「もう無理だ」
フローラ……
「やっぱあたしに都会は早かった」
もう……
「そもそもあたしに都会は無理だった」
いいから開けてよ……
「あたしは紫の森がお似合いだ」
ちょっとしたことじゃない……
「魔物に喰われた方がマシだ」
それは絶対有り得ないわ……
「もう何もしたくない」
ええ……
このような押し問答が続いている所にエリスがやってきたことになる。
「こんにちはー。来ちゃいました、えへへっ」
「あら、エリスさん? カタリナさんは今日は地上階に行くって……」
「カタリナとは関係なしに、わたしの意思でお邪魔しに来ました。差し入れを持ってきたんですよ。食べられる物です」
「それは素晴らしいわね! よしフローラ、貴女も食べましょう!」
ここまで耐えてきた、扉を押し破る行為にあっさりと手を染めるメリッサ。
そうして毛布にくるまって芋虫のような姿のフローラを両手で持ち上げて出てきた。
「そ、そんな運び方……」
「この子はこれぐらいでへこたれないし、こうしてお尻叩いてあげないと駄目なのよ!」
(……小さい頃からそうだった。あたしはブスで根暗で駄目な人間だって思ってた)
(でも可愛い服を着れば可愛くなるかもって、それで服の勉強してた。結局暗殺業やるから無意味だったけどね)
(だから……えーと……)
(……)
(語彙力が貧相で上手く回想できねえ……)
「ん……」
目覚めたフローラの眼中に入る赤い物体。
何度も瞬きしてそれは苺であることに気付く。
「ぱくっ」
「うおっ、首伸びた」
「もがもが……」
一つ食べた後にまた布団に潜るのであった。
「……もう、貴女ねえ。エリスさんがお邪魔してらっしゃるのよ?」
「可愛い子がいるもう駄目だ」
「何が駄目なのか言ってみなさいよ、ったく……」
ごめんなさいねとメリッサはエリスに向き直る。他にも数名の若者が広間に集って、エリスが差し入れてくれた苺を食べているのであった。
「ふふ……フローラさんを見ているとカタリナを思い出します。自信がなくて引っ込んじゃう所が……」
「カタリナさんが……ああでも、確かあの人小さい頃はそうだったんすよね」
「族長含めて、皆悩んでいたわね。ヴィリオもオレリアも一生懸命頑張って……」
そうして見守ってきた子に今度は支えられているのだから、未来はどう転じるかわかったものではない。
「ねえフローラさん、だめなんてことはないんですよ。案外人生っていい方向に傾いたりします。一度の失敗でそんな卑屈にならないでください」
「……」
「それにフローラさんは、すでに物事に立ち向かう勇気を手にしているんです。だってこの苺を食べましたから!」
「へ? 苺……?」
「そうですそうです、我らは人形、刹那の傀儡――」
鼻歌交じりで歌い出すエリス。
その歌声ににゅっと顔を出してくるフローラ。他の若者達も、その歌声に耳を傾けていく。
『生まれついたその日から 定められた歌劇を踊る者
喜劇に生まれば朽ちても歓笑 悲劇に生まれば錆びても涕泣
果てに望む結末は 誰にも知られず虚無の果て――』
『遥か昔、古の、
フェンサリルの姫君は、
海の蒼、大地の碧を露知らぬ、空の白のみ知る少女
誰が呼んだか籠の中の小鳥、彼が呼んだは牢獄の囚人――』
『心を支え、手を取り、解き放つには、一粒の苺があればいい』
『――さあ』
『束縛の夜、運命の牢獄から飛び立って』
『自由なる朝、黎明の大地に翼を広げよう――』
ふぅと彼女が一区切り付けた後、ぱちぱちと拍手が鳴った。
「……いい歌っすね」
「『フェンサリルの姫君』。わたしの大好きなおとぎ話なんです」
「御伽噺……」
「ずっと閉じ込められていたお姫様が、苺の勇者様と一緒に外に飛び立つ。たった一粒の苺がお姫様に勇気を与えた」
「……」
ダイニングテーブルに乗っている箱には、まだ苺が山盛り入っている。
「この苺がそうだって言うんすか?」
「はい。アヴァロン村ペンドラゴンの美味しい苺です。ご贔屓にしてくださいね」
「……」
それまで頑なに布団から出ようとしなかったフローラが、飛び出て自分の手で苺の山に手を伸ばした。
翌日。
「おやフローラ様、今日はご自分から制服に手を伸ばされるのですね」
「……うん」
颯爽と着替え終えたフローラ。まだ俯きがちだが気合十分の表情だ。
「まだ頑張るって決めたから……勇気を貰ったんだ。苺を食べて、昔の英雄みたいにさ……」
「そうでありましたか。ふふ、エリス様は相変わらず素敵なお方だ」
「知ってる……ああ、そりゃそうか」
素敵な人には素敵な人間関係が常に付き纏うものなのだ。
「む、呼び鈴が……」
「あたし行きます!」
「ああ、ちょっとお待ちを!」
今日は実践ではなく観察を行ってもらうつもりでいたのだが――
「お、いらっしゃいませー!!!」
もう完全に実践をするつもりでいる。
「……」
「……あれ?」
「貴女は……この間の!」
へっ? と顔を上げるフローラ。ぼけっとした顔で見たのはチェックシャツの男性である。
自分の記憶にはこんな知り合いがいた記憶はない。記憶にないので心臓が一気にバクバク言う。
「……………」
「あ、すみません。勿論覚えてなんていませんよね……ええと」
「この間、『満天市場』でぶつかった……その時の僕です!」
そう言われるとふつふつ記憶が蘇ってくる。
「……」
「まさか」
「あの時のこと根に持って報復に「違いますよ! 偶然です!」
本当に誤解を解こうとしてぶんぶん両手を振る男性。敢えて介入せずに、じっと様子を静観するセバスン。
「実は僕、妹がいまして……しかも誕生日が近いんですよ。それで最近話題のブランドの服を買ってやろうと思って、ここに来たんです」
「は、はあ」
「……あ! そうだこれ、貴女の物ですよね?」
男性はブレスレットを鞄から出す。それはくしゃくしゃにした紙に包まれていて、傷が付かないように配慮してくれていた。
それは確かに自分の所有物だった。大切にしていた物だった。
「……」
「うええええええ……」
自分の失せ物が戻ってきた安心感、しかしそれ以上に感じていたのは――
都会の人にこんなに優しくしてもらえるなんて、という感動。
「えっと、何かすみません!? 泣かれちゃったから謝りますね!?」
「ぐずっ!!! こっちこそすいません!!! あたしは店員で、貴方は客なのに!!! ビシっとします!!!」
「わっ、じゃ、じゃあ……僕に服を紹介してくれませんか? 女性の服って何が何だかさっぱりなもので……」
「あたしの方こそ仕立て屋の店員の癖して服に詳しくないんですけどいんですか!!!」
「貴女の紹介がいいんです! だってこうして縁ができたんですから!」
「う゛ぐっ……ぶんっ!!! わかりました!!! あたし、頑張ります!!!」
敬語なんて使えたのは一瞬、専門用語もなく形容詞ばかり、思わず引いてしまう程の大声と大仰な態度。
今日の彼女の接客を、あるべき仕立て屋店員の姿かと訊かれたら、素直に首を縦には振れないが――
それでも一生懸命だった。自分が導くべき相手に向かって、真摯に向き合っていた。重圧から逃げることなく、真正面から立ち向かっていた。
「フローラ、これカモミールティーよ。飲んでみて」
「……こんな、お洒落すぎる物、」
口が開きそうになった先を飲み込んで、代わりにティーカップに口を付ける。
「美味しい」
「よかった。口に合わなかったらどうしようって思ったの」
「都会の物は美味しいから、あたし何でも食うよ。食うことにした」
窓の外には魔術灯に照らされた住宅街が並ぶ。岩の天井に覆われ、壁に窓が開いたアルブリアならではの夜景だ。
太陽が沈み、暗闇が支配する世界に灯る道標。
それは人が夜に立ち向かう為に編み出した、希望と呼ばれる物の原初の形。
「……メリッサー」
「なあに?」
「……」
「都会で生きるのも……悪くないっすね」
今日来てくれた彼もこの夜景を見ているのだろうか。
ふと疑問が頭に浮かぶ――
(いや……)
(また店に来るって言ってたから、そん時に訊けばいいか)
(できれば……アルブリアのこと、もっと教えてほしいな)
(そんで、願わくば……沼の者のことも知ってほしい、なあんて)
今日も夜は更けていく。都会の景色に瞼を閉じる君に。
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