「……やっぱり来たって感じだね、おじ様」
緊急事態が二つ起ころうとしている中で、キャサリンはクレヴィルにそう声を掛けた。凡人が聞いたらいつもの飄々とした声、されど今は冷静さだけを残している。
「……土の小聖杯は緩衝区から動いていない」
「中身吸い出して自分の肉体に吸収させた癖によく言うよ」
「……」
「……小聖杯が目的なのはタキトスだろ。連中は関係ないよ、一応……ああ、自分からそれを口に出すってことはそうだ。何を言われようともやるつもりだったんだね? 特攻作戦」
「何故それを……」
「獣人は耳がいい、よく言うだろ」
このタイミングでやってきた鼠一匹。グレッザと名がある彼にキャサリンは耳打ちした後、再びクレヴィルに向かって続ける。
「まあ、ボクはアナタが何をしようが関係ない。起こってしまったことの後始末をするだけ。その方が何も考えなくていい、疲れないからね」
「ならば――見届けてくれるな」
「ボクはそうするけど、子供達や臣下は黙ってないと思うなあ?」
「……」
返事もせず駆け出したその背に、キャサリンは溜息をつく。
「……クーゲルトは頑固で親馬鹿なきらいがあるって評していたけどさあ」
「キミも大概だと思うよ、クレヴィル……」
北の荒野の豊かな街を目標に据えて。
紅色の集団が我が物顔で行軍する。
目を合わせたらそれが最後、あることないこと突き付けられて、結局奴等に踏まれてく。
巨人に踏まれるかの如く、惨めに忘れ去られていく。
「がっはっはっはっは!!! いやあ、気分がいいなあ!!! 長い時間を掛けて、奴を屈服させた甲斐があったというものよ!!!」
「ぐへへへへへへへへ!!! そうですかいおやっさん!!! わしも早くその御恩に預かりてえなあ~~~!!!」
紅い集団の中でも一際威圧感を放つ、巨体で豪快な口調の男が叫ぶ。近くにいる薄汚れた背広と帽子の男も、合わせて叫んで汚い合唱。
「何だ、お主も既に見初められているのではないか? それとも、オーガが戦斧しょってくるのを所望か!!! がっはっはっは!!!」
「それがさあ、あんにゃろうわしの呼び声にちーーーっとも応えてくんねえ!!! よっぽどゴスジンサマに見捨てられたの、ショックだったんだなあ!!! ぐへへえへへへへ!!!」
歓談をしながら、地面が割れんばかりの行進を続ける彼等に。
紅い服を着ているが、ひょろ長い体型の男が向かってくる。
「へえ会長。いや、今は頭領とでも呼びましょうねえ……さっきエルフのガキがわしらの頭上を飛んでいきましたぜ」
「何だと? 生意気なガキだな……興味がある!」
「お待ちください、報告はまだ終わってません。そのガキ、こっちを舐めた目付きで見たかと思うと、ロズウェリの方にぴゅーっと撤退していきやがりまして……」
「わしらの目的地ではないか!!! ぐへへへへへへ!!!」
嗤う背広男の横で、豪快な男は深呼吸を一つ。
「どれ――折角授かった力だ。使ってやらねば持ち腐れというもの――」
吸った息を吐き出すと、秩序が鳴動する。
「あーもう……!」
「泣きっ面に蜂って、よく言うよねほんと!!!」
「相手が蜂なら都合がいいよ」
「あたしの糸で――捕まえられる!」
艶やかな黒ドレスに変貌したカタリナが、魔法の糸を操り結界を編み出す。
細部まで毒を含ませた攻防一体の結界。糸は大気に溶け込み瞬時に消え、後に甘い匂いを残す。
「こんなもんだね……匂いが強い方向に行かないで!「ぶもおおおおおおおおおおおお!!!」
「――そっちは駄目!!!」
カタリナの魔法が間に合わないのを見越して、イザークがギターを投げ付け強引に軌道を変える。
変えたのは蔦混じりの炎であった。直前に水流に姿を変えている。
「だーっ!!! マジオマエ一体何なん「クラリアたあああああああ!!!」
「……状況見ろよ!!! 緊急事態が迫ってるんだぞ……ああ!!!」
エリスの口が悪くなる程に、ジルの行動は常軌を脱していた。
他の客人は誘導し、ロズウェリ家の屋敷まで避難させた。その際にもジルはクラリアを追い掛け回し、更に二人を取り囲む謎の魔術もそのまま。寧ろ勢いを増している様相だ。
誰が、何を言っても、あの猪は止まらないのだろう――そう予感できても、止めないといけない。
「止まれ!! クラリアを解放しろ!!」
エリスが選定の剣を突き刺し、解除を試みるも――
直ぐに破壊された箇所を修復するように次の魔術は生えてくる。
「ぐっ……しつこい!! 邪魔をするな!!」
「クラリア、クラリア……!!!」
エリスの目に映る彼女は、疲弊の色を隠さなくなっていた。
普段あれだけ気丈で元気な彼女が、ここまで追い詰められている。いや、追い詰められるなという方が無茶がある。
逃げ道の見えない迷路を、延々と彷徨っていれば、至極当然だ――
「エリス!! 戦況は!!」
「アーサー……っ! 後はクラリアとジルだけ……!」
避難指示に奔走していた友人が戻ってくる。アーサー、ルシュド、リーシャ、ヴィクトール、ハンス、ギネヴィアの六人。残る一人は――
「――幻想曲と共に有り、高潔たる光の神よ、今に目覚めん」
光の帯を伴って、
天より落ちてきた所だ。
「ぶっ、ぶもおおおおおおおおおおおお!!!」
「くっ、クラリアたんを返せっ……!!!」
舌打ち一つが呪文の代わり。
偽物など相手にならん、真なる緑を見せてやる――
「クラリアは――誰の物でもねえっつーのッッッ!!!」
様々な物質が混ざった紛い物の蔦を、生き生きとした草花が蹂躙していくのを、手を伸ばしても届かない距離から見つめることしかできない。
「サラ……!!」
「……何なのだ今日の彼奴は。あそこまで無鉄砲なことが今まであったか!?」
「何かここに来てからずっとイライラしてたから、爆発したのかなあ!?」
「そんな単純な話だといいんだが――!!!」
騎士王は周囲を見回す。周囲にいるのは自分達だけ。
冷静になれ――ここは自分達がどうにかしなければいけない戦場、またの名を場面だ。
「ハンス、連中はあとどれぐらいで来る?」
「ぼくが見た時は三十分って感じだった。今なら二十分ぐらいの――」
がっはっはっはっは!!!
「……」
「……嘘だろ?」
嘘ではない。真実だ。
目にも鮮やかな紅色が、地平の彼方を遮るように立っている。アルビム商会と呼ばれる、恫喝と脅迫を武器にする商人連中。
連中の頭領、商会長ハンニバルが、依然として笑いを止めず近付いてくる。足音が人間の物であるとは到底思えなかった。
「いや~……取り敢えずだ! 今日の良き日に、何故ワシらを招待しなかったが、甚だ疑問であるな!」
「だからこうして来てやったとそういうことだ! 何せ折角の結婚式、祝いの場に――ん? 何だこれは?」
何もない所でハンニバルは止まり、それから正面をきょろきょろ見回す。
傍から見れば謎めいているが、彼には見えている。見えているらしい。
「ははぁ、ワシらを恐れてこんなもん作っておったのか? 獣人連中に、こんなの作れる頭いい奴がおるんかのう?」
「まあ、こんな結界造作もないことよ――」
正面に向かって手を伸ばし、そして握り締めたかと思うと、こじ開けるように左右に動かす。
何もないはずなのに、ぶちぶちと糸が千切れるような音が木霊し――
そして最後に、世界が割れる音を響かせた。
「……嘘」
「カタリナの魔法糸結界が……!」
たった一人に、一瞬で破壊された。
そのことを認められないまま、破壊した主はじりじりと歩み寄ってくる。
「ほ~……面白いのが二人おる「来るな、来るな!!!」
「とはいえ奇妙な組み合わせだ「待ってええええええええええ!!!」
「かの伝説の騎士王と、イアンとこのクソガキと「止まれつってんだろうが!!!」
「同じ場所同じ時間で相まみえるとは「邪魔するなああああああ!!!」
「――こんのケダモン共ががああああああ!!!」
奴が大地を踏み均すと、
地面は即座に隆起し、空気も読まず追い掛けっこをしている子供三人を、捕えるように動き出す。
気持ち悪くなるぐらいに生々しく胎動していた。さながら生命を吹き込まれたかのように。
「ぬがあああああ!?!?」
「何これっ……!! って、ハンニバルじゃない!?」
「あ……あ……」
「ぜぇ、ぜぇ、全く、この場の王はワシだって言うに……言葉を遮るような真似をしおって!!!」
「まあいい、気も少しは晴れたわ。さあ小僧共、ワシの相手をせい!!!」
「相手っ……なっ!!」
「エリス!! クッソ、皆が……!!」
土がアーサーとイザークの間にめり込む。
それは隔てるように聳え、疑似的な隔離空間を造り上げる。ここは急遽造設された闘技場。
主は深呼吸を繰り返し、魔力を全身に滾らせる。五感が痺れる程強力な物だ。
「メインデッシュは他にいるが、先ずはお主等で腹拵えだ。覚悟せい!!!」
「アーサー……気を付けろ。アイツ、只モンじゃねえ……!!」
「お前もなイザーク……昔会ったことがあるとか、そんな縁は忘れろ!!」
「アーサー!! ……きゃあっ!!」
「これは何!? ハンニバルがやった何か!? それともクラリアを囲んでる魔術!?」
「どっちでもいい、ぼくらの邪魔をしてるのには変わんねーだろ!!」
本気の十分の一でも出せば、蔦の魔術は破壊できるし、隆起する地面は特に攻撃行動をするわけでもない。アーサー達を取り囲むことに集中している様子だ。
だが数が多い。密度が高い。こちらの許容量を遥かに超えている。
加えて友人の心配もしないといけないのだ。
「サラちゃーーーん!!! クラリアちゃーーーん!!! うわっと!!!」
「このっ……!!!」
「ああん!? 小生意気なメスっ子じゃな~~~!!! 死ねぃ!!!」
忘れ掛けていたがハンニバルは一人ではなかった。部下であるアルビム商会の会員を、これでもかと連れてきたのだ。
一部の連中はロズウェリ家の屋敷に向かっている。一人でもそちらに向かわれたら、惨事が引き起こされるのは明白だ。
「小夜曲を贈ろう、静謐なる水の神よ!」
「んおっ!!! テメエ、邪魔せんといてや!!!」
連中の臭いを嗅ぐと鼻が痺れる。ハンニバルから感じられるそれを、連中はほんの少し纏っているらしい。
「――ぎぃちゃんから質問だ!! おまえ達はロズウェリ家のお屋敷に行って、何をするつもりだ!!」
「何をするつもりだぁ~? そんなのさっき頭領が仰ってたろがい!!!」
「あんにゃろう息子が結婚するっちゅーにわしらを招待せんといてよ~~~!!! どちらの立場が上か、すっかり忘れてるようだからのう!!!」
「そいつを思い出させて、ついでに灸を据えて、あとは頭領のウォーミングアップという所かのう!! じゃからお主らくたばれい!!!」
言いたいことは山程でてきたが、怒涛のラッシュ攻撃がそれを許さない。
閃光交じりの魔弾に目を晦ませていると、至近距離からナイフで切り付けられる――
「……グオオオオオオオオオオオッ!!!」
「ぐあーーーーっ!?!?」
ギネヴィアに襲い掛かろうとしたその刃を、
雄叫びと共に割り込んできた狼が、弾き返した。
「ガッ……ふん。お前達の好きにはさせんよ、アルビム商会……」
殺気立った目と鋭い牙を覗かせて、しかしそれでも、彼はロズウェリ家当主のクレヴィルその人であると、はっきりと視認できた。
「クレヴィル様……!」
「ああ、エリスさん……だったか。ハンニバルは何処に?」
「そ、それは……あそこの、土の中……」
先が見えない程に伸びた土の壁に隔てられた空間からは、大地の悲鳴にも似た怒号に足音殴打、狼の遠吠えに剣戟の金属音、ギターの音色が依然として止まず聞こえてくる。
「わたしの友達……が、目を付けられて……」
「……そうか」
クレヴィルは一息ついた後、未だに交戦を続けたり、屋敷に向かおうとしている、アルビム商会の連中を視界に据える。
「……私はどうやら奴と決着を付けられる運命になかったらしい」
「だが……それでもいい。この因縁を断ち切れるなら、誰がやってくれてもいい」
「私は私の役割を、燃え尽きるまで全うさせてもらうとしよう」
首筋や腕に、橙色の線が浮かび上がっていたのを、エリスは見逃すはずもない。魔力が肉体の許容量を超えている。
待ってくださいと一声掛ける前に、彼は駆け出していってしまう。あのまま戦ったら彼の肉体は破滅する――
彼女の中で、ある発想が過る。
思い出させたのは背中の翼。深淵の証明は囁き掛けるように熱を帯びていく。
「わたしは……願えばいい」
「全部なかったことにして、結婚式をもう一度って、そう願えば――」
その通りだと訴えるように、背中の黒翼が疼く。
それを振り払うように、少女騎士は背中を叩いた。
「エリスちゃん、なかったことにするのは絶対にダメ! そんなことしたら、エリスちゃんはダメ人間になっちゃう……それから、苦しんだ誰かのことまで否定することになる!」
「そんなの、そんなの、エリスちゃんが望んだことじゃないでしょ……!」
頬をぱしっと叩く。
何でも願いを叶える力。何でもできるからこそ、迷いも生まれやすい。
それを何度も振り払って、彼女は前を向く。
「……ありがと、お姉ちゃん。わたしにできるのは……戦うこと、だよね」
「そうそう! さあ、皆もう向こうに行っちゃった! わたし達も行こう!」
「うん!」
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