が良くても利口な人とは限らないし、仕事ができてもプライベートが穴だらけっていう人はいると思うし」
「そうか……」
何気なく答えた真由美に駄目押しされた気分になりながら、友之は盛大に溜め息を吐いた。
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