楽しいことばかりしているから、予定の五日間はあっという間に過ぎてしまった。
夏の朝日に後ろ髪を引かれ、それでも彼らは冒険に赴く。
「さあ、もう一度準備物の確認だ」
「そりはいつでも取り出せます!」
「地図に羅針盤も用意した。方角には迷わないぞ」
「燃料の魔力結晶も大盛りだぜー!」
「食料もがっちりよ。緊急用の真水製造法も、メモに書いといた!」
「野営を想定した天幕と着替えも持てるだけ準備~」
「あと肝心の、ノートにペンにスケッチ帳。当初の目的忘れないでよアナタ達」
一つ一つ取り出しながら、全員の目で確認する一行。入念にしておくに越したことはない。
「よし……準備はいいな。何時でも出立できる」
「じゃああとは仕上げだ。お父さんとお母さんに挨拶してこよう」
「呼ばれたので来ました」
「わあっ! ……見てたの!?」
高笑いをするユーリスとジョージ。その横でエリシアとクロは、旅立つ子供達をどこか心配そうに見つめる。
「いい、絶対に無理しないで頂戴ね。私は皆が無事に帰ってきてくれれば、調査が失敗に終わっても全然平気よ」
「ここん所は物騒だから本当に気を付けるんだにゃー」
「戻ってきたら課題は散々たる結果になるだろうけどね。でもまっ、命があればどうとでもなるなる。気楽に行っておいで!」
「何なら俺達で代理やってやっからよ。がっはっは!」
「ありがとう。お父さんにお母さん、ジョージにクロも……」
少しだけ寂しくなってしまったエリス。
けれどもそんな気持ちを振り払うように、顔を上げて友人達に呼びかける。
「よし、行こうか! 村の入口まで案内するね!」
「頼むエリス、この村のこと一番詳しいのお前だからな」
「よっしゃー!! ワクワクしてきたぜー!!!」
「だからといって叫ばないの、クラリア!」
賑やかな友人達と坂を下りていく娘の姿は、どんどん小さくなっていく。
話し声も。すらっとした長髪も。愛くるしい笑顔も。何もかもが小さくなって、最後には見えなくなる。
自分の手から何かが零れ落ちていく感覚を、微かに覚えたのだった。
「……これが成長するってことなんだなあ」
「おっと、おセンチかい我が主君様よ」
「かもなあ。あの子だって……あと二年ぐらいで成人か」
「月日が流れるのは早いにゃー。あの時から十六年……にゃ」
「……」
「……行くのね、あなた」
「行くには行くけど、先ずは準備だ。道具を取りに行ってくる」
「いってらっしゃい。私は待っているわ」
エリス達はアヴァロン村の正門から、大勢の村人達の見送り付きで出ていき――
そうした彼らの姿も見えなくなった所で、件のそりを呼び出す。
「よっこらせんべい。ふー、わたしの一仕事終わりぃ」
「ひとまずはお疲れ様ー。さーて乗り込めー」
そりの方向を制御できる機構。その正面にアーサーが座る以外は、適当に乗り込む。
「貴様はカヴァスに乗り慣れているからな。この中では運転技術は最も高いだろう」
「ああ、だがそっちも手伝ってくれよ?」
「勿論だ……事故を起こしてしまっては話にならん」
全員の準備が整った所で、ヴィクトールは地図を取り出しつつ行程を確認する。
「先ずは六時間程度かけて進むぞ。で、そこまで行くとニアーチェスターという町があるから、そこに一旦停泊だ」
「ウィンチェスターに近いからニアーチェスターって、ネーミングよ」
「町の命名なぞそのようなものだ。そこで休息を取ったら、一時間弱でウィンチェスターに向かう」
「まさに旅とか冒険って感じの行程でぎぃちゃんはわくわくが止まりませんぞ!」
「くれぐれも楽しみすぎてそりを揺らさないようにな」
「よし、では貴様のペースで発進しろ」
「了解――」
『加速』の術式が込められた魔力球に触れ、そこに自分の魔力を流し込む。
ゆったりと流したからゆっくりとそりは動き出す。おおっと一同から感激の声が漏れた。
「う、動いてる……しかもかなりスマートに」
「まだまだ加速していくからなー。お前らは周囲の監視、頼んだぞ」
「任せてよ」
徐々に勢い付いていくそり。それを追うように飛び出る影が。
「早速お出まし、えーと……スライムだ」
「でっかいヤツねえ。ワタシがどうにかしてあげるわよ。幻想曲と共に有り、高潔たる光の神よっと」
サラが粗雑に魔弾を放つと、液体状の魔物はそりを喰らう前に爆散していった。
「先生さっすがー!」
「ふう……いい、特に魔術戦出場組。アナタ達は神誓呪文の復習をばっちりしておきなさいよ。今後必要になることなんだから」
「へいへい肝に銘じまー!」
「あたしも訓練しないとなあ。うーん……考えることが多いっ!」
「今はそんなこと忘れて、風を楽しむといいさ」
アーサーはそりの操作に慣れてきたようで、片手で魔力球を操っている。
細かい進行方向の変更はできず、二つの魔力球で左右を調整するだけ。融通が利かない分を事前の予測で対処しておけば、あとは気楽なものだ。
天気は快晴、雲は僅かに浮かぶだけ。太陽も鳥も自分達の冒険を見下ろして、すれ違い様に挨拶をしてくるよう。
盛夏に緑は生い茂り、生きる命の全てが天に仰ぐ。
「次は……左に十五度ずらせ。森に衝突する」
「はいよ」
心地良く疾走するそりは、踝程度の高さの草が生い茂る草原に突入。
下部の刃が丁度覆い隠されて見えなくなる。爽快に草を掻き分けていく様はついつい見惚れてしまうものだ。
「ひゃー! 気持ちいいー!」
「この吹き抜ける感じ。たまらないわねえ」
「草の匂いもいい感じ……ん?」
何者かの気配を感じて、エリスはそりの縁からひょっこり顔を出す。
それに反応するかのように、草の中から飛び出る小さな影。
「わっ……!」
勢い余ってそれは衝突しそうになる。しかし持ち前の身体能力を発揮し、
そりの上を飛ぶように舞い、反対側に着地してみせた。
その際に一瞬見えた姿形は、艶めいた鈍色をしていて、口先はやや細くて目と思われる部分はへこんでいる。
総じて愛くるしいという印象を覚えざるを得ないそれは――
「草イルカ……! 生で見るの初めて!」
「こういう草むらに隠れるようにして棲んでいるんだっけ。人前に出てくることは殆どない」
「でも高速で動いている物体を見ると、こうして集ってくるのよねえ」
「ねえ、きゅーきゅー鳴いてるよ! 仲間が増えるんじゃない!?」
興奮気味のリーシャの予想通り、草イルカと思われる影は次々と数を増やしていき――
そりが疾走するのを囲うように、或いは歓迎するように。周囲を同じ速度で並行し、草むらの中を泳いでいく。
「はは……こりゃあ壮観だ。思わず目を奪われてしまうよ」
「貴様、余所見の操作は死を招くのだぞ。理解しているのか」
「冗談だよ、わかってるって。後ろの方々よ、オレの代わりに楽しんでくれ」
「……昔の人は草イルカが泳ぐ姿を見て、遠い海を連想して楽しんでたんだよね。古典文学の授業に出てきた」
「そうだ、そうだよ。こいつらに集られると海にいるような気分になれるんだ。転じて風を象徴する動物にもなってんだよ」
やや食い気味に割り込んできたハンス。彼の状態をカタリナが確認すると、
何といつの間にか、彼はその手に洋梨のような楽器、リュートを握っているではありませんか。
「え、あ、ハンス……?」
「何だよ! おい、古典文学でやっただろう? 草イルカは音楽が大好物なんだ! こうしてなあ、狩人が戯れに奏でた音楽に釣られてやってきて、そうしていると風と空との大合奏が始まってなあ――」
多分カタリナが突っ込みたいのはそこではない、とリュートの存在を確認した誰もが思う。
「おい! イザーク!! パーカッション何かやれ!!! ギターは出すなよ、あんな喧しい音色は逆に怖がらせてしまう!!!」
「いや最初から出す気はありませんけどまさかのご指名!?」
「ぼくが演奏するからてめえは合わせろ!!!」
返事を待たずに彼は爪弾く――
――『進み変わるこの世界で』
――『何をいつも探しているの?』
「わあ、普通に上手い」
「それも貴族の嗜みってやつですかハンスさぁん」
『それは君は今すぐに』
『探さないといけないのか?』
「草イルカ達も嬉しそうにしているぜー!」
「まるでロビン・フッドの冒険譚の一節のようだな」
『それもこれも捨ててしまって』
『空を雲を見上げてみようよ』
「ん? ロビン・フッドだってクラリスちゃん!?」
「顔面を寄せないでくれギネヴィア……風魔法を用いて草原を駆るロビンが、駆け付けてきた草イルカ達に感謝の表明として旋律を奏でた。そんなエピソードがあったはずだ」
「そうか……そうなのか!」
『地平の彼方に向かって――歌おう』
「ギネヴィア、すっごい腑に落ちた表情してる」
「だって実際落ちたからね! そういうことなんだ!」
「どういうことなのかこっちはさっぱりだよ」
「秘密ー! だよ!」
『この日この時この場所
感じ思う世界全て』
『刹那我等に宿りて
去り行く風と転じて』
『追憶すらも置き去って
感情でさえも止められない』
『衝動風に溶かして』――
「――奴め、すっかり上機嫌だな」
「音楽詳しいんじゃないか。魔法音楽じゃなくても、普通の音楽部にも入れるんじゃないか?」
「誰かと協調して旋律を奏でるのは、恐らく奴の性分ではないだろう」
ヴィクトールが後ろをちらっと見ると、イザークがハンスに振り回されているのが確認できた。
「そう!! そうだよ!! 普通に手拍子でいいんだよセンスあるじゃん!!」
「ひぃ~オマエ色々オーダーしすぎぃ!!! ここぞとばかりに来たなあ!!!」
「~」
「サイリィすまんな!!! コイツが色々うるせーから、無理言って出てもらって……!!!」
先程から妙にそりが揺れている気がしたが、それはサイリが出ていたからかと納得したアーサー。
「イザークの奴……いや、この場合はハンスか」
「奴がここまで嬉しそうにしているのを俺は見たことがない」
「そうか? ちょっかい出してる時とか結構楽しそうだけどな」
「心の底から、を付け忘れていたな」
再度振り返ってみると、彼は心の底からを体現しているように口を回らせていた。
「すごーい! ハンス、上手だー! おれ、感動ー!」
「そうか、そうかそうかそうか!? ははっ!! これはロビン・フッドの詩の一つだ!! ロビンは実際にリュートを弾きながら歌ったんだよ!!!」
「そうなのかー!! あのエルフの英雄、ロビン・フッドの詩なのかー!!」
「そうだよそうなんだよ!! 全てのエルフの始祖、ロビン・フッドの詩だ!!」
「あーそーなのー!!! 寛雅たる女神の血族に目の敵にされている弓使い、ロビン・フッドの詩なのねー!!!」
「そうだよー!!! アルトリオスのクソ野郎よりも勇猛果敢な、颶風の射手ロビン・フッドの詩だー!!!」
アーサーとヴィクトールは、互いに眉を引き攣らせ、唖然茫然とした表情で顔を見合わせる。
「ああ……サラの奴、ここぞとばかりの言葉選びがな……本当に奴は頭が切れる」
「……皆何も言わないけど、いいのか?」
「落ち着いたら問い詰めよう……今は調子に乗らせておけ。妨害したら後で何をされるかわかったものではない」
「それはまあ……同意だ」
そんな懸念とか、彼の発言の内容とかはさておいて。
この演奏はとてもいいものだ。軽快な音色に壮大な歌詞が見事なまでに折り重なり、冒険の臨場感を高めてくれる。
「ふんふんふん……思わず口ずさみたくなるな」
「非常に憎たらしいが全くもって同意だ」
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