歴史とは刹那の積み重ねだ。
どれだけ長く築かれてきた物であっても、たった一瞬の、一年にも一月にも一日にも満たない時間で、何もかもが崩れ去る。
そうして崩れ去った物事が人々の記憶に強く残り、後世に伝えなければと使命感を持った誰かによって語り継がれ、やがて歴史と呼ばれるのだ。
今回の事件も、その『刹那』であった――
「……あー」
「入っていいぞ……」
部屋の扉が叩かれたのに合わせて、冷やした紅茶のカップを机に置くヘルマン。
後ろから生徒が入ってくる。
「失礼しまーす……」
「失礼します」
「……失礼します」
「ちーっす」
「……エリス、アーサー、カタリナ、イザーク。四人だけか」
「はい……ギネヴィアは手伝いばかりで話聞いてくれませんでした」
「彼女らしい。いいよ、許す」
「本人にそう伝えます……それで、他の子は……疲れてて行けないって」
「……そうか」
昨晩――というより数時間前。巨人が闊歩していたあの状況で飛び出していった十一人が、ヘルマンに呼び出されていたのだが。
「……先生な。お前達のこと、こってり絞ってやろうって思ったんだよ。勝手に動かれると生命に関わるって。だけど――」
「……そんな顔付きで来られたら、何も言えないじゃないか……」
聖杯の加護はあくまでも致命傷になる傷を防ぐ為に付与されていた。細かい皮膚の火傷や、筋肉や関節の痛み等は、流石に防げていない。
学生服に着替えた四人にも、頬に絆創膏や包帯、消毒された傷の痕が所々目立っている。
「……二年生の時、臨海遠征であんなことがあって。三年生の時、血塗れで空から降ってきて」
「……もう運命なのかもしれんなあ。お前達は、そういう何かに巻き込まれる運命なのかもしれんなあ」
だけど、と言葉を切って彼は向き直る。
化粧の一切ない、化物かと思うようなガリガリに痩せた顔であった。それが普段より痩せて見えるのは気の所為ではないのだろう。
「四人は一組だから、俺と関わる機会はそんな多くないけど……どうか覚えててくれよ。関わる機会は多くなくても、自分達が思っている以上に心配してくれている人はいるんだ」
「皆は真面目だって知ってるから、不良行為で勝手に動いてるってことじゃないのはわかる。そしてそれはどうしてもやらないといけないことだ……」
「だから精々肝に銘じてくれ。お前達が死んでしまうことで悲しむ人は、お前達が思っている以上に多いんだ――」
涙ながらに訴えるヘルマン。
四人は何も言えず、歯痒さを噛み締めるしかなかった。
「おじさーん! これお持ちしますよー! 向こうの八百屋さんまでですねー!」
「そりゃどうもって言いたいけど、重いぞこれ!?」
「だいじょーぶでーす! 力だけはあるんでー! どりゃー!」
「うおおおおー!? き、気を付けろよー!?」
先の戦いではエリスの身体強化に徹していた為、自分の肉体の消耗が殆どなかったギネヴィア。
現状では割と貴重な肉体労働要員なので、自分から率先して街の人々の手伝いを行っていた。
「お持ちどう! こちらお待ちしました!!」
「逆になってるよお嬢ちゃん! あっはっは!」
「わっはっは!」
自分の明るさで誰かを元気付けられるなら、それ以上に喜ばしいことはない。
「んがっ……!?」
ないのだがぎっくり腰はそんなこと関係なく発症する。
「ああもう急に立ち上がるから……! ちょっと休憩なさい!」
「ぞう゛じま゛ずぅ゛……」
おばさんに貰った軟膏を患部に塗りたくる。
泣く泣く腰を労わってると、目の前を見慣れた顔が通り抜ける。
「ん……今のはルシュド君?」
「怪我とか疲れとか大丈夫なのかな……腰を痛めない範囲で追いかけよっと」
「……」
竜族の族長たる男ルイモンドは一人、寡黙に立ち尽くしていた。
元より表情を変えることが多くない性分で、何を考えているのかわかる者は少ない。
加えて現状は複雑だ。抱く感情もその分だけ絡み合う。
「ここにいたんだな」
鋭く、それでいて真っ直ぐな声。
振り向くと彼が――散々出来損ないと嘲っていた、息子のルシュドが。
屹然とそこに立ち尽くしていた。
「……」
「どいてくれないか。おれは姉ちゃんを迎えに来たんだ」
「ガルルルル……!!」
「竜族の言葉は使わない。今もそしてこれからも」
側近の竜族は目を見開き、そしてそのままルシュドを睨む。
昔怯えていたそれも、今は立ち向かえるようになっていた。
「……あたしが何だって?」
「グルゥ……」
「姉ちゃん。おれ、迎えに来た」
怪我が酷く、やっとのことで歩けるまでに回復したルカが、ゆっくりと近付いてくる。
それを拒もうと動き出す者達――
「チェシャぁ……」
「ニャウン……」
「ジャバウォック、止めろ」
「あいよ」
猫と竜が暴れ出し、規模は小さいものの小競り合いが起こる。
姉弟二人、何も言わない。少しだけそれを見送った後、静かに街の大通りに向かって歩き出す。
「グルルルルルル……ガアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!」
それは罵倒だったのか、懇願だったのか、脅迫だったのか。
もう声が遠くなってきた今では、その咆哮の意味を図り知ることはできない。
そして今後の未来において、咆哮に込められた複雑な感情は、いつか忘れてしまうのだろう。
きっと忘れてしまっていいのだ。だってこれからは、獣ではなく人の世界で生きていくのだから。
「……」
「……ふふん。見てました見てました……」
ルシュドが向かい、二人揃って出てきて、そしてギネヴィアが出迎えたのは、やや大きい館であった。恐らくガラティアからの客人はここに宿泊していたのだろう。
「あ……ギネヴィア」
「ん? 魔術訓練の時にいた子だな?」
「ギネヴィアです。ぎぃちゃんって呼んでくれると飛び跳ねて喜びます。好物はたぴおかです」
「ううーん、面白い子だ。話しながら歩かない?」
「いいですよー大歓迎です!」
「姉ちゃん、ギネヴィア、いい奴。おれ、保証する」
「そうだルシュド、後で姉ちゃんと一緒に改めて報告に行こう。自分は竜族でしたって。友達とか、先生とか、親しい人にさ」
「ん……おれ、それいいと思う。おれはもう隠さない、決意表明」
「かっこいいぞぉルシュド君! あとでたぴおかを奢ってあげよう!」
決意を撫でる優しい雨が降る。
「……そうか。それが顛末か」
「ああ……どうやらペリノアだかいう女は、一瞬にして消えたそうだ」
「こちらも魔力を抽出するのに夢中で気付かず……気付いたら逃げられていた。誠に面目ない」
宿のロビーの片隅で話すのは、アーサー、竜賢者、ケビンの三人。
姿こそは少年と中年と教師だが、内容は騎士王と円卓の騎士二人のものだ。
「ルシュドの奴えらく気にしててな……直接言うのは気まずいからって、俺に託してきたんだ」
「……その返答はオレが直接返した方がいいのかな」
「そうしてくれ。本人から気持ちを伝えられなきゃ一生気にするだろ」
「そうだな、あいつはそういう奴だ……真面目で真っ直ぐな、誇り高き戦士」
アーサーとガウェインは顔を見合わせて、ふっと笑う。
「……まさかあの時の子供がなあ」
「只のいぶし銀な中年だと思っていたのだが……」
「それであれだってな? そん時一緒にいた連れが、今はガールフレンドだって?」
「やめろよその言い方……」
話題を変えるようにアーサーはケイに振り向く。
「お前達で円卓の騎士に逢うのは四人目。半分だ」
「そのうち三人はアルブリアにいるのでご安心を。あと一人は……どうだか」
「ナイトメアである以上上手くやれてんだろ。俺もお前もそうだったからな」
胸を拳で叩くガウェイン。ケイもそれに頷く。
「ケイは……いつから教師をやっているんだ? どうしてグレイスウィルに?」
「魔術師として普通にやっていたところを、学園長に勧誘されてね。ずっと魔術の研究ばっかやるのもつまらなく思っていた頃だったから、当然のように乗ったよ」
「何だ、教師の癖して結構お茶目な所あるんだな」
「長年――それこそ百年単位で生きてくるとねえ。気持ちもすっかり丸くなるものさ」
百年という言葉に不思議な感覚を覚えていると、
視界に会いたいと思っていた人物が入る。
「……あ」
「おおルシュドか、アーサーが話あるってよ」
「え……」
「そんな思い詰めるな。何も怒ろうってことじゃないぞ――」
アーサーは立ち上がり、ギネヴィアとルカがはけた所を通って、ルシュドの前に立つ。
「……逃げられたって言ってもさ。先の戦いの目的は、あいつを倒すことじゃなかっただろ」
「巨人を止める為に必要だったから、妨害してきたからそれを止めること。巨人を止められた今、勝ったのはオレ達の方なんだ」
「……自信を持ってくれ。お前は最高の戦士だよ」
微笑みかけながら友人の肩を叩く。
「……ほらー! 言った通りだったでしょ! アーサーは優しいからひどいことは言わないって!」
「ルシュドは真面目だからなあ、そういうとこ気にしちゃうんだ!」
「うう……」
「何、こうして生きて帰ってこれただけでも及第点なんだ――」
どたどたどたどた
「……先輩! ルシュド先輩!」
「わーわーわー!!」
「キアちゃん、待ってー!!}
二階から大音立てて降りてくるキアラ、それを追うファルネアとメルセデス。
「先輩、先輩! 出歩いていて大丈夫なんですか! 傷の具合はどうなんですか!」
「それ言ったらキアちゃんの方がひどいでしょ!!」
「先輩の声がした! とか言ってすーぐ飛び出すんだもん……! お父さんもお母さんも、まだお部屋にいるのに!」
「くぅ……」
包帯が巻かれた患部を痛そうに擦るキアラ。
「キアラ、部屋にいるべき。おれ、一緒に行く」
「おおー、お熱いねえー!」
「脇を支える……」
「は、はわわあ……!」
一連の流れを恥じらうことなく行ったルシュド。ギネヴィアとルカがそのままついていく。
「……オレとエリスはもっと熱いぞ」
「訊く前に答えてきやがった」
「そういやガウェイン、あの娘のことはどうするんだ? 面倒見ているみたいなこと言ってたけど」
「ああ……」
うーんと腕を組んで伸ばすガウェイン。
「もうここまで来たなら最後まで面倒見てやろうと思ってな。それに竜族連中……今後は俺の言葉に耳を傾けることはないと感じた」
「……」
「何、いつかやってくる幕切れが、今やってきただけのことよ。んでそうだな……取り敢えずウィーエルの田舎に部屋借りて、傭兵暮らしかな」
「じゃあ……アルブリアには来ないんだな」
「おうよ。どうにも島暮らしってのは性に合わなさそうだ。大陸のようなだだっ広い所に住んで、気ままに人助けして還元してもらう方が、ガウェイン様の性分には合ってるぜ……」
騎士王伝説において、騎士王本人と並んで数々の武功を上げてきた、最初の円卓の騎士の言葉である。
「そう思うならオレに止める義理はないな。ルカさんのこと、よろしく頼むぞ」
「ああ、お前もルシュドのこと、よろしくな」
宿の外は曇天、雨は止む様子はない。今はそれが愛おしく思えてくる。
「そういえば様呼びと敬語って使った方がいいか?」
「あ、それ私も訊こうとしていました」
「今まで通りでいいです……」
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