「あの……、田宮さん。お気持ちは大変ありがたいのですが、私は当面結婚する予定はありませんので」
控え目に断りを入れた友之だったが、当然田宮はそれで納得しなかった。
「友之君、それはいかん! 男たるもの家庭を持って、初めて一人前と見なされるものだ! これからの松原工業を背負って立つ立場の友之君が、いつまでも独り身が気楽だからと言っていてはいかんよ!」
「しかしですね」
「社長。社長はどう思われますか? ちゃんと家庭を持ち家族の人生に責任を持てないで、何千人といる松原工業社員の人生を託される、社長の座に就けるとお思いですか?」
そんな風に話を振られた義則は、常日頃から思っている事を率直に口に出す。
「それも一理あるかも知れませんが、友之より優秀な社員が幾らでもおりますから、必ずしも友之が社長になるかどうかは分かりまんし」
「社長! それはいけません! 社長になるかどうかは二の次三の次。まず人生の指針を、息子にビシッと示すべきではありませんか!?」
「……面目ない」
確かにこの場では関係なかったかもしれないと率直に反省した父親を、友之は少々恨みがましい目で見やったが、そんな彼に田宮は尚も言い聞かせてきた。
「社長がご子息に大変理解があり、信頼している上で放任されているのは分かっております。ですからここは敢えて、私が憎まれ役になりましょう! 友之君! 見合いしたまえ! 君が首を縦に振るまで、私は決して諦めないからな! そういうわけだから今夜は君の女性の好みなどを、じっくり聞かせて貰おうか」
「それは……」
「田宮さん、あのですね」
「やはり直には話し難いなら、君の課の関本さんにお願いして、話を聞かせて貰うかな? 同性目線から見た評価と言うのも、なかなか侮れないものだし」
所長親子が何やら躊躇していると見た田宮は、何をどう思ったのかとんでもない方向に矛先を向けた。それにさすがに友之が、動揺しながら問い返す。
「ちょっと待ってください! 関本に何を聞くと仰るんですか?」
「え? 彼女が君公認の社内ファンクラブ《松原課長を愛でる会》の名誉アドバイザーで、君の女性遍歴の粗方を知っているんだろう? 君の口から言いにくい事でも、彼女なら話してくれるかと思ったのだが」
「…………」
もう何も反論できない義則は、無言で顔を右手で覆った。しかしここで何とか思い留まらせないと大惨事になりかねない友之は、盛大に顔を引き攣らせながら翻意を促してみる。
「田宮さん……。確かにそうですが、彼女は仕事においてもプライベートにおいても、大変口が堅い人間ですから」
「友之君の為だと言っても、教えては貰えないかね?」
「恐らく無理です」
「そうか、それは残念だ……。だがあの一之瀬社長のご令嬢で君が信頼している部下なら、それ位は当然だな。寧ろ納得した」
「ご理解いただけて良かったです」
「それではやはり是非本人から、色々聞かせて貰いたいのだが」
「それは……」
最悪の事態は回避できたと安堵したのも束の間、田宮が全く動じずに更に追及してきた為、友之は本気で閉口した。
(父さん、何とかしてくれ!)
(この状態の田宮さんに絡まれたら、離して貰えないから諦めろ。適当に言って、お茶を濁しておけ)
目で訴えた父親にも無言で首を横に振られてしまった友之は、会食の間中、冷や汗を流しながら田宮の相手を続ける羽目になった。
「今夜はご馳走さまでした」
「いえいえ、社長。今回はほんのお詫びですので。友之君、君と色々突っ込んだ話ができて、なかなか有意義な夜だったよ」
「こちらこそ、貴重なご意見を色々いただきまして……」
「それではまた明日」
料亭の外で予め呼んでおいたタクシーに乗り込んだ二人は、見送る田宮に笑顔を振り撒いていたが、それが動き出すなり揃って疲れ切った表情になり、深い溜め息を吐いた。
「全く、冗談じゃないぞ……」
「この前とは、違う意味での嫌がらせだな。尤も前回は完全に悪意からで、今回は完全に善意からだと思うが」
「本当に善意なのか? 俺は悪意しか感じないぞ?」
「そう言うな。明日社内で、どうして彼が友之の縁談を纏めようとする気になったのか、彼と親しい人間に探りを入れてみるから。それよりも、この事を真由美と沙織さんにはどう説明する?」
吐き捨てるように言った息子を宥めながら義則が確認を入れると、友之は少し考え込んでから黙り込んだ。
「母さんは怒るに決まっているし、沙織は……」
「沙織さんがどうした?」
首を傾げながら義則が尋ねると、友之が真顔で答える。
「行動パターンが、予測できない。田宮さんに怒鳴り込むか、綺麗に無視するか、俺が愛想を尽かされるか、一之瀬さんや豊さんに教えて完全に田宮さんの息の根を止めさせるか」
「……幾らなんでも、最後のは無いんじゃないか?」
義則はもの凄く疑わし気に感想を述べたが、友之は微妙に心外そうな顔になった。
「俺が愛想を尽かされるのは有りなのか?」
「多少の可能性はありそうだなと。結局押し切られて、それを受け取って来てしまったしな……。営業部時代の『スッポンの田宮』の二つ名は、伊達じゃないな」
「本当に勘弁してくれ……」
膝の上でガサリと音を立てた問題のそれを、友之は両手で顔を覆って一時的に視界から消し去り、そんな息子を義則が気の毒そうに眺めた。
「ところで、それをどうするつもりだ?」
その問いかけに友之は顔を上げ、真剣な顔付きで述べる。
「暫く預かって、適当に理由を付けて断りを入れながら返す」
「そうだろうな。それなら二人には、何も言わないでおこうか。変に波風は立てたくないし」
「そうしてくれ、頼む」
そんな風に意思統一した二人は、無事に家の前でタクシーから降り立ち、何食わぬ顔で家の中に入った。すると玄関で靴を脱いでいる間に、物音を聞きつけたらしい真由美がリビングから出て来て、笑顔で二人を出迎える。
「お帰りなさい。思っていたより遅かったわね」
「予想以上に、田宮さんと話が盛り上がってね」
「そうなの? 結局、本当にお詫びだったの?」
「ああ。楽しく飲んで来たよ」
「それなら良かったわ」
「じゃあ、俺は部屋に行くから」
極力真由美の目に留まらないように、ビジネスバッグの陰になるように紙袋を持ちつつ、その横をすり抜けようとした友之だったが、そこで彼女から声がかかる。
「あ、友之。今、沙織さんがお風呂に入っているから」
「分かった」
「それで真由美の方は? 沙織さんとの食事は楽しかったか?」
「ええ、とても楽しかったし、美味しかったわ!」
「それは良かった」
一瞬ヒヤリとしたものの、すぐに義則が真由美の注意を引いた為、友之は父親に感謝しながらそそくさと自分の部屋に引き上げた。
「帰った直後に沙織に出くわさなくて、本当に良かった。こんな物を見られた日には、どんな事になるか分からないからな」
そこで自分の部屋に入るなり、友之は部屋に作り付けのクローゼットを開け放ち、横に設置してある棚の中身を手早く入れ替えた。そして空いた上のスペースにその風呂敷包を紙袋に入れたまま乗せ、何事も無かったかのように元通り扉を閉め、風呂から上がったタイミングで沙織に帰宅の挨拶をするべく彼女の部屋へと向かった。
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