「カストル様。先程から一言も発されていませんが、どうされました?」
「……」
「貴女様の美貌に酔いしれてしまっているのですよ。何分女好きなものでして」
「まあそのような。い~い肌してるでしょう? 手入れは一日たりとも欠かしたことがないのよ~? うふっ♪」
紫の森に続く、ケルヴィンクロンダインその他諸地域共同の詰所――
今そこは、時が巻き戻ったような厳かな雰囲気が包み込んでいた。
「……」
「まあ、今度は瞼をピクピクさせて。本当にどうされたの? 普段はとてもとても信念に満ち溢れた、パワフルなお方だと聞いているのに」
「緊張のしすぎですねえ、これは。少しお薬を処方致しますので、席を外しますよ」
カストルの後ろに控えていた、革命軍の兵士に指示を出す。
そんなことをしていたのは他ならぬヴァイオレットであった。
彼らに担がれ、カストルはやってきた馬車に乗り込まされる。部屋にはエリザベスとヘンリーだけが残された。
すると時の仮面は剥がされ、本性だけが残るわけだ。
「……あのヴァイオレットって男、中々やるわね。カストルはバリバリビビってたのに」
「沼の者らしいですよ?」
「ああ、あの暗殺一族。そりゃあ肝も据わっていて当然ね」
「流石に緊張……というより、こちらの出方を窺っているようでしたが」
「沼の者は学園にも行けない貧乏の集まり。私のことについて知っているのかしら?」
「カストル殿に仕えていれば自ずと知れるのでは?」
「ああ~確かに。仮にそうだとしてもああして飄々としていられるのは、やっぱり訓練の賜物ねえ……敵にすると厄介」
「ですが味方にはならなさそうですよね」
「じゃあなるべく早急に潰すまでよ。私は優しいから泳がせてあげてるけど」
きょろきょろと部屋の中を見回す。最低限の家具しか置かれていないことに気付くと、エリザベスはヘンリーに指示を出した。
「適当な駐屯兵脅して、ヘソクリの酒持ってこさせて頂戴。こんな辺境だもの、そういうのあるでしょ」
「かしこまりました」
「あとヴィルヘルムも探してこい。連中の計画について進捗でも訊こうか」
「直ちに」
一方の馬車の中。
「うっ うううっ あああああああっ」
「大丈夫ですよカストル様……もう少しの辛抱ですからね……」
マッサージで呼吸を安定させながら、薬――魔術大麻『アスラ』を、液状にした物を飲ませていく。
「画家殿、今の状態は……」
「恐らく『マイナス』だなあ。陰鬱な性格が表に出ている状態で、エリザベス・ピュリアと来たもんだ。思考が止まるのも無理はない」
「……千年前に死んだはずでは。しかし、偽物という可能性も……」
「あいつから出ているオーラとでも言うのかな。凄まじいものがある、只者じゃないぞ。人間の寿命を超えた年月を生きていかないと、あそこまでの覇気は有り得ない」
「そ、そうですよね……自分は、呼吸をするのも精一杯でした……」
「俺も……流石にちょっと参った」
「うっ」
ゴボゴボと息を吹き返すカストル。
それを見て安堵する一同。
「……こ、ここは何処なんですか」
「馬車の中です」
「ヴィルヘルム殿は何処ですか」
「詰所の何処かにはいらっしゃると思いますよ」
「そ、そうですかえーと……娘です」
「……娘」
「し、四月ぐらいにアグラヴェイン殿から。教えていただきましたあの娘です。赤髪に緑の瞳の娘捕える。願い叶う革命軍アグラヴェイン殿」
「……」
それが目的かと納得する兵士達。ヴァイオレットだけは不味いことになったと内心で思う。
「画家殿……?」
「……ああ、何でもない。そうだな……俺、この状況外してもいい?」
「ど、どこ行く許さないお前。お前お前お前 」
持っていた薬草を強引に口に含ませる。
「……貴方は暫く休養が必要です。この睡眠薬で、どうか休んでくださいね」
彼がカストルに対して、こういった強引な行動に出ることは滅多にない。
故に兵士達に動揺走る。
「ち、近いんですか?」
「何がだ?」
「おしっこ……」
「……数時間は目覚めない。仮に目覚めたら連絡寄越せ。俺がいなかったらまあ……エリザベスに目を付けられないように動いてくれ」
詰所には相も変わらず張り詰めた雰囲気が流れている。
早く帰ってくれと思っているか、あれは本人なのかと疑っているか。
いずれにしても、人知を超えた者に触れてしまった恐怖が、ひしひしと感じられる。
「さぁ~て、赤い髪に緑の瞳……」
カムランから渡された人相書を、カストルが喜んで見せてくれたことがある。
その絵に描かれた少女は、見覚えのある顔付きをしていた。
「あれ絶対エリスだよなあ……だとしたら見過ごせない。カタリナの為にもね……」
「その為に何ができるか情報を……っと」
先程までいた小屋の中で、エリザベスとヴィルヘルムが会話をしている。
耳を張り付け全てを溶かす。身体は周囲に、気配は風に。
「まさか貴方がこぉんな酒を持ってきていたなんてねえ……ひっく」
「……それは私のグラスですが」
「はぁ? いいじゃないあんたには過ぎた代物よ。話は聞いているわ、味覚障害なんですってねえ?」
「……」
「なのに酒に拘るとか、そんなの全く持って無駄足じゃない。酒だって可哀想よ。それを私が飲んでやってるんだから、感謝なさ~い?」
「……」
「ホンット、昔からあんた達はそう。人生捧げてもなお使命だか何だかの為に使われ動かされる。愚かだけど認めてはあげるわ~。だってそのお陰で私今ここにいるんだもの。ういっく」
「……私が食事に執着しているのは、その伝統に抗う為でもあります」
「抗ってどうにかなるのかしらねえ。だって、もうじき『完成』するんでしょ?」
「……」
「いやーまさか私の復活と同時期になるなんてねえ。これもまた女神の意志ってやつかしら……キャハァ♪ 例のガキに伝えておいてよ? もしも君臨したら聖教会は見逃せって」
「それは存分に……」
「うっしうっしよろしい……カッカッカ……」
(……っと)
開いた窓から鳥が一羽入ってくる。
それは伝書鳩であった。
「手紙が……「何々私に読ませてぇ!!!」
「……なりません、幾ら貴女様であろうとも。これは個人的な内容です故」
鳩の足に巻き付けた手紙を外し、ヴィルヘルムは早急に懐に入れる。
「見せろよ!!! 立場は私の方が偉いだろ!!!」
「領地に戻った時の夕食は何にするか事細かく書かれているのです」
「だったら益々気になるなぁ!!! 何も感じないテメエの口で何食っているかなぁ!!!」
「……こちらに持ってきた酒は全て献上致します。なのでこれにて失礼します」
「オイィィィィ!?!? 何逃げようとしてんだぁ!?!? そうはいかねえいかねえからなぁ!?!? さっさとその中身見せろやぁボケナスがぁ!!!!!!!!!!!!!!」
(これは……援護が必要かなっ!)
煙幕を十個程度取り出し、闇雲に地面に叩き付ける。
「げほっ!!!!! おえええええええええええええ!!!!!」
当然あの沼が湛えた毒が混じっているので、吸おうものなら只ではいかない。
「……!」
突然現れた霧に戸惑ったのも一瞬。
ヴィルヘルムはその場を立ち去っていった。
そして彼が、自分が待機している小屋までやってきた後に――
「こんにちはっと」
「君は……カストル殿の」
「クロンダイン革命軍指導者カストル専属画家、ヴァイオレットですよ。以後お見知りおきを」
「……先程の霧は、もしかして君が?」
「ええ。あの女の情報を得ようと立ち聞きしていたんです。すると貴方が困っていると来た」
「……用件は何だ。この手紙について知りたいのか?」
「まあその通り。夕食のメニューなんかではないのでしょう?」
「君に教える理由はない」
「ならば手札を開示しましょう。赤い髪に緑の瞳の少女、知ってます?」
途端にヴィルヘルムの顔色が変わる。ビンゴだ。
「……君は彼女とどういう関係だ?」
「俺が昔妹のように可愛がっていた子がいまして。その子の友達なんですよ。身内の友人だから助けたいというわけですね」
「助けるだと?」
「ウチのカストル様の目的が彼女なんです。カムランのやべえ奴に唆されて、彼女を手に入れると願いが叶うと。革命軍の願いがロクなもんじゃないって、貴方様もご存知でしょう? まあそれ以前に身内の友人ですから。大事なので二回言いましたよ?」
「……中に入れ。手紙を見せよう」
「ありがとうございます。それでは失礼しますよっと」
窓から小屋に入る。他より丈夫とはいえ、貧相なのには変わりない。
「にしても貴族様がこんな所に泊って、平気なんですか?」
「私は慣れているからな」
「それはお強いことで。で……」
「こちらだ」
ヴィルヘルムに身体を密着させる。誰にもバレないようにする為の配慮だ。
「これは……進行ルート。しかもこれ、紫の森じゃないですか」
「私の息子とその友人達が、訳あって中に進んでいてな。それでこれから戻る故、帰路を如何にするかという相談をしていたんだ」
「でも先程のエリザベス様の様子を見ていると、もう連絡は取れなさそうですよね」
「その通り、故にこれが最後だ。道順はこれで確定してもらって、夜にこちらに着くような時間に出てもらう」
「闇夜に紛れて逃げ帰ると」
「その通りだ。我々は……そういうことには長けている」
「よしよし……」
ここで周囲を確認する。気配は感じない。
「……先程言った通り、俺の知り合いが関与しているので。時間になったら俺も呼んでください、援護します」
「君の本来の立場はいいのか?」
「その気になればひょひょいっと移動できますので。万が一があっても、薬であいつは操れる」
「……実に不思議だな。君は彼に忠誠を誓っているように見えて、その実は誓っていない。だというのに彼のお気に入りにまで上り詰めている」
「趣味の絵描きが大層役に立ちましたよ」
それから偽装も兼ねて他愛のない会話をしてから、画家は静かにその場を去る。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!