「なんなんだよ……」
僕は屋上に続く階段に座って、一人考え込んでいた。どうしてこんなことになってしまったのか。
だけどその答えは既に出ている。僕たちを狂わせたのは一人しかいない。
……『鋭角』だ。
そうだ、『鋭角』こそがこの一連の事件の元凶だ。あいつがいなければ、僕たちはこうはならなかった。
やはりあいつは学校から追い出すだけでは駄目だったんだ。『鋭角』がいる限り、僕たちに平穏は訪れない。
それなら……
「やあ水島くん。大変なことになっているみたいだねえ」
僕の耳に、不快な声が聞こえてきた。正直、その姿は見たくない。こんな時に、姿を現してほしくない。
だけど顔を上げた僕の目に映ったのは、爽やかなその顔に心底楽しそうな笑みを浮かべた男、鈴木みどりの姿だった。
「……何の用ですか?」
「いやいや、先生としてもさ、優秀な生徒のことは褒めたいんだよね。ほら、先生は実力主義だからさ」
「……優秀な生徒?」
「そう、だってさ……」
そして鈴木みどりはその顔を歪めた。
「『鋭角』に代わる、新たな笑いのタネになってくれたんだからさ」
「……!!」
こいつ……!! 今度は僕に何をするつもりなんだ!?
「いやー、昨日の薬師とのやりとりは笑えたなあ。だってお前、助けようとした女に怯えられるんだもんな。薬師も災難だねえ」
「それは……! 『鋭角』を倒すために仕方なく……!」
「おっと、『鋭角』のせいにする気かー? ちょうどいい、いいものを見せてやるよ」
そう言うと、鈴木みどりは小さなビデオカメラを取り出してきた。液晶画面を僕に向けて、映像を再生する。
「ほら、ここに映っているのが誰かわかるかなー?」
「これは……!」
そこに映っているのは、教室の窓際に立っている光莉姉さんだった。だけどよく見ると、映像の教室は光莉姉さんのクラスとは違うようだ。
「さて、見てほしいのはここからだぞ」
光莉姉さんは教室の窓際にある水槽に手を入れていた。そしてその中から何かを取り出し、机の上に置く。そして……
「……!!」
その手を、机の上に置いた何かに一気に振り下ろした。
「姉さん……?」
光莉姉さんは振り下ろした手をティッシュで拭い、そこで映像は終わっていた。
「水島ぁ、薬師が今、何をしたかわかるか?」
「……」
「ま、認めたくないだろうけどな。薬師はクラスで飼っている金魚を殺してたんだよ。いやー、ひどいことするよなあ」
「それは……『鋭角』が姉さんを追い詰めたから!」
そうだ、『鋭角』はそれほどまでに姉さんを追い詰めていたんだ。そうに決まっている。だから僕はあいつを……
「うんうん、そう言うと思ってな。もう一度この映像を見てほしんだけどな」
「え?」
「この映像……『去年』のなんだよなあ」
「……『去年』?」
去年ということは、光莉姉さんはまだ二年生だ。つまり……
『鋭角』に、出会う前だ。
「理解したか水島? 薬師は元々そういう人間だったんだ。気に入らないことがあれば、自分より弱い存在に敵意を向ける。去年は金魚、そして今年は……お前だ」
「……!!」
「先生が知らないとでも思ったか? いやあ、大好きなお姉さんにいじめられたのに、それでもお前はそいつを助けようとするんだなあ。とんだ変態だなお前は」
「違う!! これは『鋭角』のせいだ!! 全ては『鋭角』が悪いんだ!!」
「うんうん、先生も『鋭角』は異常者だと思うよ。だけどなぁ、水島。お前を殴ったのは薬師だし、薬師を殴ったのはお前だ。それは変わらないだろ?」
「だとしても! 僕たちは悪くない!」
「ははは、水島は本当に面白いなあ。『鋭角』のことをあれほど嫌ってたのに、『鋭角』って言いまくってるもんなあ」
「そ、それは……」
「先生な、思うんだよ。お前には『鋭角』が必要だったんだ」
鈴木みどりは僕に顔を近づける。その顔から逃れられない。
「理想的な、敵としてな」
その事実から、逃れられない。
「お前にとって、『鋭角』は理想的な敵だった。薬師の暴力も、自分の暴力も、全てを押し付けるための敵が必要だった。それが『鋭角』だ。だけどお前は自分でその敵を追い出してしまった」
「僕は! あなたが『鋭角』が原因だって言うから!」
「おいおい、今度は先生のせいにする気かー?」
そして鈴木みどりは、顔を離して僕を見下す。
「『鋭角』みたいに、『自分は悪くない、他人が全て悪い』ってさ」
その言葉は、僕の心を容赦なく抉る。
「お前だって、『鋭角』がいてくれて嬉しかっただろ? 『ああ良かった、光莉姉さんは悪い人間じゃなかったんだ。悪いのは全てコイツのせいだ』ってな。お前も、そして薬師も、そういう人間なんだよ。自分じゃない誰かに原因を求めてる。『鋭角』と何も変わらない」
「……」
気が付くと、僕はふがいなさから涙を流していた。僕は……どうしてこうなってしまったんだ。どうして……
『鋭角』が許せなかった。光莉姉さんを救いたかった。だけど僕は自分を見つめ直そうとしなかった。挙句の果てに、こんな男に事実を突きつけられている。
「いやー、正論ってのはいいよなあ。全く相手に手を出さずに心を折れる。やっぱり教師になってよかったよ」
鈴木みどりは勝ち誇る。勝ち誇って、言い放つ。
「だって生徒は教師には絶対に勝てないんだからな」
僕はただ……俯くしかなかった。
「さてと、でも先生もちゃんと仕事はしないとな。この映像、それに薬師が水島をいじめていたこともちゃんと上に報告しないと」
「……!!」
「どうした水島? 先生はお前がいじめられていたってちゃんと報告するだけだぞ? 先生は教師なんだから、当たり前だよなあ?」
「や、やめてください!」
「やめろと言われてもなあ。先生にはやめる理由がないしなあ。でもどうしてもやめてほしいなら、ちょっと提案があるんだけどさ」
そして鈴木みどりは、再び顔を歪めた。
「お前に、先生のオモチャになってほしいんだよね」
鈴木みどりは、漢字表記だと「鈴木実土利」になります。
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