酸いも甘いも噛み分けて

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(7)順調な(?)準備

公開日時: 2021年6月26日(土) 20:53
文字数:3,063

「いらっしゃい。今日はまた、結構な荷物ですね」

 土曜日に自宅で友之を出迎えた沙織は、両手一杯に荷物を抱えていた彼に、呆れ気味の声をかけた。それに友之が苦笑しながら、色とりどりの花束を差し出す。


「よくよく考えてみたら、沙織にこれまできちんと花を贈っていなかった事に気が付いて、急遽花屋に寄って来た」

「何をやってるんですか」

「もうすぐ引っ越しするし、その前に色々きちんと手順を踏まえておきたいからな。今年はバタバタしているうちに、誕生日も過ぎてしまったし。これで勘弁してくれ」

 そんな事を言われながら花束を受け取った沙織は、苦笑を深めた。


「だからと言って、何も駆け込みで花を贈らなくても……。笑えますよ」

「おかしかったら笑って良いぞ?」

「とにかく、花を飾りますから。後から思い出し笑いさせて貰います。その間に、お酒やグラスを出しておいて貰えますか?」

「分かった。やっておく」

 そして沙織は花束を抱えて洗面台の方に消え、友之はその間に荷物を運び込み、勝手知ったるキッチンで必要な物は冷蔵庫にしまい、酒やグラスを手際良く取り出してテーブルに並べた。


「沙織。引っ越しは来週だが、荷造りは進んでいるのか? 有休も取らずに、普通に勤務しているし」

 乾杯した直後、些か心配そうにそう問われた沙織は、微妙な表情をしつつそれに答えた。


「それは大丈夫。と言うか……、和洋さんに『部屋を明け渡すから、遊ばせておくのは勿体ないし、誰かに貸したら?』と言ったら、『赤の他人をそのマンションに入れるのは、絶対に嫌だぁあぁぁっ!』と号泣されて……」

「ああ……、うん。一之瀬さんの気持ちは、分からないでも無いな……」

 少し前の、半狂乱状態の和洋の姿を思い出した友之は、遠い目をしながら頷く。


「豊は既に自宅マンションを購入していますし、仕方がないからクローゼットか物置代わりにして、普段使わない物はそのままにしておく事にしました。それで意外に荷物が少なくなって、引っ越しプランもらくらくシンプルパックで済んでしまったもので」

「お義父《とう》さんの気が済むのなら、それで良いさ。衣替えとか必要時には、取りに来れば良い」

「それなんですけど……」

「『それ』って、何の事だ?」

 何を示しているのか咄嗟に理解できなかった友之が、不思議そうに問い返すと、沙織は困惑気味に話を続けた。


「結婚したら、一応社長の事は『お義父《とう》さん』と呼ぶべきではないかと思ったので、一昨日真由美さんに電話した時、『同居後は、やはり真由美さんと社長の事は、お義母さんとお義父さんと呼ぶべきでしょうか?』と、それとなく聞いてみたんです」

「母さんなら嬉々として『そうしてくれ』と言ったよな? 父さんも快諾したと思うが」

「それが……、実は社長には、難色を示されました」

「は? どうしてだ?」

 全く予想外の答えを返され、友之の困惑が更に深まった。すると沙織が戸惑いながら、説明を加える。


「『聞くところによると、君はお母上の手前、一之瀬氏の事を名前で呼んでいるそうだね。確かに親の離婚で籍は抜けたかもしれないが、れっきとした父親である彼を差し置いて、赤の他人の私が『お義父さん』と呼ばれるのは、些か心理的抵抗があるのだが』と、如何にも困った口調で言われてしまいまして……」

 明らかに困り顔の沙織を見て、友之は父親に対して(余計な事を)と苛立ちを覚えた。しかし盛大に舌打ちしたい気持ちを抑えつつ、沙織を宥める事にする。


「気にするな。それはどうしようも無いだろう」

「それはそうなんですけど……」

「それより、今日はこれを渡しに来たのがメインだからな」

 かなり強引に話題を変える為、ここで友之は当初の予定よりも早く、隣の椅子に乗せておいた紙袋から綺麗にラッピングされた箱を取り出した。それを見て中身を察した沙織が、沈鬱な空気を一掃させて目を輝かせる。


「あ、例の時計、仕上がったんですか?」

「ああ。注文通り、裏に刻印して貰った。見てみるか?」

「勿論!」

 嬉々として受け取った沙織が、上機嫌に包装を解き始めたのを見て、友之は内心で安堵した。そんな彼の前で取り出した時計を早速装着してみた沙織が、満足そうに感想を述べる。


「う~ん、値段でかなり躊躇ったけど、やっぱり良いわ! この重厚感溢れるけど、洗練されたデザイン! それに手頃な重量! 文字盤も見易いし!」

「そうだな。それに確かにペアウォッチだが一見そうは見えないし、常に付けていられるからな」

 手を伸ばして箱の中から自分の分を取り出し、同様に着けてみた友之に、沙織が満面の笑みで礼を述べた。


「ありがとうございます。大事に使いますね」

「保証もしっかりしているから、多少荒っぽく使っても大丈夫だぞ?」

「腕時計を、どう荒っぽく使うって言うんですか」

「沙織の事だから、俺には予想も付かない使い方をするんじゃないか? 例えば武器代わりとか」

「しませんよ!」

 そこで二人は顔を見合わせて笑ったが、沙織が急に真顔になって話題を変えた。


「ところで友之さん」

「急に改まって、何だ?」

「この前、和洋さんに会った時に、豊が話に出した事ですけど」

 それを聞いた友之は、すぐに彼女が言わんとする事を察した。


「ああ、結婚式の事か?」

「ええ」

「実はあれから、俺も考えていた。年末年始にグアムに行って、二人きりで挙式して来ないか? ちゃんとしたハネムーンは、夏期休暇にでも行くようにするが」

「え? 年末年始?」

「もうプランを考えて、旅行代理店から見積もりも出して貰っている。食べてからそれを出すつもりだった」

「でももう11月半ばなのに、申し込みなんかできるんですか?」

 予想外の展開に沙織が目を丸くしながら尋ねると、友之は苦笑しながら事情を説明する。


「俺には妙に顔が広くて、必要な事には金と手間暇を惜しまない親戚がいるからな……。どうとでもねじ込んで貰えるそうだ」

 もはや誰の事を言っているのか分かりきっていた沙織は、思わず溜め息を吐いてしまった。


「……柏木さんですか。本当にあの人、存在自体が謎な作家さんですよね」

「それで、どうなんだ?」

「考えてみましたが、二人だけでという提案は案外良いかと思いました」

「よし、じゃあさくさく決めるぞ。宿泊するホテルや会場もそうだが、当日着るドレスもネットで選択できるらしい。閲覧先を教えるから、選んでおいてくれ」

「分かりました」

 それから少しの間、雑談をしつつ食べ進めてから、友之が思い出したように言い出した。


「それから俺達の事実婚の事を、部長と人事部長には内々に話しておいた」

 それを聞いた沙織が、箸の動きを止めて頷く。


「そうですね……。全く誰にも話さず、というわけにはいかないでしょうし。それで、二人の反応はどうでしたか?」

「どちらも相当驚いていたが納得して貰って、他には内密にして貰った。そちらから、話が漏れる事は無いだろう」

「それなら大丈夫そうですね。機会があったら、個別に挨拶とお礼を言っておきます」

「そうしてくれ」

「職場と言えば……、当然出社と退社は別々になりますよね。時間差で出ましょう」

「…………」

 何気なく付け足した沙織だったが、友之が急に押し黙ったので、不思議そうに声をかけた。


「どうかしたんですか?」

「……ちょっと面白くない。せっかくの新婚なのに」

「何がですか。変な事に拘るんですね。職場には秘密なんですから、仕方が無いじゃありませんか」

 何故か拗ね気味の友之を、沙織は少々呆れ気味に宥めながら食べ進め、彼が機嫌を直してからは、これからの生活についての諸々を話し込んで、休日が過ぎていった。


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