「なぁ~ん」
「ジョニー様、お久しぶりですぅぅっ!! さあさあ、ずずいっとお入りになってくださいませ! 今すぐに、お食事を準備いたします! 少々お待ちください!」
とんでもなくハイテンションな沙織とは対照的に、その細身の猫はゆったりとした動作で室内に足を踏み入れ、どうやらここに来る時は定位置になっているらしいすこしへたり気味のクッションに落ち着いた。彼がそこに落ち着くのを確認した沙織は再びキッチンにすっ飛んでいき、それを見送った友之は思わず彼に声をかける。
「……凄い歓待ぶりだな。いつもこうなのか?」
「にゅあ~~ん」
ちょっと困り顔っぽく鳴き返された友之は、思わず一人で笑ってしまった。そこで深皿に何かを入れて戻って来た沙織が、その皿を猫に向かって差し出す。
「さあ、ジョニー様! 今日は豪勢に人工添加物不使用の高級マグロ缶です! どうぞ!」
「なうっ!」
その皿の中身を凝視したジョニーは一声短く叫ぶと、満足そうに食べ始める。そして一心不乱に食べ続けるジョニーを満面の笑みで見守りながら、沙織がどこからか真新しいブラシを持って来て彼に声をかけた。
「ご満足いただけましたか、ジョニー様」
「にゃ~ん」
「それではお食事がお済みになりましたら、是非とも毛繕いをさせてくださいませ! 新品のこのブラシを、是非お試しいただきたく」
「うにゃっ!」
「ご了解頂き、ありがとうございますっ!!」
その如何にも「やらせてやるぞ」的な、背筋をピンと伸ばしての上から目線的な掛け声に、沙織は畏まってブラシを手にしたまま平伏し、先程から彼女達の一部始終を動画で撮っていた友之は必死に笑いを堪えた。
「面白過ぎるが……、時間も時間だし、そろそろ帰るか」
普段の職場での彼女とは別人かと疑いそうな有様を見せられ、このままもう少し観察していたかったのは山々だったが、友之は翌日の事も考えて撮影に使っていたスマホをしまい込んで腰を上げた。
「関本、それじゃあ俺は帰るから。茶はもう良いぞ」
「あ、すみません! おかまいもしませんで!」
漸くジョニーから自分に視線を向けて立ち上がった沙織に、友之は苦笑しかできなかった。
「……うん、実に清々しい笑顔だな。何もコメントできない」
「夜道ですからお気をつけて!」
「ああ、また明日」
そして玄関まで見送りに出た沙織に挨拶して歩き出した友之だったが、すぐに笑いが込み上げてくる。
(しかし……、いつもとは凄いギャップだったな。これで当面、笑えそうだ)
エレベーターホールで上がって来るのを待つ間、スマホを取り出して先程撮ったばかりのデータを出そうとした友之だったが、丁度目の前の扉が開いてその動きを止めた。しかし一人の年配の男性が降りて来た他に、もう一人男性がエレバーターに乗り込んでおり、上層階行きであると察した友之が再びスマホを操作し始める。
(隣は夜間は止まっているのか。階段を探すのも面倒だし、このまま待つか)
そして今上がって行ったエレベーターを待つつもりで立っていた友之だったが、ふと数秒前にすれ違った男性について考え込んだ。
(そう言えばさっきの男性、どこかで顔を見た記憶があったような……)
思わず振り返り、数歩歩いて左右に延びる廊下を見渡せる位置まで移動した友之だったが、彼はそこで困惑した。
「おかしいな……、割とすぐに廊下を見たから、まだ歩いていると思ったが」
どちらの方向にも歩いている男性の姿など皆無であり、既にどこかの部屋に入ったのは確実と思われたが、足音が遠ざかった方向と時間的に、この場所から至近距離の沙織の部屋でしかありえず、友之の疑問は深まった。
「関本の部屋に入ったのなら、話は分かるが……。彼女の実家は名古屋だし、一人暮らしだよな? 俺の気のせいで、他の部屋に入ったんだな」
考え込んでしまったものの、わざわざ引き返して彼女に尋ねる程でもなく、更にその時上がって行ったエレバーターが戻って来て扉が開いたことで、友之はすっきりしない気分のままそれに乗り込んで一階へと降りて行った。
「きゃあぁぁ~っ、やっぱりジョニー様の毛並みは違うわぁ~。とても野良猫とは思えない、この艶やかな毛並み! でも首輪もしてないし、本当に謎が多いイケ猫様ですよね~」
その頃、上機嫌にブラッシングをしていた沙織の背後から、友之が目撃した人物が彼女に声をかけていた。
「え、えーと、沙織、こんばんは……」
その声に振り返った沙織は、不思議そうに言葉を返す。
「あれ? 和洋さん。今日来るって言ってたっけ?」
「言ってなかったけど明後日から出張だから、その前に沙織の顔を見ておきたいなと思って」
「ああ、そう。別に構わないですけどね、和洋さんはここの家主だし。適当にお風呂に入って寝て下さいね。遅いから、私もジョニーのブラッシングが終わったら、もう寝るから」
「え、でもちょっと話を」
「もうすぐ十一時になるのよ」
「分かりました……。お風呂を入れてきます」
ぴしゃりと仕事の時と同様の冷徹さで沙織に言い切られた彼は、すごすごとリビングを出て行った。すると大きく伸びをしたジョニーが、一声満足げに鳴く。
「うな~ぅ」
「あ、ジョニー様、お帰りになるんですか?」
そしてスタスタと窓に向かって歩き出した彼の先回りをして、沙織が窓を開ける。
「にゃうっ!」
「またのお越しを、お待ちしております!」
ベランダからその手すりに飛び上がり、更に少し離れた場所に立っている大木の枝に飛び移った彼を沙織は満面の笑みで見送ってから、何事もなかったかのように元通り窓を閉めて寝る支度を始めた。
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