「その……、そもそもはこちらの誤解から始まった事なのに、家庭の事情を洗いざらい喋らせる事になって、申し訳無かった。それに一之瀬氏にはきちんと謝罪しないまま、あの場から離れてしまったので、改めてきちんと詫びを入れに行こうかと思うから、できれば好みの酒の銘柄でも教えて貰いたいんだが……」
何とか気を取り直した友之が、改めて謝罪の言葉を口にしつつ手土産について相談すると、沙織は真顔でそれに答える。
「あ、母親は前に言ったようにザルですが、和洋さんは下戸なので、お酒じゃなくて高級スイーツにしてあげて下さい。それにお互いに殴っていますし、わざわざ出向いてまで謝罪する必要はありません。そこら辺は私から、きつく言い聞かせておきますから」
「……分かった。詫び状を添えて、贈る事にする」
「はい、それで十分です」
相手が神妙に頷いたのを見て、沙織は漸く胸を撫で下ろした。
(これで何とか、一件落着? 確かに良く考えてみたら、色々誤解されても仕方の無いシチュエーションだったかもね。これからは気をつけよう)
すっかり安心して気が緩んだ彼女に、友之がいつもの口調で声をかけた。
「関本、少し俺の話を聞いて貰いたいんだが」
「あ、はい。何でしょうか?」
仕事の話かと何気なく頷いた沙織だったが、次の唐突過ぎる友之の台詞を聞いて固まった。
「実は学生時代、不倫していた事がある」
「………………はい?」
「失礼致します。焼き物をお持ちしました」
ここで仲居が新しい料理を運んだきた為、二人ともその間に酒を一杯ずつ飲んだ。そして再び二人きりになってから、友之が真顔で話を再開する。
「冗談ではないし、別に初恋と言うわけでもない。高校時代からそれまで、特に女に不自由していなかったから、ちょっとスリリングな火遊びでもしてみたいと考えていた所に、恩師の年の離れた後妻と知り合って、そのままずるずると関係を持って」
「ままま松原さん!? 恩師の後妻さんって、一体何歳年上だったんですか!」
慌てて台詞を遮って問い質してきた沙織に、友之は少々不思議そうな顔になりながらも、あっさりと答えた。
「真っ先に食いつくのはそこなのか? 確か、十五歳年上だったな。恩師とは二十歳違いだった」
淡々と述べられた事で沙織はそれが真実だと悟りながらも、一応確認を入れた。
「マジ話ですか?」
「残念な事に」
「まあ……、色々あったかとは思いますが、円満に別れたのなら、別に残念では無いかと思いますが」
まだ少し動揺しながらも、沙織は精一杯のフォローをしたつもりだったが、それを聞いた友之は、何故か苦笑いの表情になった。
「円満、ねぇ……」
「……まだ何かあるんですか?」
激しく嫌な予感を覚えながら、含み笑いをしている友之に沙織が恐る恐る尋ねてみると、予想外の答えが返ってくる。
「青二才が一人で盛り上がって、卒業したら結婚を申し込もうと思っていた相手が、実は恩師と結婚する前から付き合っていた役者崩れの男と切れていなくて、夫を捨てて駆け落ちしたなんて結末の場合、間男以下の単なる火遊び男としては、どういうリアクションを取れば良いと思う?」
「それは……」
苦笑を深めながら問い返された沙織は、咄嗟に何か言いかけて口を噤んだ。しかし、すぐに真剣な顔付きで言い出す。
「……松原さん」
「何だ?」
「今の、女性とそつなくお付き合いできている現状を見聞きしていると、今の話は一体何の冗談だと言いたくなりますが」
「全く、若気の至りにもほどがあるよな」
「以前も言いましたが、やっぱり松原さんって、どことなく和洋さんと似てますね」
「え?」
「頭と顔は良いし才覚もあるのに、和洋さんとは違った方向で、つくづく残念な男性だと思います」
「そうきたか……」
先程話題にしていた父親と、ある意味一括りにされてしまった友之は、思わず溜め息を吐いて項垂れた。そんな彼を探るような目で眺めながら、沙織が推測を述べてくる。
「まさかとは思いますが……。これまで社内の女性と一度もお付き合いした事が無かったのは、女性関係で何か問題が起きた場合、創業家の一員としては立場がないとか考えていたからですか?」
その指摘に、友之はどことなく困ったような顔で答えた。
「別に、意識的にそうしていたわけでは無いが……。結果的にはそうだったかもしれないな。女が駆け落ちした後も、俺は当時研究室で、恩師の指導の下、卒論を書いていたんだ。当然恩師は元妻と俺の関係は知らないが、申し訳ない上にいたたまれなくてな」
「うわぁ……、本当に恩知ら、いえいえ、繊細でいらっしゃいますね」
「こら、本音をダダ漏れさせるなら、下手に隠すな」
思わず感想が口をついて出た沙織を、友之が笑って窘める。そんな彼に向かって沙織が、恨みがましく文句を言った。
「それにしても、いきなりどうして過去の不倫話なんかしてくるんですか。ペラペラと他人に話す事では無いでしょうし、心臓に悪いですから止めて下さい」
「自分から進んで話したのは、関本が初めてだぞ? それで話した理由は、そっちから親のとんでもない話を聞いてしまったからな。これでおあいこかと思ったから」
「はぁ?」
全く意味が分からずに首を傾げた沙織に、友之が重ねて説明する。
「だから、万が一お前の親の話が漏れたら、今の俺の話を公言しても良いって事だ」
それを聞いて気分を害した沙織は、相手を軽く睨みながら言い返した。
「あのですね……、私、他人のプライベートを不特定多数の人間に向かって吹聴する趣味はありませんし、松原さんも同じタイプだと思っていたんですが?」
それに友之が、真顔で言い返す。
「上司としても一人の人間としても、それなりに信頼して貰っているのは分かってるさ。だからこれはあくまでも、俺の気持ちの問題だ」
「本当に面倒くさい……」
筋が通っているのかいないのか微妙に判別がつかない事を主張され、沙織はうんざりとした表情になった。そんな彼女に向かって、友之が再度予想外の事を言い出す。
「さて、これで一連の誤解は解けたし、この前の暴挙はお互いに手打ちと言う事になったから、俺と付き合わないか?」
あまりにもサラリと口にされた言葉に、沙織は先程とは別の意味で固まった。
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