十万字に近く長い間繰り広げてきたコメディー作品もいよいよ最終章です。
最終章はコメディーの部分は少な目で、意外な方向へと物語は紡がれます。
次の日。
その日はよく晴れた天気だったことは今でも覚えている……。
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車イスに乗った私は蛭矢君からそれをひかれて、病院内の中庭に来ていた。
「綺麗な花たちですね」
四方を囲んだ中庭に広がった無数の花たち。
それらは私が退院した時に美伊南ちゃんがプレゼントしてくれた花に似ていた。
だとすれば、このコスモスにも似たピンクの花の名は……。
「もしかしてガーベラでしょうか?」
「ああ、当たりだよ。美伊南も英子ちゃんのお見舞いの時にここの景色を見てから、看護師の許可を得て、ここから花を頂戴したのさ」
蛭矢君がカラカラと音を立てながら私が乗る車イスを壁際に移動させて、一部分だけ花が根本から抜かれている箇所へ連れていってくれた。
「どうして美伊南ちゃんは花を店で買わなかったのでしょうか?」
「英子ちゃんの性格じゃ、わざわざ買ってまでした花を受け取らないんじゃないかってさ。それから彼女にはこの花を選んだもう一つの理由があってさ」
ピンク色のガーベラの花言葉は『感謝』だと蛭矢君が囁くように伝えてくれた時、思わず泣いちゃったな……。
「ふえぇーん、美伊南ちゃん……」
「ははっ、感受性が豊かだな。英子ちゃんは。ほら、ハンカチ」
「いえ、この話でうるっとこない蛭矢君の方がどうかしてます」
「まあ、僕たちは医者というロボットみたいな者だからね。個人の都合でいちいち感傷的になったらいけないのさ。そう学校でも学んできたし」
蛭矢君が車イスを停めて、おでこの汗を拭こうとしてポケットを探るが肝心のハンカチは私の手元にある……。
それに気づかずに、中から飛び出したのはポケットサイズの辞典で表紙にはバス釣り大百科のロゴ。
「うわ、何かとんでもない物が出たな……見なかったことにしてくれ」
蛭矢君は本当に釣りが好きなんだね。
でも、その魚が釣れる池にも行きたかったな。
私がそうぼやくと蛭矢君はナハハとばつの悪そうな笑みを浮かべた。
「いやあ、年がら年中、あの池で子供たちと遊んでいたら立ち入り禁止になっちゃってさ」
何やらザリガニやバスを手掴みで掴みたいと、それなりに深い池に飛び込む危ない子供たちもいて、親たちの反論によって立ち入りが駄目になったとか。
「ははっ、無闇に飛び込んだり、ザリガニとかを素手で掴んだら怪我をするってのに。
──本当、漁師によるウナギのつかみ取りじゃないよな。子供の発想力は恐ろしいぜ」
「……あの、私はウナギが苦手で」
「ああ、それは覚えてるよ。確かあのトラブルは高校時代の出来事だったよな。懐かしいな」
「そうなんですね。あの出来事は完全なネタではなく、実際にあったのですね。私は寝ているときにとあるお方さんの創作した映像から知ったのですが……私もあの頃に戻りたいですね」
蛭矢君が眼鏡越しから遠くの空を眺める。
「ああ、そうだな。あの頃はおかしくて笑えることをやってばかりの生活だった」
「──そうなの?」
そこへみつあみの少女が私たちの間にピョコンと突き出てくる。
「のわっ、どうして夜美ちゃんがここに!?」
「おはよ。ひまつぶしに蛭矢お兄ちゃんに会いに来たって言ったら通してくれたよ」
「僕にプライバシーの権限はないのかよ……」
『ジリリリリー!』
そこへ鳴り響くスマホのコール音。
「おっと、二人ともごめん。もしもし……何だって?」
「ごめん。急患が出ちゃってさ。僕はもう行かないといけない。夜美ちゃん、英子ちゃんと仲良く遊んでな」
「はーい、あたしが遊んであげます♪」
「元気が良くてよろしい」
「元気だけがとりえだから♪」
華奢な腕を内側に曲げて肉眼では見分けがつかない力こぶを見せている。
ああ、子供って無邪気で可愛いな。
「じゃあ、英子ちゃん。また後で」
そうやって、白衣の黒豚ちゃんは小走りに去っていった。
そして、先ほどから私の顔を見ながらニタニタと微笑む夜美ちゃん。
「夜美ちゃん、さっきから何かな?」
「お姉ちゃん、蛭矢お兄ちゃんのこと、好きでしょ♪」
「なっ、ななっ!?」
この娘は、いきなり何を言い出すのかな?
「ふむふむ。しかもその反応からして、初恋の相手ときたものか」
「ちょっと夜美ちゃん、蛭矢君とは別に……」
「……じゃあ、あたしが奪ってもいいんだ?」
「……えっ、あなたたちは兄妹でしょ?」
「いいえ。あたし、蛭矢お兄ちゃんとは血が繋がっていないから……いいよね?」
「いいよねって何かな?」
「本当、鈍いわね。あたし、蛭矢お兄ちゃんが好きだから。だからいいよね?」
「……いっ、いいんじゃないの」
その刹那、私の良心がざわめいた。
何でこんなこと言っちゃうんだろう。
「そうなんだ。嘘つき……英子お姉ちゃんの嘘つき!」
物凄い剣幕でまくし立てた夜美ちゃんは闇雲にその場から駆け出していった……。
****
──夜美ちゃん違うの。
給食費を盗んだのは私じゃないのよ!
「大瀬、何をブツブツと小言を言ってるのかな?」
「美伊南、恋する乙女のハートは無限大だよ」
「それ言っている意味、ほとんど皆無だからね……それより英子、大丈夫かな」
「まあ、彼女なら何とかなるさ。それよりも俺たちは温かく見守るしかない」
「そうだね。大丈夫だよね」
「ああ、だからさ、満天の空の下で二人でフォークダンスを踊り明かそうじゃんか」
「何、学生気分に浸ってんのよ。明日こそはきちんと仕事見つけなさいよ」
「へい、分かりやした」
まさにズバリと痛い所を突いてくる俺の妻。
『ああ、これからも尻に敷かれる人生か』
あれ、俺は何、頭の中でサラリーマン川柳してるんだろうな……。
「本当、親の職種を引き継げば楽なのにさ」
「いや、俺は決めたんだ。蛭矢のように自分がなりたい職種に就くということにな」
「まあ、頑張りなさいな。ちなみに昔からなりたかった漫画家は却下よ、アンタの絵はヘタクソすぎるから」
「何でやねん!」
さて、英子の傍らで見守る二つの草の固まりのざわめきはさておき、揺れ動く彼女の運命はいかに……。
「だから、アンタが海の海草のように揺れ動いてどうするのよ?」
「さーせん(すみません)……」
第43話、おしまい。
蛭矢を狙っての二人の女子の恋のバトルをメインに描いてみました。
長い間、このコメディーを書いていて、自分なりにけりをつけたかったのですが、まさか、こんな恋愛的な展開になるとは私自身も想定外でした。
でも恋は障害があるほど燃える(萌える?)ものですからね。
こんな表現もありではないでしょうか。
夜美ちゃんの一言により、英子も自分の心を整理するチャンスなのかも知れませんね。
次回、いよいよドキドキの告白です。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!