「只今戻りましたよーっと……」
ヴァイオレットがそう言って、革命軍の本部に足を踏み入れた刹那――
「遅い!!!」
「っ……」
怒号と共に衝撃波が飛んでくる。
「おおーっと……カストル様。現在お怒りですか?」
「怒っている? 当然だろう! お前がいないからだ!」
文字通り顔が真っ赤になって、カストルは怒り散らしている。これもアスラの影響が、図らずしも出てしまっているからだとヴァイオレットは知っていた。
「いやでも、偶には俺にも休暇をくださいって言って、俺は優しいからって許可くれたじゃないですか」
「許可だと? いつ出した! 俺の記憶にないぞ!」
「あ~……」
アスラの影響が記憶領域にも出ているのか、怒りに我を忘れているのか。
この場をあやすことで精一杯で、それを考察している余地はない。
「お前は、お前は、お前はお前はお前は本当に……!!! ああ!!!」
「何でしょう?」
「……いや、落ち着け、落ち着け、俺、すぅ、はぁ、すぅ、はぁ」
謎に自問自答を繰り返して、どうやら本当に落ち着いたようだ。
「……俺は部屋に戻る。そして寝る」
「それがいいと思いますよ。疲れた時は脳を休めるのが一番手っ取り早いです」
「俺は一番早い選択肢を選んだ。天才だ!」
「そうですね……」
こうして戻ってきてから、休む間もなく仕事は始まる。自分の仕事は宮廷画家、絵を描くのが務め。では絵を描いていない時は何をするかと言うと、カストルの世話係である。
話し相手から始まり、次の行動の指示を行い、事あるごとにおだてて、最近では寝床にまで同行するようになっていた。そろそろ用を足すのにもついていかないと駄目かもしれない、と最近は思い始めてきた。
彼は自分の身の回りの世話は自分に放り投げてくる癖に、自分が休憩しようとするとサボりだと言って怒る。怒ると下手したら周囲が崩壊しかねないので何とか機嫌を宥める。しかしやっぱり休憩はほしいので沼の者秘伝の技とかで合間を無理矢理縫っているのが現状だ。
「はぁ~……今日も空気が美味いっと」
そして今日も、カストルが昼寝をしている間に、こうしてこっそり革命軍本部の外に出て、一息ついていた。
「加えて……今日はこれも美味い」
懐に忍ばせておいた、小さな麻袋を取り出す。
そこにはぼろぼろになった布地からは想像もつかない、丁寧にお高く包まれた個包装が大量に。カタリナから貰ったチョコレート、それも既製品の方である。
手作りの方は日持ちしない為早々に味わったので、日持ちする方はこうしておやつに持ってきたのだ。
「苺、ビター、ミルク、グリーンティー……何から食べ、うわっと!」
突風が吹いたので、持っていた幾つかのチョコレートが落ちてしまう。
あわや地面に着いてしまうと思いきや――
「……えっ?」
何処に潜んでいたのか、彼は鼠のように這い出てきて、
そしてチョコレートを、地面に落ちる前に、両手でスライディングキャッチ。
「……」
「……画家殿!!! これはもう自分の物なので!!! 今更お返しはしませんからね!!!」
「ま、まあ、それはいいんだが……」
「わかります、わかるんですよ、これは美味しい物だ……」
緑と黄土色の迷彩が特徴的な、革命軍の制服に身を包んだ彼は、涙を零してチョコレートを口に放り込む。
「……昔乞食行為をしていたのか?」
「何でわかるんですか!?」
「見ただけで美味しいとわかるなら、まあそれぐらいの経験はしているだろう」
「画家殿……頭がいいですね……」
「勝手に感動している所すまないが……いつぐらいから目を付けていた?」
「画家殿がここに向かった時からです! やけに腰がふてぶてしくて、その上甘い匂いも微かにして……」
「色々感じ取っていたんだな……一流の乞食じゃないか」
すると二人の会話を聞き付けたのか、別の男が二人やってくる。
「お、お前何盛り上がってんだよ……あっ」
「かしこまる必要はない、休憩時間なんだから。して、何用かな」
「いや、こっちが騒がしかったから、行ってみたら画家殿が……」
「あ……それ……」
細身の男が、ヴァイオレットが手にしたチョコレートを指差して。
「ぼ、僕それ知ってます……愛と感謝の祭日、ですよね!」
「……そうだな、よく知っていた」
「うわあ、うわあ……! 本物だ、本物のチョコレートだ……!」
「お前にとってのチョコレートは、こうも騒ぎ立てる程の物なのか」
「僕、美味しい物は絵本でしか見たことなくて……『森の者』の中でも、沼ギリギリの貧しい家でしたから……」
すると一緒に来た男と、乞食をしていた男が勢いよく立ち上がる。
「お、おらは『川の者』だぞ!! でもチョコレートなんて始めて見た!!」
「俺だって川の者、商店の息子だった……! でも王家に金を巻き上げられて、結局生活も立ちいかなくなって、乞食する方が収入より多くなって……!!」
「不幸自慢は止せ。終わったことを嘆いても、何にもならない――」
ヴァイオレットは持っていたチョコレートを、全部懐から出す。
「手持ちはこれで全部だ。三人で食べていいぞ」
「……」
「……」
「……」
「……直ぐに飛びつくと思ったんだが」
「いやだって……それは画家殿の……」
「画家殿が食べるべき物であって、僕達が食べられる物じゃないです……」
「俺は食べたぞ!! 美味かった!!」
「あんたには恥というもんがねえのが!!」
「いや、是非とも食べてほしい。これは高級店のチョコレートだから、色々飛び出る程美味い」
「……それに、俺の分はもう食べてしまったからな」
流石にそう言われると、説得されざるを得ない。
三人それぞれ、改めてチョコレートを手にする。
「うまい……うますぎる……」
「まるで、身体に染み渡っていくようだ……」
「なあ画家殿、これ革命軍のメシよりも美味いぞ。何処で貰ったんだ?」
「……少し用事があって、グレイスウィルに行った。その時にだ」
「ああそうだ! 愛と感謝の祭日って、女性が男性にチョコレートを贈るんですよ! 誰から貰ったんですか!」
「……」
話すか話さないか迷った後に――
話すことにした。
「……俺が小さい頃から可愛がっていた、妹のような奴からだ」
「小さい頃から……」
「訳あって今は離れてしまっているがな……でも手紙をくれれば、再び会えるぐらいの関係性は取り戻した。それでこの間行ってみたら、貰ったんだ」
「おしゃれですねえ、おしゃれですねえ、その女の……子?」
「子供だな、俺の七つ年下で十五歳だ。なのにさ……」
尻すぼみになっていく言葉を三人は聞き逃さない。
「ねえねえ画家殿、もうかれこれ六年ぐらい一緒にやっていってるでねえですかあ。ちょっとは浮かれた話も教えてくれても、いいんじゃないですかあ」
「僕は二年ですけどね……」
「俺は三年!!」
「事ある毎に張り合おうとするの止めろ。そうだな、うーん……」
これは更に話していいか迷うこと。
でも、何も関係のない彼等にこそ、話してもいいかと思えた。
「……プロポーズされたんだよ。将来は俺の嫁になりたいって」
「「「おお~!!!」」」
「……拍手までどうも」
「いやだって! そういう話一切ないですもんここ!」
「久々の浮かれた話だ……! ネタにしないと!」
「カストルの耳に入ったら不味いから止めてほしいな……」
「ちきしょ~!! あのクソイカレ上司め~!!」
どうやらチョコレートを食べて気分が高揚している模様。
「それで画家殿、結局どうするんですか? プロポーズ、受けるんですか?」
「そもそもまだ十五歳なのに告白するって、ただもんじゃねえなその子!」
「ああ、確かに只者ではないよ。あの子は色々覚えが早くてね……それ故に繊細だった。だから放っておけなくて、可愛がっていたのもあるんだが……」
「いい話だぁ~!!」
「待て、そろそろ声が大きいぞ」
適度に諫めながらも話は進む。
「だからこそ思うのは、きっとあの子は本気だ。真面目に決意を固めている。そういうのもあって……少し、臆病になっているのかな」
「……画家殿が?」
「ああそうだ、俺は今まで飄々とした態度しか見せていなかったから、そんなこと思うのかと思っただろ?」
「正直、言うと……はい」
「でも俺も人間である以上、思うことはあるんだ……俺なんかが、あの子の夫になっていいのか。一度あの子を捨てて行方知れずになった、俺なんかが……」
ばーんと訛りの強い男が、骨を折らんとばかりにヴァイオレットの背中を叩く。
「痛いな……!! ちょっとは加減しろよ!!」
「画家殿ぉ!! おめえさんじゃねえと!! おめえさんじゃねえと駄目だぁ!!」
「……は」
「真面目に自分を選んでくれたって思うなら、自分にはそれだけの価値があるって自信持たねえと!! でねえとおめえさんを選んだっつーその子をも否定してしまうことになる!!」
「……」
「ぼ、僕もプロポーズ受け入れた方がいいと思います……余程怖い女の子とかじゃないなら!!」
「俺は恋愛のこととかわかんねえから、画家殿の本心に従えばいいと思う!!」
「……」
「……全く」
軍の中でも、国外でも、それこそイングレンスの世界の殆どからも。
一兵卒とか一般兵士とか、言われる彼等にも信条があるのだ。
「……ありがとう。くだらない話だと一蹴してくれなくて。お陰で……少し、決断できそうだ」
「それはよかった!!」
「チョコレートのお礼にはなりましたかな!!」
「うっはっは……!!」
流石にそろそろ、チョコレートの魔法も解けてくる頃合いだ。
雑談の内容も悲壮な物に移っていく。
「俺……革命軍に入った理由って。それこそ、皆が平等にチョコレートを食える国にしたくて……でも実際は、そうじゃなくって……」
「現状は昔の王侯貴族が、革命軍に置き換わっただけだ。格差問題は何一つ解決していない」
「ヘルヴォーダンとその手下共をぶっ潰せば、皆が愛と感謝の祭日に騒げると思ったのになあ。でも、今度は違う敵が出てきてなあ」
「革命軍に対抗する勢力、魔術大麻に狂った人々……だが彼等だって、生きている生命だ」
「……無理なんでしょうか? こんな、軍事力だけ持っている連中なんかに、世界は変えられないのでしょうか? そもそも、世界を変えることそのものが、夢物語なのでしょうか?」
「……それは違う、断言する」
個包装のゴミを全員から受け取り、決然と。
「……さっき言ったグレイスウィルに行った理由。それは世界を変える足掛かりの構築なんだ」
「革命軍が泥沼化しているのは、軍事力だけで押し通そうとしているから……でもあの子がしようとしていることは違う」
「暴力による解決じゃない、もっと根本的な問題に、あの子は立ち向かっていこうとしているんだ」
三人の方に振り向いて。
「……皆も楽しみにしているといい」
「夜に生きる魔女が、もうじき昼下がりの茶会を始める――」
そう言った後に、
彼等の表情が、酷く恐れていることに気付いた。
「……どうした?」
「あ……あ……」
「画家殿……う、後ろ……」
「……?」
振り向くとそこには、
確かに彼等が恐怖する理由があった。
「……」
「おや……カストル様。随分とお早いお目覚めで……」
三人はヴァイオレットの背中に隠れ、逆鱗に触れないように震え上がっている。
唯一ヴァイオレットだけが、彼と冷静に対峙できる。有事の際には刃を向ける気概を持つ彼だけが。
「……」
「もう単刀直入に聞きますよ。今の話、聞いてました?」
「……」
「カストル様。寝起きで頭が回っていませんかね。それとも夢遊病でこちらにいらしたのですか」
「……」
「どちらなのかお答え願います。ああでも夢遊病なら答えられませんね。あはは――」
「……」
「……俺……は……」
「俺は……!!!」
「チョコレートを一個も貰っていない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「……はい?」
大地を揺らし、建物の一部を破壊し、それ程までに叫んだことがそれだ。
次に頭を掻き毟り、勝手に独り言を繰り出す。
「俺は何の個性もない!!!!!だから誰も見向きもしない!!!!!いつもチョコレートを貰うのは街で一番の誰か!!!!!俺は一番じゃない!!!!!俺は貰えない!!!!!でも俺は貰いたかった!!!!!手作りチョコレートを食べたかった!!!!!でも誰もくれなかった!!!!!周りが一番だから!!!!!俺が目立たない!!!!!全部あいつらのせいだ!!!!!」
「ちくしょう……ちくしょう、チクショウ、畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生!!!!!」
「沼の癖にっ……!!!!!俺より底辺なお前が、何でチョコレートを貰ってるんだ!!!!!沼の癖に!!!!!どうして沼より、森より川より天より偉い俺が、チョコレートを貰えないんだ!!!!!沼の癖に……黙って俺に従っていればいいのに!!!!!お前は、生意気だ!!!!!!!!!!!!!」
その言葉の意味を、問うてみる前に、
カストルは泣きそうな声で、耳の穴に指を突っ込み、何処かに向かってしまう。
「……」
「……追わなくて、いいんすか……?」
「いや、今はいい……どうせ他の誰かが確保してくれるだろう……」
「あの、画家殿……沼って……」
「実はさっきの会話の中で言おうと思っていたんだ……俺は沼の者だ」
「……そうですか。それなら、色々納得がいきます」
「沼の者だったらカストル様とも渡り合えっからな……」
「強者の余裕ってやつか。かっこいいな……」
「……皆は、俺のことを馬鹿にしないのか」
「そんなの、今更ですよ。だって画家殿にこうして助けられて、チョコレートも貰いましたもん」
「寧ろ今になっても身分を持ち出すあいつの方が……」
「……今ので、少し見えましたよね。カストル様の本性……」
「……」
口に入ってしまえば、理想も身分も皆一緒。
されど味を受け取る解釈は、人それぞれだ。
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