住民票を異動してから引っ越しを済ませた沙織は、その当日、松原家の面々から盛大な歓迎を受けた。
「それでは、今日から新しく家族になった沙織さんに、乾杯!」
「乾杯」
「こちらこそ、宜しくお願いします」
荷物を片付けているうちに夕方になり、真由美が準備した心尽くしの手料理が並んだテーブルを囲んだ四人は、上機嫌な真由美の音頭で乾杯した。それが済むと早速彼女が、沙織に尋ねてくる。
「取り敢えず、大きな荷物は片付いたみたいね」
「はい、すぐ使う物は出して収納し終えましたし、大丈夫です」
「でも本当に、あの客間にしていた部屋を使う事にして良かったの? お父さん達が使っていた部屋の方が広いけど……」
困惑気味に言われた内容に、沙織は笑顔で答えた。
「あの部屋は既に泊まり込ませて貰った事があって、慣れていますし。できれば、あちらの方を使わせて貰いたいです。使ってみて不都合があれば、部屋替えをお願いしますので」
「そう? 本当に大丈夫?」
まだ幾分納得しかねる顔付きの妻を、義則はやんわりと窘めつつ、沙織に声をかける。
「真由美。本人がそう言っているから、無理強いしなくとも良いだろう。沙織さん、もしこれから部屋を替えたい時には、遠慮無く言ってくれ。それから、今日からは家族になったわけだし、今後は私も『沙織さん』と名前呼びして構わないかな?」
「はい、お義父さん。両方とも了解しました」
「それは良かった」
そこで互いに笑顔で頷きあっていると、真由美が笑顔で食べるように促してきた。
「さあ、沙織さん。遠慮しないでどんどん食べてね! 今日は腕によりをかけて、頑張っちゃったの!」
そんな彼女の成果を眺めながら、男二人が微妙な顔で苦言を呈す。
「頑張り過ぎだろう」
「確かに、少々作り過ぎたみたいだな」
(沙織がプレッシャーを感じたら、どうしてくれるんだ?)
(沙織さんが、嫌みに捉える事は無いと思うが……)
質、量共に十分過ぎる料理の数々を見た友之と義則は、心配そうに沙織の顔色を窺ったが、当の本人は純粋に真由美の料理の腕前を褒め称えた。
「はい、とても美味しく頂いています。以前お世話になった時にも思いましたが、お義母さんは本当に料理を筆頭に、家事が完璧ですよね」
「あら、それほどでも無いわよ? 単にこういう事が好きなだけで」
「でも家に帰ったら、毎日綺麗に片付いた家で、美味しい料理を作って出迎えてくれるなんて、本当に嬉しいです。友之さんより、寧ろお義母さんと結婚したい気分です」
「おい、沙織!」
妙にしみじみとした口調で感想を述べた沙織に、思わず友之が突っ込みを入れる。しかし彼女はそのまま義則に顔を向け、笑顔で同意を求めた。
「お義母さんのような女性と結婚したお義父さんは、本当に果報者ですよね?」
「……そうだな。常日頃、自分の幸運を噛み締めているよ」
「嫌だもう! 沙織さんったら誉め過ぎよ!」
「いえ、正直な感想ですから」
そんな笑顔での女二人のやり取りに、友之は僅かに顔を引き攣らせ、義則は苦笑する事しかできなかった。
(本当にそう思って言ってるよな!? 夫としての、俺の立場が無いんだが!?)
(うん、まあ……、嫁姑間で変な隔意が無いのは、結構な事だな)
そこで急に沙織が、神妙な顔つきで言い出す。
「この前電話で話した時に、休日とかには家事を分担しますとは言いましたけど、手間暇をかけた真由美さんの料理と比べたら、私が作る物は簡単な時短料理だと思いますので……」
「あら、そんな事気にしないで?」
(やっぱり引け目に思うだろうが)
(事前に少し、言っておくべきだったか……)
それ見たことかと友之達は内心で心配したが、それは杞憂に終わった。
「ですからこの機会に、真由美さんに手の込んだ料理を教えて貰いたいのですが」
その沙織の申し出に、真由美は一も二もなく嬉々として頷く。
「ええ、勿論よ! 一緒に作りましょうね! 実はお揃いのエプロンも作ってみたの! 後で渡すわね? 早速だけど、どんな料理が作りたい?」
「一般的な食事のメニューもそうですが、実は私、お菓子類を殆ど作った事が無いんです」
「あら、そうなの?」
「はい。母はそういう物を、手作りするタイプでは無かったので……。日常の食事は作っていて、私も基本的な所は教えて貰いましたが」
「お母様は人並み以上に働きながら、女手一つで子育てをなさっておられたから、お休みの日もそれなりに忙しかったんでしょうね……」
沙織の話に、しんみりした口調で応じた真由美だったが、すぐに力強く請け負った。
「分かったわ。それなら今後のお休みには、お菓子作りをしましょう。食べたい物があれば、それに合わせて材料や器具は準備しておくわ」
「ありがとうございます。楽しみです」
それからは再び和やかに会話しつつ、食べ進めていく彼女達を見ながら、男二人は無言で目と目を見交わした。
(色々言いたい事はあると思うが、女同士で話が纏まっているんだから、余計な口は挟むなよ?)
(それ位、分かっているさ。心配要らないから)
それからは四人揃って笑顔で食べ進め、沙織はまるで元からの家族の一員のようにリラックスしながら、夕食のひと時を過ごした。
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