「おはようございます」
「水島ぁ! 声が小さい!」
「おはようございます!」
「それくらい出せるなら最初からやれ! そんなだからお前はクズなんだ!」
僕が『鋭角』のターゲットになって数日。朝から僕は『鋭角』によって、生徒たちがたくさんいる校門で挨拶の練習をさせられていた。
「いいか、お前のせいで薬師は苦しんだんだ。俺は薬師のためにお前を更生させる使命がある! 俺の行動の全ては正義で、お前の行動は全て悪だ! だからお前には俺の言うことを聞く義務がある! それがこの世界の道理だ!」
「はい……」
「なんだその返事はぁ!?」
「……」
大声でわめく『鋭角』を心底うっとうしいと思うが、僕はもうこいつへの恐怖が薄まり始めていた。
なにせ、こいつの言っていることははっきり言ってめちゃくちゃだ。自分を『正義』と位置づけ、他人を『悪』と言い、自分の意見を他人に力づくで強いる。要するに自分の思い通りにならないからと泣きわめく子供と変わらない。
だからこそ、こいつの言動や行動のパターンも読めてきた。まず、更生すべきと定めた相手をとにかく罵倒し、自分が上で相手が下なのだということを、自分にも他人にも言い聞かせる。そして相手を全否定し、自分の意見がいかに正しいかを熱弁。そして自分の意見こそがこの学校、果てはこの世界の意志を代弁しているという極論に持って行く。
光莉姉さんは元々気が弱かったし、自分に自信が持てないタイプだ。だから『鋭角』の言うことを真に受けてしまい、極度のストレスを抱えるようになっていったのだろう。さらに『鋭角』が自分の意見を世間一般のスタンダードのように言うから、ますます追いつめられたんだ。
僕もそこまで気が強いわけじゃない。だけど『鋭角』の言動がいかに幼稚で破綻しているものだとわかると、途端にこんなやつに怯えるのがバカバカしく思えてきた。大丈夫だ。僕は『鋭角』と十分に戦える。
しかし『鋭角』を排除すると言っても、問題はその方法だった。前提として、腕力で挑んでも『鋭角』には絶対に敵わない。『薬師光莉』はか弱い女子だったからこそあの方法が有効だったけど、『鋭角』はそもそも体が大きく力が強いからこそ、誰にも何も言われずに現在まで放置されているんだ。正面から挑むのは無謀もいいことだろう。
そうなると、やはり『鋭角』の行動・言動を克明に記録して、教師なりそれよりもっと上に密告するしかない。教師の中には鈴木みどりのような人間もいるけど、全員がああいう教師ではないはずだ。『鋭角』の行いを黙って見過ごす人ばかりだとは思えない。
だけど慎重になる必要はある。僕が『鋭角』の悪事を公表しようとして、『鋭角』本人に見つかればもちろんアウト。それ以外にも、僕の密告を受けた教師が『鋭角』の肩を持ってもアウトだ。なにせ『鋭角』は外見的には完全に優等生だし、『表向きには』他人を更生させるために動いている。もし『鋭角』の行いが、『ちょっと過激だけど、厳重注意すればいいだろう』と思われたら僕の目的は達成できない。
そう、そんなことでは光莉姉さんを『鋭角』から救ったことにはならないし、何より僕の気が晴れない。
『鋭角』は正真正銘のクズだ。他人に害を為す人間だ。例え僕が『鋭角』の行いを公表して、あいつを破滅させたとしても、『鋭角』は絶対に自分が間違っていたなんて殊勝なことは思わない。いや、むしろ自分の薄っぺらな正義をより強固にするだろう。そうに決まっている。
そうなったら『鋭角』は僕や光莉姉さんを逆恨みするかもしれない。それではダメだ。僕は完全に光莉姉さんを救わないとならない。そのためには……
『鋭角』は、僕たちの世界にいてはいけないんだ。
「水島! 聞いてるのか!?」
しびれを切らした『鋭角』が、僕を怒鳴りつける。そして腕を振り上げてきた。
まさかこんな人前で、僕を殴るつもりなのか? だけどそれなら好都合だ。『鋭角』を排除する大義名分が……
「君たち、何をしているんだ?」
だけどその寸前に、低いしわがれた声が僕たちに声をかけた。そこには、パリッとしたグレーのスーツを身にまとい、髪は薄いが堂々とした立ち姿の中年男性がいた。
僕も『鋭角』も、この人の姿には覚えがある。この中学校の、校長先生だ。
「校長先生! おはようございます!」
『鋭角』は校長先生に対して、礼儀正しく頭を下げる。鈴木みどりと同様に、教師には下手に出るのだろう。
「うん、おはよう。角谷くん、君のことは知ってるよ。真面目でいい生徒らしいね」
「ありがとうございます!」
「しかしね、今の君とそこの一年生の生徒とのやりとりを少し見ていたんだが、ちょっと君は過激なんじゃないかな?」
「え?」
校長先生は、『鋭角』に臆することなく堂々と言い放った。対する『鋭角』は、目を丸くしている。
「そこの……水島くんというのかな。彼が何をしたのか知らないが、こんな人前でああも怒鳴りつけることはないだろう。君も理由があって怒っているのだろうが、彼がどんな気持ちになるかも考えてやりなさい」
「校長先生! 何を言っているんですか!? 俺はこいつのためを思って、こいつを更生させるために、あえてきついことを言っているんです! 甘やかしていては、こいつのためになりません!」
「そう熱くならなくてもいいだろう。君は相手のことを考えていると言っているが、そんなに大きな声を出していては、水島くんも委縮してしまう。今日の所は勘弁してやりなさい」
「校長先生……?」
『鋭角』は自分の行いを否定されたからか、あからさまに不機嫌な顔になっていく。そして校長先生は、今度は僕に向き直った。
「あと水島くん。君がどうして彼に怒られているのかは知らないが、君は君で言いたいことがあるなら言いなさい。言葉に出してくれないと、私たち教師も君を助けることはできない。何か困ったことがあったら、私でも他の先生にでも遠慮なく言いなさい。いいね?」
「……わかりました」
僕に対しても注意をした後、校長先生は学校に入って行った。
しかし校長先生があんなに理解のある人だとは思っていなかったな……あの人なら、『鋭角』に対しても毅然とした態度でいてくれるかもしれないな。
「どうしてだ……どうして校長先生はあんなことを……?」
『鋭角』は相変わらず不機嫌な顔のまま、ブツブツと何かを呟いている。どうせこいつのことだ、自分が何で怒られたかなんて、永遠に理解しないんだろう。
「……」
――待てよ。
『鋭角』は、自分が悪いなんて少しも思わない。そうなると、自分以外にその原因を擦り付ける。それは姉さんを殴った時の一件が証明している。だから『鋭角』は、今回自分が怒られた原因を誰かに擦り付けるために考えを巡らせている。
そうなると、『鋭角』は誰にそれを擦り付ける? 普通に考えれば僕だろう。僕が至らなかったから自分が怒られた、そういう解釈を勝手にするのだろう。
だけど、それを上手く別の人間に誘導できたとしたら?
「……」
もし。
もし僕が……以前の僕だったら、こんなことは考えなかっただろう。
だけど僕はもう、弱いだけの人間じゃない。弱いなら弱いなりの行動が出来る。そういう人間になってしまっている。
だから僕は……
「すみません、角谷先輩」
「……あ? なんだよ?」
「実は放課後、話があるんです。薬師さんのことで……」
全く恨みも憎しみも抱いていない人間を、巻き込むことにした。
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