「……む?」
「何だこの声は……クレヴィルではないようだが?」
ハンニバルは波動を纏った腕を下ろし、土壁を解除して周囲を見回す。途端にアーサーとイザークからは興味を失ったようだった。
急転した戦況、されど好転したとは限らない。何故なら聞こえてきた叫び声は、友人の物だったからである。
「アーサー! ……おい、鎧ぶち破ってるぞ!? 平気かよ!?」
「魔法でどうにかなる程度だ……それよりも! イザーク、今の声は……!」
「クラリアだ!! アイツに何かあったんだ……!!」
「がっはっはっはっは!!!」
何が可笑しいのか訊ねてみたくなる程に、ハンニバルは大声で笑った。
釣られてきたのか他の商会員達も、物見にやってきては舐め腐るような目を向ける。
「小僧共!! これは傑作だ!! 見るがいい、これが連中が隠してきた罪よ――!!!」
ある者は嵐と言うだろう。ある者は地震と言うだろう。ある者は何に例えるかはわからないが、総じて災害を示す言葉で表すだろう。
現実に見ているのはその全てであり、或いはその全てでもない。それは災害と呼べる規模の事象を引き起こしているが、その本質はたった一人の少女なのだ。
「……最悪」
屋敷に避難した後、中から様子を見ていたキャサリン。舌打ちをし不機嫌そうに尻尾を振り回した後、直ぐに指揮官としての立場を果たしに行く。
「そこのキミ、兎耳だから足速いね。伝令を頼むよ」
「はっ! ……レイモンド様にですか!」
「察しがいいね、その通り。『ロズウェリは事件が起こった、大惨事! 娘はこっちで守ってやっから、お前はこっちに来るんじゃねえ!』 いいね?」
「了解しました!」
その様子を見ていた他の騎士や兵士達も、続々と命令を聞きにやってくる。
「簡易的でいいよ、物理防御系の魔術を行使して。無傷とはいかないだろうけど、被害は食い止められる。お客様にもそう知らせて。あとわかっているだろうけど、窓の側には近付けないように。なるべく中庭からは遠ざけるんだ」
「はっ!」
「誰か魔術に詳しい人がいるなら、その人中心に魔法陣作ってもらって。とにかくあの子はこっちに向かってくる可能性がある。ここも抉られたら……あの子はまた罪を重ねることになってしまう」
「罪……」
ごくりと唾を飲んだ騎士は、猪の特徴を有していた。顔が少し青褪めている。
「……キミ、八年前の襲撃事件に関わっていた感じ?」
「あ、それは、その……」
「まあどのみち今訊く話じゃない。先ずは命を守ることを優先して」
「はい……!」
駆け出した騎士と入れ替わりで、信頼できる臣下のロシェが戻ってくる。
その手には太いロープがあり、数人の兵士を伴って誰かを連行してきた模様。
猪の獣人が多数縛られていた。鎧姿やローブ姿の獣人がいる中で、その先頭は、豪華な貴族の服を着た、ラズ家当主クーゲルトその人だったのである。
「雑すぎないか? 確かに屋敷に連れてこいとは言ったけどさあ」
「こいつらが暴れ回るのが悪いんすよ!!! ……だーっ!!! 言った側から!!!」
「ぶほおおおおおおおおおおおおおお!!! わし達の邪魔をするなああああああああああ!!!」
「わし達は今、ジルがやっとのことで恋路を結ぼうとしているのを、全面的に支えてやっていると言うに!!!」
「このままではまた、ジルはクラリアを取り逃してしまうではないかっ……!!!」
「夜想曲の幕を上げよ、混沌たる闇の神よ」
呆れた口調で唱えられた呪文が、クーゲルトの口を塞ぐ。
手足と胴体は縛られている状態である為、ここまでされればキャサリンでも胸倉を掴むのは容易だ。
「死んだよ、キミの息子」
「……まあ死んだかどうかは確認しないとわかんないけど。でも、恋路とかそんなこと言ってられる状況ではないよ」
「周りに助けを求めるな、こっちを見ろよ、クーゲルト」
真ん丸の目を周囲に見せ付ける彼の、頬をはたいて正気に引き戻すキャサリン。拍子に爪を立てた為そこに傷が付いた。
「あ、皆ロシェを手伝ってくれてありがと。下で防護魔術の展開やってるから、そっちに合流してね」
「「「了解!」」」
「魔術ってことなら丁度いいかも。こいつら屋敷の陰で隠遁結界展開して、そこでこそこそ魔術やってたんです。多分例の蔦です」
「なるほど、どおりで姿が見えなかったわけだ。んー、でも何をしでかすかわかんないし、こいつらは地下牢にでも入れておこう。あるでしょ?」
「手配してきますよ。グレッザ、キャサリン様と一緒に見張ってて」
「!」
天候は依然として晴れ模様が続く。大地で起こっていることが何であろうと、空にはそんなの無関係なのだ。
言葉を失うとは、まさにこのことかと、誰もが思った。
会食を乗せていた机、椅子、その他の装飾婚礼に用いる道具全て。
跡形もなく吹き飛んだ。文字通り、それが存在していた形跡も、それが有していた形も、わからなくなっていた。
「ウウウウウウウウウウウウウ……」
「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
失っている間も彼女は暴れ狂う。ずっと腕に嵌っていた誰かの肉体を、振り回して吹き飛ばし、
そのまま周囲に――物体が殆どなくなったので、とうとう生命体に標的が変わる。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!!!!!!!!」
「クラリア……!! だめっ、ぐっ……!!!」
突進してきた振り下ろした腕を、剣で受け止めるのはエリス。
持てる魔力を解放し、筋力を強めていく。拮抗状態に持っていくことはできた。
「……!!! ウ、ウウウウウウ……!!!」
「クラリア!! わたしの声、聞こえる!? ねえ、ねえったら……!!!」
獰猛な目付きに容赦ない攻撃。威嚇するような声を出してはいるが、
その節々に、悲しそうな気持ちが込められているように、そう見えて聞こえるのだ。
「ぐおおおおおおおおおお!!! 止めろ、クラリアああああああ!!!」
ルシュドが飛び掛ってきて、両肩を掴んで無理矢理引き剥がす。
「グッ!!!」
「あああああああああああ!!!!!」
彼女はその勢いのまま、ルシュドを蹴り飛ばし――
今度は目に入ったリーシャに狙いを切り替える。
その目で見つめられたら、筋の筋という筋が逆立ち、命の危険を察知するだろう。たとえ友人であっても――
「やばいっ!!!」
「リーシャ、氷で壁を作って!!」
「わかってるわよスノウちゃ「オラアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
「……はぁ!?」
両隣を颯爽と行くのは、先程まで戦っていたアルビム商会の赤スーツ達。
その手には狩猟に用いられる網が握られていた。それでやることといったら一つ。
「グアアアアアアアアアアアアア!!!!」
最も、やる前に首が飛んだ。胴体は数歩走った後に崩れ落ちていった。
「捕まえようってんの!? クラリアを!?」
「そんなことしている場合じゃないのに……!!!」
見ると他にも赤スーツの男達が、何とかクラリアの方に向かおうと模索しているのが目に入る。
三百人規模で来た連中が、一人一人戦闘不能に追いやられていく。
そして、その頭領はどうしているかというと――
「ふんっ!!! 執拗いぞ小僧!!!」
「あんたも大概だがな、ハンニバル!!」
同様に動こうとしていた所を、アーサーに妨害されていたのである。
「小僧……見てわかるだろ? あれはお主らの手で止められる代物じゃねえ。だがワシならできる。この状況を打開する為に、ワシの力が必要だと思わんかね?」
「そうして借りを作っておいて、後で吹っ掛けるつもりだろ!!」
刃が腕に食い込み、傷口から血を吹き出させる。
だが少しの間に修復していき、結局元通り。先程の戦闘で得た情報だ。
故に時間を与えぬように細かい斬り込みを与えていく。
「第一、あんたに止められるって言うなら、オレにも止める力はある!! クラリアのことはオレ達だけでどうにかする――!!」
「どうにかって、どうすると言うんだ? 殴るのか? 斬るのか? 殺すのか!?」
「それは――」
言葉に詰まった隙を突いて、ハンニバルが鳩尾を抉ってくる。
だがそれは、直前で震え上がり、そのまま停止し力を失っていく。
「ぬぐっ……!! この、クソガキ……!!」
「アーサー!! 生きてて何よりだ!!」
「イザーク!!」
背後の方向から、空中をすっ飛び、そして滑らかに着地してきたイザーク。その手にはギターを引き続けた影響か、タコが幾つもできあがって痛々しい。
「ってー……悪ぃ。無理だったわ。クラリア、叫んでばっかで音色に耳を澄ませてくんねえ……」
「そうだったか……なら、まだオレを手伝ってくれないか。ハンニバルを止め続けないと……」
態勢を戻したハンニバルは、割り込んできたイザークをぎっと睨み付ける。
対して睨み返し、そして呼吸を整えるイザーク。
「……成長したもんじゃのう。一昔前なら、ワシが睨んでやっと、ビクビク怯え上がって話もできんかったに……」
「お褒めの言葉どーも。だけど、それはそれとしてクラリアは渡さねー。どうしてもってんなら、ボクとアーサーを倒してから行け!!!」
「ふんっ、どうやらその必要があるらしいのぉ!!!」
「……どうだー? まだ、終わんねーかぁ?」
「まだまだ、だな……」
カタリナに急造してもらった魔法糸結界。その中に傷だらけのサラを連れ込み、ハンスとヴィクトールが入って治療しつつ待機。
周囲には危機感が立ち込めているのに、自分達は座っていても目も向けられない。
「……やばいな。今の見たか? 屋敷の入口ぶっ飛んだぞ?」
「地面も色が変わっていたな……抉られた結果地層がでてきたんだろう」
「……」
「……」
わかっている。戦わないといけない。でも身体が動かなかった。
本能的な部分で、どうすればいいのかわからず脳が止まってしまった。
だからこうして安全な場所にいる。逃げて、いる。
「……やっぱ、すげえんだな、あいつら」
「俺も……まだまだだな……」
その時、絶え絶えに呼吸をしていたサラが、身を起こす。
「……うう」
「目覚めたかくそが。クラリアは……あれだよ」
「……」
やはり錯覚ではない。クラリアは原始に戻ったかのように、理性を忘れて暴れ回っている。
沢山の物を破壊した傷跡、沢山の人を絶命させた血痕、全てを身に受けても尚収まらない。痛覚では彼女を抑え込めないのだ。
「……止め、なきゃ……」
「その傷では何もできん。大人しく眠っていろ」
「……!」
「彼奴等が、どうにかしてくれることを、祈るしか――」
「ふ、んっ……!!!」
アアアアアアアアアアアアアアア!!!
「――ああっ!!」
「お嬢様!!」
またしても失敗。複雑に編んだ糸が音を立てて切れる。
残っている商会員も少なくなってきた。自分達に攻撃の目が向いていない今しか好機がないと言うのに。この糸で、彼女を捕え、落ち着かせなければ。
焦りを見せるカタリナに、ギネヴィアは声を掛けてきた。
「カタリナちゃん!! ……手から血が出てる!!」
「大丈夫、こんなの後で治るから……うっ」
「お嬢様、短時間に魔力を過剰に放出した反動でございます。これ以上の継続は……」
「ま、まだやれる……でも、ああっ」
「だったらわたしがやるから、休んでて!!!」
くらくらと倒れていったカタリナの隣で、ギネヴィアは索敵を開始する。地面が抉れた影響で土煙も激しく、目をじっくりと凝らさないと誰の姿も見えない。
「――!!!」
「見つけた!!!」
大声で叫んだ後に見えた光景は、
探していた友人クラリアが、一人の男性を前に、爪を逆立てている所だった。
「……あれは!!! クレヴィル様!!!」
「クラリア!!! その人は、襲わないで!!!」
話を聞いてくれないとわかっていても、一縷の望みに掛けて叫ぶ。それから食い止める為に走る。
クレヴィルは橙色の波動を纏ってこそいたが、力を使い果たしたのか地面に茫然と座っていた。ぶつぶつと口が動いていたが何と言っていたかはわからない。
爪が下ろされるのとどっちが先か。間に合え、間に合ってくれ――
そう思っていると、頬を豪風が掠めていった。
「……えっ?」
思わず風が吹き抜けていった方向を見る。何もない。
何もないことを確認したら、それよりもと大慌てで前を見る。
しかしそこにいたのはクレヴィルだけだった。怪我一つなく、彼はそこに座り尽くしているだけだった。
「……クラリアちゃん……?」
晴天だったはずの空はいつの間にか曇り、雨が降り出していた。
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