「あ、友之さん。どこに行ってたんですか。一緒にケーキを食べながら、珈琲でも飲みません?」
「ちょっと父さんの所にな。俺も飲むから、準備してくれるか?」
「分かりました」
不思議そうに見上げてきた沙織に笑って誤魔化し、友之はリビングに向かった。そしてソファーに落ち着いて少ししてから、沙織が二人分のケーキと珈琲を運んで来る。
「お待たせしました。今日のシフォンケーキは、お義母さんの力作だそうですよ? 美味しそうですよね」
「母さんは?」
「二人で食べるなら、邪魔はしないからと言って、さっき入れ違いに二階に上がって行きましたけど」
「……そうか」
難しい顔で食べ始めた友之を、沙織は慎重に観察してみた。
(何だろう? 確かに友之さんは、仕事の愚痴を零すタイプではないけど、変に溜め込まないで即断即決の人だと思っていたんだけど……)
そんな事を考えていると、友之が徐に口を開いた。
「沙織……、ちょっと確認したいんだが」
「なんですか?」
「この間吉村と、個人的な話をした事があるか?」
「吉村さんと? 仕事上の事ならともかく、個人的な事……。記憶に無いですけど」
「だろうな。それなら良いんだ」
そこであっさり話を終わらせ、黙々とケーキと珈琲を喉に流し込んでいる風情の友之を見て、沙織は僅かに顔をしかめた。
(せっかくのお義母さんのケーキと、淹れてあげた珈琲を、そんなありがたみが無いような感じで飲み食いしなくとも……。何を考え込んでいるのか知らないけど、意識をこっちに向けてやろうじゃない)
腹を立てるのとはまた別の苛立ちを覚えた沙織は、さりげなく話題を切り出した。
「友之さん、今度のバレンタインに関してお義母さんと相談したんですけど、チョコケーキを作る事になったんです」
それに友之が、不思議そうな顔で反応する。
「ケーキ? チョコを買いに行くとか言ってなかったか?」
「勿論、自分達で食べる分は、二人で買いに行きますよ?」
「あまり意味が分からないが……」
「それともやっぱり、市販のチョコの方が良いですか? それもいつかのように、冷やした物の方が良いというなら、腕によりをかけてキンキンに冷やして」
沙織がそこまで言ったところで友之が勢い良く向き直り、真顔で訴えた。
「ちょっと待て、それは勘弁してくれ。あれは正直、歯が欠けるかと思った」
「そんなに血相を変えて、懇願するような事じゃ無いでしょう」
思わず失笑した沙織だったが、友之の切迫した表情での訴えは続いた。
「笑い事じゃ無いから。結婚して初めてのバレンタインであんな物を出されたら、本当に歯だけではなくて心まで折れる」
「はいはい、リクエストは確かに承りました。甘くて柔いケーキにしましょう」
「頼むからロシアンルーレット的な、中に何か仕込んで複数準備するのも無しで頼む」
「どこまで被害妄想が酷いんですか。そんな事までしませんよ!」
とうとう本気で笑い出した沙織を見て、友之も自分の情けない言動に苦笑するしかなく、それからは嫌な事は忘れて二人でのひと時を過ごした。そんな友之は知る由も無かったが、最近の憂いの原因の一人でもある吉村は、同じ頃、とある料亭の個室で松原工業の幹部の一人と向き合っていた。
「田宮さん、お疲れ様です」
酌をしてきた吉村に鷹揚に頷き、グラスを差し出しながら田宮は相手に近況を尋ねた。
「ああ、お疲れ。どうかな? 仕事にはだいぶ慣れたかな?」
「はい。従来取り扱っていた物と、同様の製品ですから。勿論、松原工業の取り扱い商品の方が質が良いですし、ラインナップも豊富ですが」
「それはどうも」
「ところで、田宮さんから頼まれている事ですが、まだはっきりとした事は掴めていません。申し訳ありません」
大吟醸の小瓶を座卓に置き、面目無さげに頭を下げた吉村だったが、田宮はそんな彼を苦笑気味に宥めた。
「いや、それは構わない。配属されて一ヶ月もしないうちに掴めるようなら、とっくに社内の噂になっているだろう。焦らず探ってくれれば良い」
「分かりました」
「それで……、君の目から見て、松原課長はどうかな?」
田宮が探るような視線で尋ねると、吉村はまるで認めたくは無さそうな口調で答える。
「……仕事は、できるみたいですね」
「まあ、そうだろう。目的の為には、手段を選ばないタイプだな。前例もある」
「そうですか……」
苦虫を噛み潰したような顔で同意した田宮に、吉村も憮然とした表情で相槌を打つ。しかし流石に田宮は即座に気持ちを切り替え、いつも通りの顔で吉村に指示を出した。
「引き続き、よろしく頼むよ。彼はなまじ仕事ができるだけに、色々と厄介でね。今後の事を考えると、おとなしくさせるネタがあれば、それを掴んでおくに越した事は無い」
「お任せください。こちらで拾って貰った恩は返します」
「君には色々な意味で、期待しているよ」
そこで含み笑いの表情を浮かべた二人は、それからは社内の情報交換をしつつ、機嫌良く飲み進めた。
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