友之が残業を終わらせて帰宅し、自室に鞄を置いてから食堂に出向くと、他の三人が顔を揃えて夕飯を食べ進めているところだった。
「友之、今年もチョコを貰ったのか?」
「いや、沙織が周知徹底してくれたおかげで、チョコ以外の物を色々と貰ってきた」
「そうか」
真っ先に茶化すようにその日の成果を尋ねてきた父親に、友之が苦笑しながら椅子に座ると、隣の席の沙織が神妙に声をかけてくる。
「友之さん、お帰りなさい。食べ終わったら、話しておきたい事があるんだけど」
「俺は食べながら聞いても良いんだが」
「別に急ぐ話では無いけど」
「一人で食べるより良いだろう」
「はいはい。じゃあお茶を飲みながら話をしますから」
既に殆ど食べ終えていた沙織は、呆れ気味に頷いた。すると同様に食べ終わった真由美と義則が食器を片付け、全員の前に湯のみを置いて、当然のように元通り自分達の椅子に座った。
「それでどうして、食べ終わった父さんと母さんまでここに居るんだ?」
二人きりで話をするつもりだった友之が心外そうに両親に尋ねると、真由美は平然と、義則は申し訳無さそうに弁解する。
「偶々人数分のお茶を淹れて、そのままここで飲む話になっただけよ」
「その……、邪魔をしてしまってすまないな、沙織さん」
「いえ、構いませんよ? 大した話ではありませんし。同僚の事ですから」
「同僚さんの事?」
「以前話題に出た、吉村さんです」
「ああ、彼の事か」
「あいつがどうかしたのか?」
三人が揃って怪訝な顔をする中、沙織は小さく肩を竦めてから友之に向き直り、昼間の事について話し出した。
「今日の昼休みに廊下で絡まれて、意味不明な因縁を付けられたの」
「絡まれた? そんな事は、会社では言ってなかったよな?」
「一応、プライベートな事だし、業務時間内に言う程の事では無いかと思ったから」
「取り敢えず順を追って、洗いざらい話してみろ」
途端に顔付きを険しくした友之に催促された沙織は、余計な事は口にせず、事実をありのまま伝えた。
「ざっと、こんな流れだったけど……」
沙織が一通り話し終えて口を噤むと、それとほぼ同時に、友之がテーブルを拳で叩きながら怒りの声を上げる。
「あの野郎……。職場で人妻に対して、何をやってるんだ! ふざけるな!」
「だけど友之さん。吉村さんは、私が友之さんと結婚しているとは知らないわけだし」
「それとこれとは関係無い!」
「そうは言っても」
激昂している友之をどう宥めたものかと、沙織は咄嗟に向かい側に座っている二人に目線で助けを求めたが、それは全くの徒労に終わった。
「ゆ、床ドンっ、ぶっ、ぶあっははははっ! さ、さすがは沙織さんだなっ! その吉村とやら、相手が悪かったなっ! あははははっ!」
「沙織さん! 本当に社内で壁ドンされたの!? やっぱりちょっとときめいたりした!? でも友之を捨てたりしないでね!」
「え、ええと……」
「あのな……」
義則には腹を抱えて爆笑され、真由美には心配するどころか嬉々として詳細について尋ねられ、沙織は咄嗟に返答に困った。しかし両親のその反応で毒気を抜かれたらしい友之が深い溜息を吐いたのを確認し、安堵しながら話を続けた。
「いえ、ときめいたとか、そういうのは全くありませんでしたから。寧ろ、どうして最近勘違い残念ダメンズばかり寄ってくるのかと、自分の人生にちょっと絶望しかけただけです。ひょっとしたら自分は、ダメンズホイホイなのかもしれないとの疑念に、一瞬駆られました」
「だっ、ダメンズホイホイッ!! ぐふぁっ! ぶふぁはははっ!!」
「えぇ? 沙織さん、そんな事は無いわよ。自信を持って?」
「ありがとうございます」
「因みに、その吉村さんって人は、格好良い方なの?」
「…………」
父親が相変わらず爆笑している上、母親が面白がっているとしか思えない顔付きで沙織に尋ねているのを見て、友之は無言で夕食を食べ進めた。すると沙織は、真面目な顔で考え込みながら真由美に説明する。
「そうですね……。友之さんとはまた違った系統の、結構見栄えのする男くさいタイプではないでしょうか? どちらかと言うと友之さんよりは、お義父さんにタイプが似ているかもしれません」
「あら、そうなの? でもそれなら友之とは違う意味で、結構女性受けするタイプだと思うけど?」
「真由美、何を言い出す」
「母さん……」
何やら一人で納得し、何度も頷いている真由美を見て、義則と友之は呆れ気味の視線を送った。
「でもお義父さんと比べたら小物臭プンプンで比較になりませんし、友之さんの方がはるかに仕事ができて体格が良くて、顔立ちが整っていると思いますよ?」
「だそうだ、友之」
「あら、サラッと惚気? もう、これだから新婚さんは!」
「父さん、母さん。からかうのは止めてくれ」
「え? 今のどこが惚気だったんですか? 正直に言ってみただけですが」
大真面目な沙織の評価を聞いて義則と真由美は苦笑を深め、友之は困り顔になったが、沙織だけは真顔のまま話を続けた。
「それにしても、吉村さんの言動が、今一つ意味不明なんですよね……。当初は単に私と友之さんの仲を疑っているのかと思いましたが、《愛でる会》の皆を利用してコネ作りとか、何の事を言っているのやら皆目見当がつかないんですけど……」
「その事だが、沙織さん。今の話を聞いて、何となく分かった事がある」
「え? 何が分かったんですか?」
困惑しながら言葉を濁した沙織だったが、ここで笑うのを止めた義則が唐突に口を挟んでくる。それに沙織は勿論の事、他の二人も不思議そうに顔を向ける中、義則が説明を始めた。
「この前、その吉村君の話が出た時に、どういった経緯で鹿取技工を辞めてうちに入社したのか、人事部にそれとなく尋ねてみるように友之に頼まれていてね」
「友之さん、それ公私混同だから。それで、何か分かりましたか?」
「彼が鹿取技工を辞めた詳細は不明だが、田宮常務の紹介で中途採用の面接を受けた事が分かった。更に採用決定後、彼が直々に『以前の職場と取り扱い商品が類似している、営業二課に配属すれば良いだろう』と人事部長に働きかけたそうだ」
「…………」
軽く友之を睨んでから沙織は詳細を尋ねたが、義則の説明を聞いて無意識に顔を引き攣らせた。
「ええと……、田宮常務と仰ると、確か二課(うち)の取り扱い商品の後継機開発に関して、以前友之さんと揉めた方だったような……」
「お祖父さんに対する、お前の立派なプレゼンの成果でな」
「…………」
友之の皮肉交じりの台詞に、沙織は思わず押し黙った。それと入れ替わりに、友之が義則に確認を入れる。
「まさか田宮常務は、俺への嫌がらせであいつを二課(うち)に送り込んだのか?」
「いや、嫌がらせと言うか……。今後お前をおとなしくさせる為に、何か弱みを探れれば御の字、と言った所ではないのか? 彼は有能で基本的に真面目だし、仕事ができない人間を紹介したりはしない筈だ。その吉村とやらは彼の依頼を受けて、まずお前達が付き合っていると疑ったんじゃないのか? それが事実なら、セクハラやパワハラとして告発できると踏んで」
「でも、さっきの沙織さんの話だと、その吉村さんはもう友之と沙織さんが付き合っているとは思っていないのよね?」
今度は真由美が不思議そうに口を挟んでくると、義則が言いにくそうに話を続ける。
「ああ。だから、その……、言い方は悪いが、《愛でる会》の女性社員達と友之の仲を、沙織さんが取り持っていると邪推しているのではないかと……」
「え?」
「仲を取り持つ?」
「女性社員“達”って?」
「…………」
三人はきょとんとした顔を見合せ、居心地悪そうにしている義則を見やった。そして次の瞬間、ほぼ同時に彼の言いたい事を悟り、沙織が頭を抱えながら呻いた。
「うわぁ……、ダメンズ確定……。よりにもよって《愛でる会》が友之さんの社内ハーレムで、私が仕切りババァよろしく彼女達との間を取り持っているって、どこをどう見たら、そんな見当違いにも程がある事を想像するのよ……」
「俺と沙織の仲を疑わなくなったのは良かったが、その斜め上の誤解っぷりには、もう笑うしかないな」
「何か凄く、面白い想像をする人ね」
「あのな、今の話は、私の邪推に過ぎないかもしれないから」
一応釘を刺した義則だったが、沙織は真顔で首を振った。
「いえ、そう考えると辻褄が合いますね。多分これからも、友之さんに何か怪しい所があれば、追及していく気満々じゃないですか?」
「本当に、勘弁してくれ……」
「面倒な部下さんができたわね」
「取り敢えず、仕事はできる人間みたいだし、言動に注意していくしかないだろうな」
「そうですよね……。友之さん、ここは腹を括りましょう」
「分かっている」
義則が言い聞かせてきた内容に沙織が頷きつつ声をかけると、友之は無表情で立ち上がった。そのまま無言で歩き出した息子に、真由美が不思議そうに声をかける。
「あら、友之。どこに行くの?」
「頭を冷やしてくる。明日吉村の顔を見た瞬間、殴りかかりそうだ」
「え? あの、友之さん?」
「あらあら」
「しっかり冷やしてこい」
振り返りもせず友之はそのまま食堂から出て行き、その場に取り残された沙織は狼狽したが、義則達は苦笑を深めた。
「あれは、かなり怒っているわね」
「沙織さんにちょっかいを出されたのが、相当腹に据えかねたらしいな」
「あの……、ちょっかいと言われても……。私、実質的な被害を被っていませんけど?」
「確かに、実質的な被害を被ったのは向こうだな」
「でも、社内で仕事中に、自分のすぐ近くで沙織さんが手を出されかけたって言う事実が、腹立たしいのよね」
「大丈夫でしょうか?」
「友之の事だから、社内で公私混同はしないと思うが」
「だけど沙織さんがそんなに心配なら、良い方法があるわよ?」
「何でしょう?」
そこでにこやかに提案された内容を聞いた沙織は、もの凄く懐疑的な表情になったが、その場では特に反論はせず、おとなしく頷いておいた。
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