彼女に捧ぐ放課後

さらす
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第十二話 三万円

公開日時: 2021年7月21日(水) 20:10
文字数:2,428


 ――あの日から、何日か経った。

 まず大きな変化としては、『鋭角』がこの学校からいなくなった。詳しいことはわからないけど、表向きは『転校』ということになっている。だけど『鋭角』を知っている人たちの間では、『ああ、ついにやったか』というようなウワサが流れているようだった。僕としても、あいつの行く末なんて興味がない。僕たちの知らない、どこか遠くの場所に行ってくれればそれでいい。

 そして土日を挟んだ休み明け。『鋭角』と入れ替わるようにして、光莉姉さんが治療を終えて学校に戻ってきた。当然のことながら、僕は三年生の教室まで、光莉姉さんを迎えに行ったのだけど……


「光莉姉さん、ひさし……」

「……!!」


 姉さんは教室の入り口にいた僕を見た瞬間、大げさなほどに身体を跳ねさせた。目を大きく見開いて、身体がガタガタと震えている。


「ね、姉さん……?」

「ご、ごめんなさい!」


 そしてその直後、僕の目の前に走り寄ってきて、深々と頭を下げてきた。


「え、え?」


 姉さんの行動の意図がわからず戸惑ってしまい、言葉が上手く出てこない。その間にも、姉さんの行動はさらにエスカレートしていた。


「ごめんなさい! ごめんなさい! もうあんなことはしないから……私が晶くんを怒らせていたんだって、わかったから……」


 そして姉さんは、しゃがみ込んで床に手を着き――


「もう、私を許してください……」


 僕の目の前で、土下座していた。


「ね、姉さん、どうしたの? 僕はもう、怒ってないよ……?」


 そう言いながら、僕は光莉姉さんの頭に触れる。しかし……


「ひいっ!」


 触れた瞬間、姉さんは身体を跳ねさせて、飛び退くように僕から距離を取った。


「え……?」

「あ、あ! ごめんなさい! 違うの晶くん! 私、本当に反省してるんです! だから、だから……」


 そして姉さんは両目から涙を溢れさせながら、僕の足にすがりついた。


「もう、私を殴らないで……」


 姉さんは泣きながら僕に懇願してくる。それを見た姉さんのクラスメイトたちが、こっちを見ながらヒソヒソと話している。

 

「え、えっと……あの、光莉姉さん……」


 どうしたものかと考えていたら、僕に声をかけてくる人物がいた。


「ちょっと来なさい」

「あ……」


 そしてその人物――黛瑠璃子は僕の手を掴み、強引に教室の外へ連れ出していった。



「アンタ、自分が置かれている状況がよくわかっていないようね」


 黛さんは僕を廊下の端に連れてきて、開口一番そう言った。


「え、えっと、状況って言いますと?」

「アンタはあのクラスで危険人物だって思われてるってことよ。なにせ角谷やみんなの前で、『自分は薬師光莉をいじめていた』って言い放ったんだから」

「あ……」


 確かにそうだ。僕はあの教室で、『鋭角』にバケツの水をぶちまけたんだった。それなら危険人物と考えられてもおかしくはない。みんながヒソヒソ話し込んでいたのはそれだったんだ。


「そしてそれは、おそらく薬師さん本人も例外ではないわ」

「……光莉姉さんが、僕を危険人物だと?」

「そういうことよ。さっきの様子を見る限りではね」

「……」


 ……考えてみれば、当たり前か。僕は光莉姉さんを助けるためとはいえ、『薬師光莉』を暴力で支配した。確かに光莉姉さんからの暴力はなくなったし、『鋭角』を学校から追い出すことは成功したけども、それではまだ不十分なんだ。


 そう、僕と光莉姉さんが平和に過ごす日常は、まだ訪れていない。


「とにかく、アンタはあのクラスには当分近づかない方がいいと思うけど?」

「……わかりました。忠告してくれてありがとうございます」

「別に。アンタからの借りは既に返したし、多分これから関わることもないでしょう。それじゃ……」


 そう言って、黛さんは教室に戻っていった。

 もう関わることはない、か……でも僕は、そうは思わない。

 

 一見、ドライに見えるけど、あの人は多分いい人だ。僕はそんな気がした。




 ……これが昨日のこと。そして現在、僕は黛さんの忠告通り、光莉姉さんの教室には近づかないようにしていた。

 姉さんに会えないのは辛いけれども、下手に会って関係がこじれるのはまずい。そう思っていた。


 しかし、昼休みになって僕が給食を食べ終わって本を読んでいると、意外な人物が訪ねてきた。


「……晶くん?」

「ね、姉さん!?」


 そう、僕が会うまいとしていた光莉姉さんその人だ。


「どうしたの姉さん? あの、この前のことはその……」


 そうだ、光莉姉さんは僕に恐怖を抱いていた。間違いなくそれは、僕が暴力を振るったからだ。ならまずはそのことを謝らないといけないだろう。そう思ったけど、どうやって謝ろうか迷ってしまう。

 その間にも、光莉姉さんは次の行動に出ていた。


「晶くん、これ……」

「え……?」


 姉さんは震える手で、僕に白い封筒を差し出してきた。僕がその封筒を受け取ると、すぐに手を引っ込める。

 中身が何か気になったので、光莉姉さんの目の前にも関わらず、僕は封筒の中を覗きこんだ。


 そして、目を疑った。当然のことだと思う。


「……!?」


 だって、その中には、三枚の一万円札が入っていたのだから。


「ひ、光莉姉さん!? これ……どういうことなの!?」


 姉さんの意図が全くわからなかったのと、目の前の大金に対する驚きに、思わず大声で問いかけてしまった。

 だけど、それがまずかったようだ。


「あ、ああ! ごめんなさい!」


 光莉姉さんは再び僕に対して頭を下げてきた。そう、まるで怯えるように。


「た、足りなかったですよね? ごめんなさい。こんなんじゃ、晶くんの気が済みませんよね? あ、あの、もっと持ってきます。持ってきますから、あの……」

「姉さん、落ち着いて!」

「ひ、ひいいっ!」


 何故か謝り続ける光莉姉さんをどうにかなだめようとしたが、僕が触れようとしたら、ますます怯えてしまった。

 ダメだ、今の姉さんは冷静さを失っている。だけどこんな大金を受け取るわけにもいかない。


「姉さん、とにかくこれは返すよ!」

「あ……」


 僕は強引に封筒を光莉姉さんに押し付けると、逃げるように教室を出て行った。

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