「……はい。ええ、そうです。宜しくお願いします」
沙織が一つ手配を済ませて、電話の受話器を置いたのと同時に隣の席に戻って来た佐々木が、紙袋の中から辛うじて手のひらに乗るサイズの部品を取り出して、笑顔で彼女に声をかけた。
「先輩、戻りました。開発部の方から、部品サンプルを受け取って来ました」
「ご苦労様。あ、やっぱり図面を見るより、こっちの方が分かり易いわね。研磨部分が、ここまで小型化されているなんて」
「そうですね。画期的な小型化と言われてもピンと来ない人にも、これで全体像が分かって貰い易くなる筈です」
「じゃあ明日、新田精機に行く時に持参するから、保管しておいて」
「はい、分かりました」
感心した声を出した沙織に佐々木も上機嫌に頷きながら同意したが、次の彼女の台詞に瞬時に固まった。
「あ、それと佐々木君。ついさっき来週の二十四日の十九時から、墨田金工の接待を入れたから宜しくね」
「はい……。え? 二十四日ですか!?」
「そうよ。そこで例の件を詰めるから」
慌ててロッカーの前で振り返って問い返した佐々木だったが、沙織は既にディスプレイを凝視しながら次の作業に移っていた。そんな彼女に対して、佐々木が恐る恐る声をかける。
「……あの、先輩?」
「何?」
「その日は、クリスマスイブですが……」
「そうね。それが?」
「…………」
ディスプレイから片時も目を離さないまま、素っ気なく答えた沙織を見て、佐々木は黙って項垂れた。そんな二人のやり取りを、実は少し前からハラハラしながら見ていた周囲は溜め息を吐き、無言で立ち上がった友之が二人の所に歩み寄ってから、呆れ気味に告げる。
「関本。その接待は俺が出る。佐々木、お前は出なくて良いぞ」
「はぁ? どうしてわざわざ課長が出るんですか?」
思わず顔を上げて沙織が問い返したが、友之は真顔で言い返した。
「課長が出たら拙いのか? 上役が出る分には、支障は無いだろう。佐々木は予定があるらしい」
「課長、申し訳ありません!」
そこで勢い良く佐々木が頭を下げた為、沙織は振り返って彼を宥めた。
「……え? 佐々木君、予定があったの? それなら遠慮せずに、そう言って良いのよ?」
しかしその台詞に、周囲から呆れ気味の声がかけられる。
「関本……、真顔で仕事の話をしている時に、女とデートの約束があるから行けませんとは言えんだろ」
「それ位、察してやれよ」
「と言うかお前、イブに何も予定が無いのか?」
「はい、何も。それで墨田金工の高科部長が、この日が空いていると仰ったものですから」
「…………」
事も無げに沙織が口にした内容を聞いて、同僚達が揃って困惑した顔になる。
「おいおい、その部長、家族サービスとかしなくて良いのかよ?」
「小耳に挟んだところによると、何だか最近離婚されて、一人暮らしをされているそうです」
「……何だよそれ」
沙織が馬鹿正直にそう口にした途端、同僚達の顔が何とも言い難いものに変化し、友之は怒りを堪えながら再度沙織に申しつけた。
「やはり、一緒に出た方が良さそうだな。そのつもりでいろ」
「いえ、ですが課長は」
「幸いな事に、俺も“今現在フリー”で、イブの予定は“空いている”からな」
「……そうでございますか。それでは宜しくお願いします」
「ああ」
物騒すぎる、何とも良い笑顔で友之から見下ろされた沙織は、それ以上反論せずに頷いておいた。
「先輩……。やっぱり近いうちに、合コンをセッティングします。先輩が益々干上がっていくみたいで、見ているだけで胸が痛いです……」
「そんな事、しなくて良いから! それよりメソメソしない! ほら、仕事仕事!」
友之が自分の席に戻ると同時に、涙目で申し出てきた佐々木を叱咤しつつ沙織は仕事を再開したが、内心では先程の友之の様子に、肝を冷やしていた。
(何か微妙に、怒っているオーラが滲み出ていたような……。だって本当に、二十四日には何も予定は入って無かったし、何も言って無かったし!)
その沙織の推察通り、密かに準備していた内容をぶち壊しにされた友之は、深く静かに怒っていた。
(特に忙しくは無かったし、サプライズでと考えていたが……、あいつがイベント事に一々浮かれる筈も、期待する筈も無かったな。しかしまさか、本気で接待を入れるとは……)
そしてその怒りは、すぐに元凶となった人物に対して、まっすぐ向けられる事となった。
(女っ気無しのイブなんか味気ないからと、沙織を侍らせて何をする気だった、あの野郎。せっかくだから、きっちり契約締結までの足がかりを作ってやろうじゃないか)
そんな風に完全に八つ当たりした友之は、二十四日当日、並々ならぬ決意と意欲で接待に臨む事となった。
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