ナイトメア・アーサー

Honest and bravely knight,Unleash from the night
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第六百三十九話 急転直下

公開日時: 2021年5月25日(火) 07:27
文字数:4,109

『ねえネームレス、ネームレス! どうしてあなたは私に名前を教えてくれないの。私にあなたの名前を呼ばせて、心からの愛を込めて!』


「『初めて会った時から言っているだろう、私の名前俺の存在はもう捨てた。過去の栄光後悔と共に行方不明になったんだ』」


『またそう言って、あなたは逃げようとする! 私の愛を受け入れてくれないのはどうして? 私はあなたを、こんなにも愛しているの!』


「『落ちぶれて酒に薬に走るような己の騎士をみすみす殺すような、こんな私のことをか。ならば一言返事をしよう、諦めなさいと』」


『いいえ、私の相手はあなた以外に考えられないわ。あなたと一緒に薪の上で寝て、魔物の肝を舐める日々を送ってきたんだもの――数を数えるより、あなたの気持ちを読む方が簡単だわ。それなのにどうして私を拒むの?』


「『理由なんて幾らでもあるさ。私はもう年が行き過ぎた俺と君の身分は離れている中年と美女の夫婦王子と孤児の恋人だなんて、周囲から何と言われるかわからない』」


『そんなこと些事に決まっているでしょう? 皆が馬鹿にするようなら、私はあなたをこう紹介するわ。私を導いてくれた、偉大なる演出家だって!』


「『だとしても世界は受け入れないさ。結局私は落ちぶれて、君は舞台で名声を手にしている。君が雪灰の光の下に舞うのなら、私はその陰で君を見守り続けるだけ。決して二つは交わらない』」



(交わる資格なんて、元からなかったんだ)



『本気でそう思っているの。言ったでしょう、私はあなたの気持ちは読めるのよ。それはあなたの本心じゃない、嘘をついているわ!』


「『そうだな、きっとそうかもしれない。本当は私も君のことを愛しているのかもしれない。ただ私と結ばれることで、君は不幸になってしまうのは火を見るより明らかだから、それに対しての根拠を述べているだけだ』」


『――どうしても返事を覆すつもりがないなら、これだけは教えてちょうだい。交わらないと思っているなら、どうして私を救ったの。足を挫いて、両親の死を嘆いて、寒い寒い雪の夜に出ていった私を、どうして引き留めたの――』





「『ああ……ならばこの機会に教えておこう。全てはそれに集約される』」


「『……もう一度夢を見たかった。夢を捨て切れなかった。演出家として素晴らしい役者を育て、花開く姿を見届けることを、あと一回だけ堪能したかった』」


「『そうした、自分本位で我儘な――傲慢で、欺瞞な、己を慰める行為として――君を救い、育ててきたのだ――』」








「……カル。感動してっか?」

「……」

「観ろよ……リーシャ、とにかく凄いぜ。あんなに氷を纏って……」





 その光景に目を見開く。


 幻想とでも見紛うような光景が、そこには広がっていた。






(わぁ……! 何これ、凄い、凄い……!)


(こ、これはさぷらいずなのです……? きれいなのに、力がわいてくるのです!)



 四肢が曲がるのに共鳴して、雪の霧が麗しく彩る。


 身体が曲がるのに呼応して、雪の華が艶やかに揺蕩う。




 さながら演者と雪とが一体になったかのような光景――

 

 今日という日の中で、一番の素晴らしい演技を観せてもらっていると、誰もが確信していた。

 




(みんな、みんな、リイシアのえんぎにかんどうしているのです……!)


(先輩も観ててくれるかな? 私、こんなにやりました!)






「……美しいですねえ」

「ああ、流石の俺もこれには見惚れちまうな」

「雪華を我が物のように操る踊り子……確かこの戯曲のラストシーンですよね?」

「何だと、音楽に合わせたナイスパフォーマンス? リーシャチャンかなりのツワモノだね?」

「魔術を組み合わせた技は難しいと聞きますが、きっとカルに観せようと思って頑張ったんでしょうねえ――」



 さぞかし感動していると思い、ノーラとパーシーはカルの顔を覗くが。




 そこには思いもしない表情が浮かんでいた。






「……カル? おい?」



 ヒルメが手を振ったり身体を揺すったりして反応を窺うが、彼は舞台を注視しているままだ。


 まるでこちらの声が聞こえていない――





(……踊り子ヴェローナのダイヤモンドダスト)


(それが舞っている時、演技をしていた――)


(リーシャか――よりにもよって、彼女なのか――!!!)





「おや、演技終わっちゃいました。んじゃあここいらで感想を……」


「……ひゃあっ!?」



 立ち上がろうとしていたノーラは、咄嗟に立ち上がったカルに押されてしまう。


 友人達の声も聞き届けず、彼は出入り口まで走っていく――



「んひゃ~……背もたれにぶつけましたよ! どういう了見なんですか!」

「カル! なあカル!! お前何処行くんだ――!?」

「……」














 劇場の構造は記憶している。幼少期に訪れた記憶と、ヴェローナと共にやってきた記憶。二つの異なる時間の記憶が、自分の足を確実に進めていく。


 急がなければ、早くしなければ。さもないと彼女の身に一体何が降りかかるか――




「……っ!!」

「おや……これはこれは、カルディアス殿下ではないですか」





 誰もいない、扉だけが黙して並ぶ廊下の丁度中央。


 ある一枚の大扉を前にして、クリングゾルとカルは対峙する――





「……何をしに行くつもりだ」

「それを咎められるのは貴方の方では?」

「リーシャに……会いに来ただけだ。演技が素晴らしかったと褒めるつもりで」

「それはそれは、とても気が早いようで。ですがその割には随分と落ち着いておられますね?」

「感情を顔に出すのは得意じゃない……父によく似てしまってな」

「おっと、貴方はそうでした。失礼失礼……そういうことでしたら、貴方より私の方が優先権がありますね」


「……悪いがその提案には乗れない」

「貴方の用事は非常に個人的だ。対して私の用事はとても重大なこと……どう考えてもこちらが優位に立っている」

「ならば用事の内容を教えてもらおうか。それができない限りは、俺は貴様の前に立ちはだかる」

「断りますよ。その内容は貴方のような個人には到底理解できないもので」

「それは言ってみないとわからないだろう? 今すぐに吐け」

「断ると言っているでしょう」



「……」

「……」




 煮え切らない押し問答。互いに退くつもりはないと、その意地だけは伝わってくる。



 何とか糸口を見つけ出そうと、視覚に聴覚を研ぎ澄まさせる――







(……!)



 クリングゾルが右手に何かを持っていた。


 その何かが、黒く残酷に輝いたのを見逃がさない。


 眠っていた記憶が呼び起こされる――






(……あれは!!)


(忘れもするもんか、ヴェローナはあれに飲み込まれて――!!)





 氷で刃を作り出し、


 それを手に右手に向かって斬り込む。




 相手に認識させる暇も与えぬ瞬刻の出来事――





「……何のおつもりで、殿下?」

「こちらの台詞だ――!!! 貴様、リーシャを、この劇場を黒に染めようとしていたな!!!」



 ふぅと一息ついた彼は、バレてしまったかとでも言うように、


 右手を上げてそれをまじまじと掲げる。



「それを叩きつけると『くろいあめ』が降るんだ――知っているぞ、何もかも!!!」

「何もかもだと? この兵器に仕込まれた百五十六の術式、それを全て暗唱できるのか?」

「全部同一の内容が書かれている!!! 全てを黒に染め上げろ、生ある者を死に導け――!!!」





 激昂が散漫を生み、散漫は隙を導く。



 直ぐ真横にあった扉が、ゆっくりと開かれるのにすら気付かない、気付けない。





「なっ……」





「……そうも真正面から飛び込んでこられては」


「こちらに攻撃してほしいと、誘っているような物だ――」




 魔力で極限に強化された、クリングゾルの手刀が撃ち込まれる。



 直前にカルの氷刃を魔術で弾き返し、その後の出来事。





「……確かに貴方は感情を出すのが下手ではあるが」


「その分表に出した時には、わかりやすく行動してくれる」





 力も意識も失い、完全に気絶したカルの身体を、


 片腕で安々持ち上げるクリングゾル――






 彼女は目撃していた、してしまった。


 今何が起こったのか、その一部始終を。





「……おや! これは、これは!」


「随分と都合がいい――その表情から察するに、見ていたんだろう、リーシャ!!!」




 恐るべき彼の問いに、彼女は震え上がって何も答えない、答えられない。


 この後告白しようと思っていた相手が、よりにもよって、こんな――




「ならば早速取引だ。リーシャ、カルディアスの命が惜しければビフレストの島に来い! お前は選ばれたんだ、お前はあの島に行く理由がある!!」


「だがあそこは一面の吹雪と雪原が覆う、脆弱な人間は生きられない地だ。故に決心が定まったら聖教会の者に声を掛けるといい。私の名を出せば、全員が屈服して従うぞ!」


「決心と言っても結局、お前に与えられた選択肢は一つだけ――聖教会に従い、聖教会の道具となりてこいつを解放することだ!!! ククク……ハハハハハハハハ!!!」





 勝利を確信した高笑いを残して、彼は魔術でその場を去ってしまう。



 痕跡すらも残れない高度な転送魔法。行先を追うことすら難しい。



 やるべきことはわかっている、だが身体が動かない。心の表面に広がっていく薄氷を、まだ現実として受け入れられない。



 膝から崩れ落ちてしまって、立ち上がることすらできない――







「いや~みんな素晴らしい演技だったね!」

「リーシャちゃんもすごかったけど、ミーナさんも中々やってたよね~」

「流石雪華楽舞団キルティウムにお母さんが所属しているだけあるよね……わっとと」

「大丈夫カタリナ? やっぱり差し入れ買いすぎたかな?」

「いくら労う為とは言え、流石に限度ってものがあるよね。この後曲芸体操部で打ち上げするだろうし……」

「これぐらい必要って言ったのはどこのぎぃちゃんだったかなぁ~!?」

「何も聞こえないぞぉー!!」




 廊下の奥から聞こえ、段々と近付いてくるその声が、



 まるで一筋の光明のように思えた。




「とうちゃーく! 確かここだったよね、リーシャの控室!」

「というかそもそもまだ部屋に……え」


「……リーシャ? え、リーシャ……?」

「……泣いてる? ねえ泣いてるの? 何があったの……?」





 持ってきた差し入れのお菓子を、ギネヴィアとカタリナに預け、



 自分に駆け寄ってきたエリスを、



 抱き締めた後に薄氷が砕け散る。






「う……うあああああああああああ……!!!」


「エリスっ……!!! 助けて、助けて、助けて……!!!」


「私、どうすればいいの、一体何をすればいいの……!!!」






 友人達が困惑するのも気にも留めず、心のままに泣き叫ぶ――

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