「全く、あの腰巾着のごますり部長! そんなに業績を上げたきゃ、自分でノルマを達成しやがれ!」
カウンター席で並んで飲んでいた連れが、声を荒げながら悪態を吐いた為、吉村和史は目線で店の人間に詫びつつ、入社以来の友人を宥めた。
「今日は一段と荒れてるな……。急に抜ける事になって、本当に悪かった。今日は俺が奢るから」
「お前は何も悪くないぞ。元はといえば、あの勘違い性格ブスの言い分を、あのゲス部長が鵜呑みにしやがったせいで、お前が退職に追い込まれたんじゃねぇか! あぁあ、思い出したらまた腹が立ってきた! 紀ノ室お代わり!」
「すみません、お願いします」
奢って貰うつもりが、自分が世話をする羽目になった吉村は苦笑いするしかできなかったが、そんな彼を見た相手は、憤懣やるかたない表情でグラスを掴んでいる手を震わせた。
「本当に、あの低脳女……。社長の姪で専務の娘だからって、社内で好き放題しやがって……。職場に男漁りに来るだけでは飽きたらず、つれなくされたら社内であること無いこと放言するとか、冗談じゃねえぞ。しかも上層部も放置って……。同族会社なんて、本当にろくでもねぇな」
「入社する時はそんな事は分からなかったし、まともな同族会社は、世間に幾らでもあるかと思うがな。まあ今回の事であの女も、暫くはおとなしくはなるんじゃないのか?」
「はっ、どうだか。確かに漏れ聞くところでは、専務から何やらお小言を貰ったらしいがな。いつまでおとなしくしている事やら」
「今後事情を知らない新入社員が、あの女の毒牙にかからないように、事情を知っているお前達でフォローしてくれ。俺はともかく、前途有望な社員の将来が、そんな事で潰れるのは気の毒だ」
しみじみとした口調で吉村に頼まれた相手は、怒りを静めながら頷く。
「了解。……しかしこのご時世、あっさり再就職が決まって良かったな。しかもあの松原工業とは……」
頷いた彼が、半ば強引に話題を変えると、何故か吉村は微妙な顔付きになって応じた。
「ああ。まあ、幾つかの偶然が重なっただけだが、確かに幸運ではあったな」
「その割には、浮かない顔に見えるが?」
「松原工業での配属先が分かったんだがな……、そこの課長が社長の息子だそうだ。しかも、俺と大して年が違わない奴ときてる」
それを聞いた彼は、はっきりと顔を顰めた。
「そうなると三十代で課長? 本当に仕事ができる奴なら良いが、上層部の忖度で肩書がついただけならろくでもないな。大丈夫か?」
「そこら辺は、実際に接してみないと分からないし、今から一々気にしていても仕方が無いからな。……気にする事は他にあるし」
「何を気にするんだよ?」
「何でもない」
引っかかりを覚えた友人からの問いかけを吉村が笑って誤魔化していると、店内にやって来た客の声が耳に届いた。
「予約してある松原ですが」
「松原様、お待ちしておりました。どうぞお上がりください。奥の席になります」
「分かりました」
反射的に声がした方に顔を向けた吉村は、視線の先に見覚えのある顔を認めて顔を強張らせた。そんな彼の異常を察知した友人が、小さく囁く。
「おい、どうかしたのか?」
「今の女連れの男、来月からの上司だ」
吉村が友之と沙織から目を離さないまま端的に告げると、彼も慌てて視線を向けながら問いを重ねた。
「は? じゃあさっき話に出た、松原工業の社長の息子? お前、もう顔合わせを済ませてたのか?」
「いや、写真を見せられただけだ。直接の面識は無い」
「写真を見たって……。どうして内定しただけで、上司の写真を見せられてるんだよ? おかしくないか?」
「色々あってな」
その間に二人は店内を通り抜け、少し奥まった小上がり席に落ち着いた。
「お前……、本当に大丈夫なのか? 松原工業でも、変な事に巻き込まれるなよ?」
「今度はヘマしないさ。……しかし師走だってのに、女連れでいい気なものだな」
そこで二人を観察しつつ、吉村は悪態を吐きながら再び飲み始めた。
(何なんだ? 妙な視線を感じるが……)
一方の友之も、店員に案内されている段階で不穏な気配を察知し、注意深く、しかしさり気なく店内を見回した。そして該当する視線の主を割り出す。
(カウンター席の、あの男達? 沙織を見ているのか?)
一応、男達からの視線を遮るように、沙織を自分の陰になるように誘導しながら奥へと進み、指定された小上がり席に上がる。
「うん、結構良い雰囲気。変に気取っている所より、こういうお店の方が良いですよね。お酒の品揃えも期待できるし」
「沙織、悪いがこっちに座ってくれ」
壁際に座ろうとした沙織だったが、そうなるとカウンター側からはしっかり顔を見られる為、友之が反対側の席を指し示した。それに首を傾げつつも、沙織はおとなしくそちらに移動する。
「構いませんけど、何か理由があるんですか?」
「単なる気分だ」
「本当に友之さんって、時々意味不明な事を言い出しますよね」
呆れ気味にコートを脱いで座った沙織に曖昧に笑いかけながらも、友之はカウンター席の二人組をさり気なく観察してみた。
(こちらを凝視しているのは、二人では無くて、片方だけか? それに沙織を見ているにしては、あまり友好的な視線では無いが……。そうなると、見ているのは俺か?)
そんな事を考えていると、程なくして問題の二人は席を立ち、そのまま店を出て行った。
(気のせいだったか? 男から恨みを買った覚えは無いが……)
何となく引っかかりを覚えたものの、取り敢えず問題は無いらしいと判断した友之は、それからは沙織との二人の時間を楽しむ事に専念した。
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