学生生活も残り少ない。せめて卒業までの期間は、昔そうしたように学園に行こうと、そう心掛けてきた。
しかし悲しいかな、昨日はどうにも調子が悪く、魔法学園を休んでしまった。
今日一日は、じっくり心を休めたいと思ったのだ――
「……」
ベッドから起きて一人掛けのソファーに移動する。残されたベッドの上は見たくもない状況に様変わりしてしまった。
理由はそれが置いてあるから。自分の記憶を思い起こさせる、後悔の火種。あの子が遺した唯一の。
「……ん」
部屋の呼び鈴が鳴らされた。続いてこの貴族館で働いている使用人の声がする。
「失礼します。カルディアス様にお会いしたいという方々がいらっしゃってます」
「……名前は?」
「ヒルメ・ブランド、パーシー・アンダーソン、ノーラ・ドゥルク・ジェスパーと名乗っております」
「……通してくれ」
「かしこまりました」
そうして数分後に、三人は姿を見せる。
「にへっ。こんちゃっ」
「何か初めてじゃないか! お前の居室にこうやって乗り込んできたの!」
「いやあ、広いんですねえ貴族館。ここに色んな貴族の方々が住んでいることにも更に衝撃ですよ」
パーシーは相変わらず箱を背負っているし、ノーラは相変わらず小さかったが――
ヒルメだけは、手に巨大な箱を抱えていた。
「……ヒルメ、それは一体」
「よくぞ訊いてくれたぁ! ウチさ、これ買ったんだよ! 『いつでもどこでも楽々簡単鍋』!」
「鍋だと……?」
「そうそう鍋! つーわけだからさ、今から鍋パしようぜ!」
仮に今が帝国時代だったら――
王族の子息の家に堂々と入り込んで、鍋とかいう庶民的な料理を振る舞うということは、絶対に許されていなかっただろう。
だが仮に帝国時代であっても、その湯気は身分を問わず、人々の心に染み入ったのではないだろうか。
「……ヒルメ、最初に言うが。名乗る時は種族名もしっかりとだ。トールマンだろう君は」
「忘れてたわワラ。つーか名前なくても見た目でわかるっしょワラ」
「ライナス殿が聞いたら泣くな……」
「パパは優しいから笑って許してくれるよっ☆」
パーシーが背負っている箱には基本工具が入っているが、今回は鍋に入れる食材を入れてきたらしい。
次々と旬の野菜や前置きしておいた肉団子、魚の切り身等が入れられ、豚肉のだしが効いたスープに煮込まれていく。
「音が意外と静かだな……」
「それは俺の改造の成果! これってジャネットが作ってるからさー、比較的改造が楽なんだわ!」
「……パーシー。相手は俺だからいいものの、普通貴族の家に何が起こるかわからない改造品を持ってくるか……?」
「だーいじょーぶだって俺も馬鹿じゃねーもん! カル以外の家には安全な魔法具持っていくから!」
「俺に対しては危険な物でも持ち込んでいいみたいな言い回しは止めよう」
「でへっ☆」
カルはソファーから動かず、三人がてきぱきと準備をしていくのを只眺めている。ゆったりしていていいよと言われたのだ。
「……ノーラ、何故白米を持ってきたんだ。そんなに食べられるのか」
「シメって言うらしいですよ。入れた具材を食べ終わった後には、こう、がっつり系の主食を入れるんです。その頃には具材の旨味が存分にスープに溶けていますからねえ」
「白米にもそれが溶け込むというわけか。それは今から楽しみだな」
「うっし、準備完了。食うべ食うべ~」
マギアステル神とアングリーク神に感謝して、早速スプーンとフォークに手を付ける。
このような素晴らしい料理を堪能できること、それを囲める素晴らしい友人に巡り合えたことに、思いを馳せながら。
「確か人間関係を司る第二世代の神様がいましたねえ。何でしたっけ」
「ヴェナス。元々は恋仲を司っていたのが、いつしか友愛も含まれるようになった」
「そういった戯曲もあったりするんです?」
「あるな……『ヴェナスの悲恋』。彼女自身が悲しい恋に引き裂かれるというものだ」
「もっと明るいのはないんですか」
「夜共に寝ていた男女を両想いにさせ、たのはいいが実はそれが不倫の現場で、その後魑魅魍魎の修羅場となってシュセ神に叱られる戯曲とか……」
「もう、もういいです腹一杯です」
断ってから咳き込みまくるノーラ。食べていた人参は喉に詰まらずに済んだ。
「はぁ~……詳しいんですね、カルは。これも勉強したからですか?」
「そうだな……一応著名な戯曲は、一通り内容を齧った。いつ説明を求められてもいいようにな」
「……努力家ですよね、実に。身体の半分が爛れてしまって、それを隠す為の化粧魔法も頑張って習得してましたし」
「……パーシーには世話になったな」
「へっへー、あんなの友人としちゃあ当たり前よ!」
胸を張ってから鶏肉を引っ張り、少しナイトメアのソロネに渡す。
「♪」
「おっとそれいいな。ウチもメリーさんにあげよっと。メリーさ~ん」
「バウンッ!」
「あはは~、やっぱりおめーワーウルフなんだな!」
「私も便乗しますかね。ヒヨリン!」
「ピィ!」
「貴女は何がいいですかね~。しらたきなんてどうです?」
「ピピッ! ピィ~!」
「……」
三人とナイトメアのふれあいを見ていたカルは――
ふと思い立ってベッドに向かうと、そこに置いてあった物を引っ張ってくる。
「……あ、それって……」
「ああ……あれですか、ナイトメアの遺品……」
「消滅した時、強い意志を持っていると、その一部が消えずに遺る……」
鍋から沸き立つ湯気に対して、カルはそれをひらひらと靡かせる。
それは黒いチュチュであった。
「……ヴェローナ、感じているか。この匂いには様々な食材の旨味が詰め込まれているんだ。とても美味しいんだ……お前も美味しいって、そう思うだろう……」
しんみりとした空気になりながらも、鍋パーティは進み、
気付けばシメの白米を投入する時間になっていた。
「そりそり~入れろ入れろ~」
「これは見た目にも美味しそうだな。残飯と思っていた自分が愚かだったよ」
「だからさっき言ったじゃないですか、旨味が染み込んでいるんですよ」
お玉で掻き混ぜながら、話がまた始まる。
「……数日前にさ、曲芸体操部に顔出してきたんだよ」
「何の用で」
「アンタのことさ、代弁して伝えてきた。ヴェローナのことも」
「……」
「思いの外皆冷静だったぜ……やっぱ三年も姿を見せないとなるとさ。案外察することができちまうみたいだな」
「……そうか。俺の代わりに……ありがとう」
「本当は君にも同席して、一緒に話そうと思っていましたが。その日は急に帰ってしまったそうですね?」
「……少し、昔の記憶が蘇ってしまってな」
物憂げなカルをよそに、白米とスープを煮込んだシメ――雑炊が器に盛られていく。
「因みにリーシャンも同席したからな」
「……」
「だって仕方ないだろ、丁度現場にいたんだから。追い返す理由も特になかったし……あとこのまま黙っていたら、お前のことだ。卒業間際まで明かさなかっただろ?」
「いや……明かそうとは思っていたさ」
カルはパーシーに続けて、雑炊を掻き込む。満腹になった腹に染み入るような、優しい味であった。
「……俺はリーシャに告白をしようと思っているんだ」
「お? お? 愛と感謝の祭日か? 来週だぞ?」
「それも考えた……けど、それは違うと思ってな」
「違うって?」
「……告白は告白でも、本当の告白だ。彼女には俺の全てを知ってもらいたい……」
空になった器と鍋とを、交互に見つめる。
「あ~……だとすると、今度の発表会? その時にゃアルーインに帰るもんな?」
「そうだ……そこで俺の素性については、はっきりと明かす。王子であることも、ヴェローナのことも……その上で答えを聞きたいんだ」
「それに発表会なら、あの子の練習成果も十二分に発揮されますからねえ。ん、最高の舞台じゃないですか」
「……そう言ってくれて心が休まるよ」
「いえいえ、それがカルの選んだ答えなら、私はどんなものであろうともいいと言ってますよ」
ノーラが一番最後に雑炊を食べ終え、ぷはーと景気のいい台詞を言う。
「……やっぱ好きなんだな? リーシャのこと」
「ああ……どうやら面倒を見ていくうちに、本当の愛に変わっていったらしい」
「へへ、まさしくライムライトの一シーンじゃねえか。栄光を手にした踊り子と演出家は、深い愛を抱いていた」
「……けれども二人は結ばれない。ライムライトで行くなら、こうだ」
決然とした物言いに、ぎょっとする三人。
「……確かに死ぬよ。演出家は踊り子の愛を拒んで、二人は結ばれない。最期は踊り子が晴れ舞台で名声を得ている時に、それを見届けながら息絶えるんだ。でも、だからと言って……お前、お前」
「死ぬつもりか? 冗談でも何でもなく……だってこの世界情勢に、お前の身分だ。いつ死んでもおかしくないんだぞ?」
「君が死んだら、どれだけの人が悲しむとお思いで。私達は勿論、リーシャだって……そして、君を待っているイズエルト諸島の人々だって。イリーナ殿下に、ヘカテ女王も……」
「……」
築かれた友情の強さを再確認して、久々に柔らかい笑みが零れた。
「……実際にどうなるかはわからないけどな。そうだな……俺が死にそうになった時は、助けに来ても構わない。だがそれすらも間に合わなかったら……それが本当に、俺の運命で、役割なんだ。そう思ってくれ」
「……絶対助けに行くからな。何があっても、友達を失うのは絶対に嫌だからな!!」
「俺もだぞ!! ここで学んできた魔術の全てを駆使して、絶対にお前は死なせない!!」
「運命とか役割とか、そんなクソみたいな命令、打ち砕いてやりますよ。グレイスウィル卒業生の意地に懸けて……」
「うおおーし……!!」
「先ずはこれ片付けよ!!」
こうして三人は、来た時と同様に部屋を動き回る。カルも同様にソファーでリラックスする。
(……済まないな)
(どうしても、嫌な予感が止まらないんだ。俺はきっと……)
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