酸いも甘いも噛み分けて

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(22)東京タワーへの愛

公開日時: 2021年5月4日(火) 22:20
文字数:3,328

「友之さん? ひょっとして、酢の物って駄目でした?」

「あ、ああ……、いや、大丈夫だ。食べられないとか、苦手な物は無いから。ちょっと考え事をしていただけで」

「そうですか?」

 病院を出たその足で、沙織のマンションにやって来た友之だったが、恩師の衰弱した様子が思った以上にショックだったのと、持ち掛けられた話に関して考え込むことがしばしばで、沙織の疑念を煽っていた。


(何だか、今日はもの凄く変。何なんだろう? いつになく考え込んでいるし、今日から休みなのに昼からおしかけて来なかったし)

 夕方近きになって手ぶらで現れたと思ったら、明らかに心ここにあらずといった感じの友之に、沙織ははっきりと異常を感じていた。夕食を出してからもその通りで、沙織は食べ終わってからきちんと追及する事を決意した。


「はい、どうぞ」

 友之が食後にソファーに座って寛いでいると、沙織が両手に同型のマグカップを持って現れ、片方を彼の前に置いた。

「ありがとう。……ああ、これだな。例のカップは」

「そうです。どうですか?」

 促されてそれを手にしてみた友之は、そのデザインに加えて、使い勝手の良さに満足する。


「本当に軽いし、持ち易いな。気に入ったよ」

「それは良かったです。ところで今日日中に、何があったんですか? 仕事関係じゃありませんよね? 昨日の仕事納めまでは、全く普通でしたし」

 さくっと斬り込まれた友之は、内心で軽く動揺しながらも、普通を装いながら答えた。


「久しぶりに連絡を貰って……、今日、大学時代の恩師の見舞いに行って来た」

「その方が、体調を崩されたんですか?」

「余命四ヶ月らしい」

「それは……」

 咄嗟に次にかける言葉が見つからなかった沙織が、不自然に口を閉ざすと、友之が神妙に謝ってきた。


「それでちょっと、色々考えていた。俺の様子が変で、気を遣わせたのなら悪かった」

「それは構いませんが……」

「何だ?」

「単に恩師の姿を目の当たりにして、神妙に生と死に関して考えたってだけでは無さそうですし、他に何かあるんですか?」

「…………」

 さらりと沙織が核心に触れてきた為、今度は友之が口を噤んだ。その反応を見て、沙織が僅かに首を傾げながら、問いを重ねる。


「他には漏らしませんよ?」

「……何でもない」

 あくまでもしらを切った友之を、沙織はそれ以上問い詰める真似はせずに、あっさりと話題を変えてしまった。


「それなら、そういう事にしておきましょうか。ところで明日の朝食は、ご飯とパン、どちらが良いですか?」

「朝食……」

「どうかしましたか?」

 些か茫然とした口調で呟いた彼を見て、沙織が怪訝な顔で声をかけると、友之は徐々に笑いを堪えるような表情になりながら答えた。


「いや、以前言っていただろう? 友達から『不動の安定感で落ち着く』と言われて、色々愚痴を聞かされたり、相談を持ちかけられたりするとか」

「ええ、そうですね。それが?」

「その通りだなと思って」

(何を言ってるんだか。でもおとなしく隠してる事を吐くタイプじゃないし、ここは一つ、景気付け位はしておいた方が良いのかな?)

 何やら一人で納得し、くすくすと笑い出した友之を見る限りいつもの状態に戻ったようで、沙織は一応安心した。そして続けて、ちょっとした提案を口にする。


「ところで、友之さん。私、実家には大晦日に帰って、三日に戻るつもりです」

「そうか。ゆっくりしてこい」

「ですから明日は丸一日空いてますから、景気付けにどこか行きませんか?」

「景気付け、か……」

「気分転換を兼ねて普段は行かないような、ちょっと変わった所に行ってみるとか、今まで行きそびれていた所に行ってみるとか」

 少し考え込む表情になった友之だったが、沙織がそう口にした途端、すかさず言い出した。


「それなら、沙織がこの前母さんと行った、ゴスロリコスプレの」

「却下!」

「ちょっとした冗談だから、そう怒るな。そうだな……、都内で行った事が無い所……」

 即座に怒りの形相で断ってきた沙織に思わず笑ってから、友之は真剣な顔で考え込んだ。


「友之さんなら、めぼしい観光名所とかデートスポットとか、漏れなく押さえていそうですけどね。因みに、スカイツリーとかには行きました?」

「ああ、行った」

「そうですよね……。年末でお寺も色々忙しいから、写経とかはさせて貰えなさそうだし……」

「どうしてここで写経になる。それはともかくスカイツリーで、行きそびれていた場所を思い出した」

「どこですか?」

「まだ東京タワーに行った事がない」

「…………はい?」

「どうかしたのか?」

 大真面目に言われた内容を聞いて、沙織は自分の耳を疑った。そして友之が、固まった彼女を見て不思議そうに問い返したが、それで我に返った沙織から、盛大に非難の声を浴びせられる。


「友之さん! あなた東京に生まれ育って何年ですか!? とっくに三十過ぎてるのに、今まで、一度も、東京タワーに行った事が無い!? ありえない!!」

「あ、いや……、近くを通った時に見た事はあるが」

「そりゃあ近くを通れば、誰だって見ますよね!? 小学生の頃、遠足とか社会見学とかで、あそこに行かなかったんですか?」

 そう問い詰められた友之は真剣に考え込んだが、答えは変わらなかった。


「……記憶が無いな。やっぱり、他の所に行っていると思う。公園とか横浜とか鎌倉とか」

「社長や真由美さんに、連れて行って貰ったりとかは」

「都内だから行こうと思えばいつでも行けるし、敢えて連れて行こうとは思わなかったのかもしれない」

「こんな生粋の都民とも思えない都民が居たなんて、信じられない……」

「悪かったな」

 まるで可哀想なものを見るような目つきで沙織にコメントされた友之は、憮然とした表情になった。しかし沙織はここで話を終わらせるつもりはさらさら無く、語気強く訴え始める。


「ええ、非常識ですよ! 東京タワーは文字通り、東京のシンボルタワーですよ! 高さと電波塔主送信所の役割をスカイツリーに譲っても、その存在意義と価値は、微塵も見劣りしたり色褪せません!」

「……何か東京タワーに、思い入れでもあるのか?」

「あれは日本の高度成長期当時の最先端技術と、職人の血と汗と涙の結晶! あの地面から力強くそそり立つ雄姿を見上げて、惚れ惚れしないんですか!?」

「いや……、技術の粋を集めた最高傑作なのは理解しているが、あまりそこまでは……」

 少々引きながら友之が応じると、沙織がそのままの勢いで言い募った。


「親が離婚して名古屋に行って、小学生の時に上京したついでに、初めて東京タワーに連れて行って貰った時の、あの感動! 思わず脚にすがり付いて撫で回したいと思って、コンクリートの台座に一直線に駆け出したら、豊に阻止されたんですよ! 全く、無粋なんだから! 子供だったら、大目に見て貰えたかもしれないのに! バカ豊!」

「あそこに乗るのは、幾ら何でも無理じゃないのか?」

「為せば成る」

 きっぱりと言い切った沙織を見て、友之は一瞬遠い目をしてしまった。


「目が怖いぞ。お兄さんは本当に、小さい頃から苦労が絶えなかったろうな……。それに『抱き付いてなで回したい』って、同じようなフレーズを以前聞いたが、俺と東京タワーの」

「東京タワーです。スケールが違い過ぎます。比べ物になりません」

「…………うん、そうだろうな。スケールが違い過ぎる。沙織は本当に、安定のブレなさだな」

 比較の対象にすらならないと真顔で断言された友之は、溜め息を吐いて愚痴っぽい呟きを漏らした。そんな彼に、沙織が決意漲る表情で告げる。


「分かりました。それでは明日一日かけて、友之さんに東京タワーと付属施設の魅力を、隅々まで解説してあげましょう。きっと色々開眼できる事、請け合いですよ?」

「そうか……、じゃあ沙織に任せてみるか」

「お任せ下さい。関係者以外立ち入り禁止の場所以外、全て案内してあげます」

 自信満々の笑顔で請け負った沙織に、友之も笑いを誘われて素直に頷いた。


(生物としては猫に負けて、無機物まで含めたら東京タワーにも負けたか。俺は自分で思っているより、大して魅力が無いらしい)

 内心でそんな自嘲的な事を考えながらも、つい先程までの鬱屈した気持ちが綺麗に消え去ってしまった事を自覚した友之は、益々笑みを深めたのだった。


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