耐え忍ぶだけの日々。耐え忍んでいたらあっという間に年の瀬は来る。十一月は十二月へと姿を変えるが、人の心は年の瀬を楽しめるような状況にはない。
ああでもそうだ、十二月は神が舞い降りになられる。その日だけは神々は地上に訪れて、大地の有様を謁見しに参られる。
もうこの状況をどうにかできるのは、創世の女神と偉大なる八の神々しかいないのかもしれない――
「間もなくアルブリアに到着致します……お乗りのお客様は忘れ物をなさらないように、お部屋を再度確認してください……繰り返します、間もなく……」
その船内音声を聞いたアストレアは、荷物を取りに部屋に向かう。
今乗っている船は少し安いので、客室は相席。そうして相席していた中年の女性が、くたびれた様子で話しかけてくる。
「もうすぐ着くねえ……」
「そうですね。長い船旅でした」
「……できるもんなら、ずっと船に揺られていたいんだがね」
「え?」
「何だお嬢ちゃん、話聞いてないのかい? 今のアルブリアは凄惨な有様だ。聖教会やキャメロットの連中が我が物顔で歩いて、騎士も魔術師も仕事してくれちゃあいねえ。強力な魔法で無理矢理従わせてるって話だ」
「……それでも、私は行かないといけませんから」
「何だっけ、お父さんがアルブリアに異動したんだっけ」
「ええ、前々から決まっていまして。私は父と二人暮らしなので、生活の都合も兼ねてやってきたのです」
「そうかい……決まっていたんなら、仕方ないねえ」
女性も自分の荷物を整え立ち上がる。
「……でもやばいと感じたら直ぐに逃げるんだよ。いいかい、今のあそこには狂気が渦巻いている……」
それだけを言い残して出ていった。
こうして港に降り立ったアストレア。第一階層の光景を一目見ただけでも、どことなく女性の言う通りだと感じられた。
「……お前にもわかるか。どことなく寂しげな雰囲気……」
アストレアが腰に差している鞘が光る。ナイトメアのヴァンだ。
「ええと……確か百合の塔だったか。ここから地上階まで……」
そこまで言いかけて、ある事実に気付く。
旧友にしてライバルであるリリアンの姿が見当たらないのだ。
手紙で到着時刻まで細かく通達した。彼女の方も、来たら学園まで案内すると文面からも伝わる程に意気込んでいた。
「まさか約束を忘れた……?」
とんでもない。彼女に限ってそんなことはあるものか。
しかし実際問題として彼女は来ていない。つまり――
「……忘れてしまうような、重大な事件があったということ」
「……行こう。この島の雰囲気を探りながら、ゆっくりとな……」
こうしてアストレアは、重い荷物を物ともせずに、のんびり階層を昇っていく。
途中、第二階層。今後お世話になるであろう店を見学していこうと思い立ち寄った。
「……失礼しま……」
「誰だっ!!」
「……っ!?」
入った店の店員が、杖を構えてカウンターから顔を出す。その顔は完全に警戒しているようだった。
「い、いやその、私は客です! ここはケーキの店だって言うから、買って行こうと思って……!」
「客だぁ……?」
「あんた!! 何やってんだい!!」
奥から太めの女性が出てきて、その店員の頭をぽかりと殴る。
「入ってきたお客さんに向かって真っ先にするのがそれかい!!」
「いっでえ……だって、だって……」
「……余程深刻なことがあったのですね」
「ああお客さん……うん、正直言うとこの子の気持ちもわからなくはないんだよ……」
アストレアが事情を訊くと、二週間前に聖教会とキャメロットの魔術師達がやってきて、検問という名の略奪を行ったことを教えてくれた。
「……そんなことが」
「ああ……ここはまだいい方さ。こうして営業再開にまで漕ぎ付けられた。だが酷い所は他にちらほらと……特にカーセラムなんて徹底的にやられて……」
「っ……」
度々リリアンの手紙に書かれてあった、大衆食堂の名前だ。
「そういうわけだ。お客さんには悪いことをしたねえ……お詫びと言うつもりはないが、ケーキ一個おまけしとくよ」
「……ありがたく受け取ります」
第三階層。故郷であるエレナージュと違い、アルブリアには人工的に造られた森林が数多く散見される。緑が身近に感じられるという点も、アストレアがアルブリアに来るにあたって楽しみにしていたことの一つだ。
しかし緑に包まれようとも、住まう人々の顔は一向に浮かない。
「……何をしておられるのです?」
「ん? あんた……見慣れない顔だね。作物を燃やしているのを見るのは初めてかい?」
「……」
「いや儂らが慣れ切ってしまっただけか……そうだな、折角育てた作物を……」
白く燃える炎に、老人は土から掘り出した人参を投げ入れている。
その人参は、実の所々に不健康そうな黒い線が走っていた。
「今年はどうも土も空気も悪くてのう……作物が壊滅的なんじゃ。イズエルトの寒波には敵わないと思うが、新時代のグレイスウィルにおいては、一番酷い出来だ」
「これも聖教会やキャメロットが何か?」
「いや、流石に連中は何もしとらんじゃろう……自分達も食らう物なのに、わざわざ首を絞めるような真似をするとは思えん。儂が感じている所では、この島一帯を黒い気が包んで居る」
「黒……ですか」
「とはいえ黒魔法の直接的な影響ではない。抑圧され、弾圧され、日常が破壊されていった人々の暗い心情……それが集まって、段々と具現化してきておる。そう思うのじゃ……」
畑の奥から、老婆が皿を持ってやってきた。恐らくこの老人の妻だろう。
「お嬢さん、うちのじいさんの話に付き合ってくれてありがとうねえ。これ、少ないけどお礼さ。果実水を飲んで行ってくれ」
「では……いただきます」
「アルブリア産の美味しいオレンジ……と言いたいんだけどねえ。これはリネスから言い値で買い付けた、新鮮とは言えない果物が原料さ。それでも飲める分ましなんだけどね……」
第四階層。ウィングレー家の治める領地であるこの階層には、多くの魔術師達が居を構えている。アストレアの父も、ここに部屋を借りているとのことだったので、顔を出すことにした。
「おおアストレアか。わざわざ顔見せに来てくれてどうもな」
「いえいえ。あ、これ第二階層で買ったケーキ。あげるね」
「再びどうも。丁度スイーツでも食べたいと思っていた所だ」
父親もアストレアと同様に竜族であるが、眼鏡を着用しており知的な雰囲気を漂わせていた。
ガラティアの連中に遭ったら殺されるな、というのが口癖である。
「その……どうなんだ? 第四階層の様子は……」
「……未だに瓦礫が点在して、復興が遅れている。ウィングレー家は特に人手不足が深刻なようだ」
「確か夏頃に謎の襲撃を受けたと……」
「ルドミリア様がそれで倒られてしまって、今も療養中だ。決定的にな指導者がいないという現状も後を引いているのだろう」
「……」
「……大丈夫だ。他にもエレナージュから魔術師は来ている。ベルジュ殿下から直々に拝命されたんだ……絶対に、現状よりも良くしてやるさ。そういえば、リリアンちゃんには会ったのかい?」
「っ……それは……」
「……そうか。彼女にも何かが……」
「……まだ確信できてないけど……リリアンはいつだって明るい奴だ。そんな彼女に何かあったというのなら、想像以上にアルブリアが置かれている状況は最悪なんじゃないかって……」
「……アストレア。それを考えるのならば、一刻も早く会いに行ってやるべきだ。きっとリリアンちゃんもお前を待っている……」
「ああ……そうさせてもらうよ。じゃあね父さん、お達者で」
「達者でな。ペルーン神の御加護があらんことを……」
こうしてやっと地上階に出てきた。城下町の洒落た街並みも見回ろうかと考えたが、今は幼馴染の顔に気持ちが引っ張られていく。
日の光を受けてからまた暫く歩き、とうとう目的地の百合の塔に到着した。
今後自分の生活の拠点となる場所である。
「ここか……「そこの竜族!!! 止まれ!!!」
「……なっ」
大扉の前で塔を見上げていた所に、中から魔術師が数人出てきて取り囲んでくる。
「見慣れない顔だな? ここは外部の立ち入りを禁止しているはずだが?」
「わ、私は外部の者ではない! この度グレイスウィル魔法学園に転入してきた、アストレア・ドゥアンという者だ!」
「転入生……?」
魔術師達は一ヶ所に集まり、ひそひそ声で会話を始めた。
そんな話は聞いていないだの、お前が勝手にやったんだの、責任の押し付け合いが大半を占めていた。
「……仮にも学園を仕切っているのに、何も知らないのか……?」
あまりの体たらくに唖然としていると、知っていそうな人が出てきた。
「ごめんなさい! 私はビアンカ、今は生徒関係の取り纏めをしているの。転入生のアストレアさんね?」
「はい……その、今日からよろしくお願いします」
「うん、それじゃあ先ずは……今の魔法学園の現状をお話しましょう。こちらについてきて……」
それから応接室に通され、ビアンカから話をされた。
塔における基本事項から始まり、聖教会やキャメロットの人間に目を付けられるような、例えば悪口を言ったりといった行為は慎むように釘を何本も刺される。
守らなかった生徒は、全員学園の地下牢に送られたとのことで――
「うっ……ううっ……」
「あの……ハンカチ、どうぞ」
「ああ……ごめんなさい……」
話の途中で泣き出してしまったビアンカ。それだけ現状の変化を嘆いているのだろう。
「……ビアンカさん。お取込み中の所失礼します」
「何かしら……またトラブル……?」
「いえ……ここに入れてほしいって生徒が……あっ! 今確認取ってるから、まだ……!!」
その生徒を見た瞬間、アストレアの心を、
どうしてこうなってしまったのかと、疑問符が埋め尽くしていく。
「あ……あはは……来たんだ、アストレア……」
リリアンだった。ピンクの寝間着姿で、前に見た時よりも痩せてしまって、足が縺れて部屋に入ってすぐに転んだ。
顔だけは笑おうとしている中で、身体が命令に追い付いていないのだ。
「……お前……お前……!!」
「……し、仕方、ないよね……! だって、ずっと、前から、決まってた……」
「でも、でも……」
「何で、今来ちゃったの……?」
アストレアに抱き上げられた彼女は、乾いた笑いと共に涙を零し続ける。
「……リリアンちゃんはね。いつも仲良くしているお友達が死んだって告げられて、地下牢送りになって……それからずっと部屋に籠っちゃってたの」
「貴女のこともよく話してくれていたわ……きっと、昔のお友達だから、頑張って部屋を出てきてくれたのね」
「……こんな生徒ばかりよ、今は。私も同じことを思ってる……どうして、今、こんな状況の中で……」
説明が終わり、次は自分の部屋に荷物を運ぶ所だが。
その前にアストレアは噴水近くのベンチに座り、考えていた。
(……今のエレナージュは特需状態だ)
(ログレスが荒れ果てた中……被害を受けなかった砂漠地帯は、その支援を要請されて……金がどんどん入ってくる)
(裕福になる地域がある一方で……厳しい地域はこんなにも……)
格差に涙を零す中、
顔を上げると、一人の生徒を見かけた。
「……ん。あの子は……竜族?」
朱色のポニーテールが特徴的だった。角に尻尾、爪が生えているのを除けば。
その生徒は階段から降りてきて、暫くふらふらと歩いた所で、案の定倒れてしまった。勿論介抱に向かう。
「……大丈夫かい?」
「あ……ああ……」
倒れた生徒はアストレアを見上げる。
するとすぐに、目が涙に溺れていく。
「……どうしたんだ? 私で良ければ相談を聞くぞ。最も、ここに来てまだ半日も経ってないが……」
「……」
しかし生徒は立ち上がり、制服の袖で目を擦った。
「……失礼します」
そうして力強く、後も振り返らずに走っていった。
「……皆が皆追い込まれている」
「ヴァン……私はここで、何ができるだろうか……」
あの生徒が何者だったかはわからない。名前を訊くという手段もあっただろうが、急いでいたようだったので断られていただろう。
無力をその身に感じて、アストレアは移動を開始した。
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