酸いも甘いも噛み分けて

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(3)超個人的プレゼンテーション

公開日時: 2021年6月6日(日) 15:23
文字数:3,021

「それでは遠慮無く、日常業務に関しての話をさせて貰います。ご存知かとは思いますが、私が所属している営業二課は、主に精密工作機械を取り扱っております」

「そうだな。最近、景気はどうかな?」

「正直言って、あまり芳しくはありません。しかし新規顧客を開拓しつつ、常に契約数、売上高共に前年比増を達成しています」

「おう、頑張っているな」

 孝男は笑顔で相槌を打ったが、ここで沙織は僅かに顔を顰めながら愚痴っぽく訴えた。


「ですが最近、社内でゆゆしき事態が発生しておりまして……。対応に苦慮しております」

「ほう? 一体どうした」

「社内で、中小企業向けの精密工作機械の後継機開発を断念、それに伴いそれらの製造販売を徐々に縮小の後、終了しようとする動きが出ています」

「……何だと?」

(おい、ちょっと待て。どうして今、その話題が出る?)

 深刻そうな声で沙織がそう告げた途端、孝男の顔が険しい物になり、友之は内心で焦り始めた。しかし彼の心情など全く察する事無く、沙織が重々しい口調で話を続ける。


「確かに大型の重機や大量生産用の画一的な大規模システムを売れば利益は大きいですし、メンテナンス契約でも長期間の収入が見込めます。ですがだからと言って、製造現場で使っている機器の製造を、あっさり切り捨てて良いものでしょうか?」

「沙織、それくらいで」

 友之がさり気なく会話に割り込みつつ制止しようとしたが、沙織は語気強く訴え始めた。


「大企業向けの販売は、勿論結構な事です。しかし! 日本の製造業の大部分を占めているのは、間違い無く、比類無き技術を保持してきた中小企業、いわゆる現場の町工場! そしてそこの製造を支えてきた松原工業が、これまでの日本の繁栄を支えてきたと言っても、過言ではありません!」

「沙織、ちょっと落ち着け」

「良く言った沙織さん! 全く、その通り! 日本のこれまでの発展は小さな町工場と、そこに必要な機材を提供してきた松原工業が支えてきたんだ! それをしっかり理解してくれていて、俺は嬉しいぞ!」

 声高に叫ぶ沙織を友之は宥めようとしたが、ここで孝男がすっかり感激した声を上げた。しかし彼女が再び、気落ちした風情で告げる。


「ですが残念な事に、先程も言ったように、社内でTRW‐ⅡとSJ25Hの後継機開発を断念させようとする動きがありまして」

「けしからん! どちらも工作機械としては、長年人気があった物じゃないか!」

「はい。勿論基本設定は変えずとも、時代に合わせて細部や仕様はその都度変更していますが、今後は収益を見込めないと、某部長やら某専務やらが社内にふれ回っておられるそうです」

「何だと!? 友之! お前、そんな事をみすみす許しているのか!?」

 孝男は完全に腹を立て、販売現場責任者の一人でもある友之を非難した為、友之はそれに弁解しつつ、沙織を叱りつける。


「別に、傍観しているわけではないから! それに沙織! 『ふれ回っている』とか、憶測で物を言うのは止めろ!」

 しかしそれで恐れ入る沙織では無く、引き続き孝男に語りかけた。


「松原さん、安心してください。友之さんは、黙って指を咥えて傍観などはしてはいません。開発、及び販売中止撤回の為に、部下の私達に命じて、TRW‐ⅡとSJ25Hの今後の用途拡充の可能性や、販売計画についてのデータを纏めさせています」

「ほう? そうか」

「因みに……」

 そこで立ち上がった沙織は、再びさり気なく背後に置かれていたスーツケースに歩み寄り、中からクリアファイルを取り出した。


「これが、纏めた資料のコピーです。宜しかったら、松原さんに内容をご説明しますが」

 沙織がそう言いながら、分厚いファイルを座卓に置いた途端、友之が動揺しながら問い質した。


「沙織! どうしてそんな物がここにあるんだ!?」

「どうしてと言われても……。これから日本の製造業はどうなるのかと、休日も心配で心配で……。ついつい荷物の中に、資料を入れてきてしまいました。仕事中毒ここに極まれり、ですね。反省します」

「白々しい! 沙織! まさかお前、お祖父さんにプレゼンする為に、ここまで来たのか!?」

 ここで血相を変えて詰め寄った友之に、彼女が如何にも心外そうに言い返す。


「人聞きの悪い……。何がプレゼンですか。私は松原工業の大先輩に対して、普段の仕事に関して尋ねられたので、それに関して少々熱く語っているだけではないですか」

「しっかり資料持参で来やがって、どこが少々だ! お祖父さんを介して、社内に圧力をかける気満々じゃないか!」

 その指摘にも、沙織は堂々としらばっくれた。


「圧力? 一体、何の事やら。私の話を聞いて、前社長が社内で何をどう語ろうと、私の関知する所ではありません」

「あのな! 退陣以来、全く経営に口を挟んでこなかったお祖父さんが、いきなり業務に関して横槍を入れてきたら、真っ先に関与を疑われるのは、実の孫の俺だろうが!」

「知りませんよ、そんな事。と言うか中間管理職なんですから、どのみち部下のやらかした事に対して、責任を取る義務がありますよね? 社内から、胡散臭い目で見られてください。何の為に管理職手当を貰ってるんですか。TRW‐ⅡとSJ25Hの継続開発断念を覆せるなら、私は幾らでも虎の威を借る狐になります!」

「だからこの場合、周囲から狐と見なされるのは俺なんだぞ!?」

 堂々と力説する沙織に、友之は狼狽しながら反論しようとしたが、そんな二人のやり取りを唖然として眺めていた孝男が、ここで腹を抱えて爆笑した。


「ぶわはははははっ!! そうかそうか、君に取って私は、使えるコネか!」

 そこですかさず沙織が、冷静に付け加える。


「面白がって動いて頂ければ、私としては非常に助かりますし、自信を持ってお勧めできるお酒を、もう一本進呈致します」

「気に入った! 今後は沙織さんの事を、さっちゃんと呼ぶぞ!」

「……はい?」

「あらあら、この人のお気に入りになっちゃったわね」

「俺の事は『たかちゃん』で構わん! ちょっとばかり年の離れた友人のよしみで、最近の社内の動向を洗いざらい俺にぶちまけてみろ!」

 上機嫌に宣言された内容を聞いた沙織が、さすがに困惑した顔になったが、静江はおかしそうに笑っただけだった。しかし、とても笑っていられる心境に無かった友之は、本気で祖父を叱り付ける。


「ちょっとばかりじゃなくて、相当年が離れてるだろうが!!」

 しかし沙織はそれを完全に無視し、孝男に向かって宣言した。


「了解しました、たかちゃん! それではこれから、先程の二機種に関する資料に加えて、昨年度下半期の経営収支から見る、今年度の展望と経営方針の問題点について、独断と偏見に基づいた持論を展開しまくります! ご静聴ください!」

「おう、待ってました! どんどんやれ! とことんやれ!」

「お祖父さん!」

 沙織の宣言に孝男が拍手喝采で応じ、何を吹き込まれるか分からないと友之は本気で声を荒げたが、そんな孫息子の袖を軽く引きながら、静江が小声で宥めた。


「友之。この人は、こうなったらもう駄目だから。放っておきなさい」

「いや、だけど」

「取り敢えず二人が落ち着くまで、私達の部屋に行っていましょう。こうなったら私達の話なんか、聞いてくれないわよ。分かっているでしょう?」

「……そうだね」

 祖父の気性は十分に分かっていた友之は、用意してきた資料の内容を蕩々と解説している沙織と、嬉々としてそれに突っ込みを入れつつ聞き入っている孝男を放置して、祖母を連れてその部屋から出て行った。


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