<午前十時 カムラン魔術協会本部>
「さて……」
「残りはとうとう一人になった」
チェス盤に並べた駒を見つめて、モードレッドは指で机を叩く。
一つはクイーンの駒と、もう一つは存在しない造形の駒。後者の造形はマントを羽織った魔術師にも似ていた。
「彼にはどうして接触してやろうかな。なるべく彼以外の者に勘付かれない方法がいいが……」
その時部屋の扉が叩かれる。相手の様子を窺い、ひたすら下手に出る丁寧な叩き方であった。
「我が主君よ。ボールスでございます。貴方様にお会いしたいという方々がいらっしゃってるので、こうしてお呼びに来ました所存であります」
「その者の名前は?」
「ウィルバート・ブラン・フェルグスと。彼の連れてきたケルヴィンの賢者達も共におります」
「ふむ……直ぐに赴くと伝えてくれ」
「御意……」
手短にローブを整え、指定された応接室に向かう。
既に数名の黒魔術師が、恭しい態度で彼等をもてなしていた。
「はい、こちら紅茶になります……」
「……」
「え? そんなに睨み付けて、味が好みではありませんでしたか?」
「……この唐変木め」
苛立たしい表情をしながら、賢者はティーカップの下に置いてあったスプーンの向きを、左右反転させた。
「申し訳ありません。ジェイ殿は細かいことが気になって仕方ない性格なのです」
「……そうですか」
ウィルバートが直々に謝ってきたものの、魔術師の心証は限りなく最悪である。
(おい、あいつ何で窓を閉めるんだよ。暑いだろうが)
(聞いたことがある。障害持ちの中には、めっちゃどうでもいいことが気になって仕方ないって奴がいるらしい)
(なんて生き辛い人生だ。おーおー哀れだねえ)
軽口を叩き合っていた黒魔術師達も、直属の上司が入ってくると途端に静かになる。
「お待たせしましたウィルバート殿、そしてケルヴィン賢者の皆様方」
「参謀殿……いいえ、もてなしてもらえたので気に及びません」
(この人……)
(マーリン様と気配が同じだなあ……)
「普段我々が飲んでいる紅茶は、貴方がの口に会っただろうか」
「はい、普段飲まない味で新鮮でした」
「そうか、評価してくれるのなら何よりだ」
(……生えてきたミュゼアの右脚)
(そして最近姿を見せないあの女……)
ペリノアを遣わせて得た情報と、最近の情勢とを比較して考える。
「ミュゼア殿は如何されているかな? この所姿を見ていないものでね」
「ミュゼア……様ならお元気ですよ。最近はオックスにいることが多くなりましたけど。後はそうだな、イライラすることが増えたように思います」
「……」
後者については、それを知ってどうすればいいのかという返答であったが。
意外とそういう点で人の変化が見られたりもする。ましてや為政者に変化が起これば、政に齎す変化は測り知れない。
「本日はカムラン魔術協会まで足を運んでくれて感謝するよ。挨拶は大事だからね」
「そうですね、力関係を示しておくのは大事です。僕達がわざわざ足を運んでやったんですからね」
「我等とケルヴィン国、二つが備えている叡智は莫大なもの。どちらも同じように権威があると思うがね」
「でも僕達の方が偉大です。貴方がたはその内下僕となってひれ伏します」
「その言葉はケルヴィンは何か水面下で動いている、という解釈でいいのかな」
「構いません。今はまだ準備中で言えないんですけどね。でもそれが為された時、イングレンスの秩序はひっくり返ります。貴方がたなんて塵芥になりますよ」
黒魔術師は冷や汗をだらだら流して、ぎこちなくその場に立っている。賢者達の半分は無表情で反応を見せず、半分は怪訝そうにウィルバートを睨む。
話をしている本人達が最も冷静だった。
(この、まだ幼さを残す青い瞳から――)
(どうしてこんな威圧的な言葉が出てくるのか)
(ケルヴィン国は未だ謎が多い。私が何度斥候を出しても、その謎は一向に解けない)
(私以上に情報操作が巧みな者――)
(……)
「ああフリード殿、どうか眠らないで。皆様見ているんですよ」
「……おや」
「すみません、皆感情を隠さないことが多いんですよね」
賢者達はそれぞれ眠りこけたり、空になった食器をかちゃかちゃ弄って暇を潰している。やや幼稚さの見えるその行為は奇妙な趣――傍から見れば苛立たせる何かがあった。
「飽きてきた、或いはお腹がいっぱいと言った所かな。会話をしているのは私とウィルバート殿だった故、関係ないと感じるのも無理はない」
「申し訳ありません……」
「構わないよ。私の方から話すことは以上だから、君達に何も用がないのなら帰ってもらっても――」
言い掛けた言葉をモードレッドは噤み、一つ提案をする。
「……そうだな。少しでも申し訳ないと思っているのなら、私の頼みを聞いてくれないか?」
「……それは何でしょう」
「ウィルバート殿の生家、フェルグス家。そこの長男を呼んできてほしいのだ」
「長男……兄上ですか? かしこまりました、少し時間を頂けると……」
十分後。
「……来てやったぞ」
「ふふ、こんにちは。急に呼び出して申し訳ないね」
「どこまでそう思っているのやら……」
フェルグス家長男、ヴィクトールは苛立たしさを前面に押し出して、応接室のソファーに座る。申し訳程度に出された紅茶を、音を立てて豪快に飲み干す。
ウィルバート達は既に帰っていったので、ほぼ入れ替わりでやってきたことになる。
「おや、君の影……ナイトメアが潜んでいるね?」
「ほう、やはり気付いたか」
指を鳴らすと自分のナイトメア、シャドウが出てくる。普段通りの眼鏡を外した自分の姿になると、真っ先に舌を出してあっかんべーをした。
「随分と態度が悪いな」
「貴様に対して相応の態度を取っているまでだ」
「~!」
「そうだな、不快に感じるなら入ってていいぞ」
「!」
自分もいるんだからなと猛烈アピールをした後、シャドウはヴィクトールの影に戻っていく。
それを見届けてヴィクトールは再び紅茶を飲み干した。やはり不快感を感じる味がする。
「これはカムラン特製の紅茶か?」
「我々が普段から飲んでいる、特製ブレンドの紅茶だ」
「……最悪な味だ」
「君の弟は褒めていたのだがね」
「奴と俺は正反対なのでな。貴族の純血と平民との混血、奴が嫌う物は俺が好む物だ」
「混じっている血しか違わないのに、そこまで差があるとはな」
「血脈はその違いを生み出すことが可能なのだよ……」
モードレッドが感じた中では、最も頑なで、最も緊張感のある相手だった。
れっきとした生まれと性格がそうさせてくるのだろう。
「それで、貴様は俺に何を求めるんだ。俺は生徒会の仕事や課題が山積している所を、貴様に意味もなく呼ばれた状況だ。簡潔に済ませろ」
「意味はあるさ、私にとってね。君のことを知りたいと思って呼んだんだ」
「知りたいだと? 俺の身分についてもある程度は知っているというのに、これ以上何を求める?」
「君自身に語ってほしいのだよ。君が貴族の純血ではないことをどう思うか、君は騎士王のことをどう思うか」
「……内容は理解した。しかし貴様にとって意味はあると言ったが、俺には一切無益だ。何かこちらに益がある提案をしてくれないか」
「そうだな……」
「……では、これはどうだろう。ミュゼア殿についての情報を共有する」
自分の上に位置する人間の名前を聞いて、ヴィクトールは眉を吊り上げ興味を示す。
「彼女が何を考えているのか、私にもよくわからなくてね。そこでケルヴィンに生まれた君の意見を聞きたい」
「ケルヴィンに生まれたと指定するのなら、賢者殿や弟でもいいだろう」
「彼等では駄目なのだ。私が思うに、連中はミュゼアに完全に隷属している。何を聞いても彼女を肯定し、当たり障りのない返答しか返さないと予想している。だが君は違う」
「……グレイスウィルに来てからというものの、俺はミュゼア様とお会いする機会が減ってしまったからな。もう年単位で声を聞いていない」
「そうだろう、そうだろう。故に彼女とはほぼ関係のない――第三者的な君の意見を聞きたいのだ」
「……」
いいだろう、とヴィクトールは承諾をした。
「俺もあのお方のことはよくわからない。故に……少々恐ろしいと思うことが時々あった」
「それはどういう意味だ……と話を続けたいが、止めておこう。先に私が呼び出した理由を忘れてはいまいな?」
「ああ、なら答えてやろう。俺自身のこととアーサーのこと……」
不味い紅茶を飲み干して、与えた栄養で言葉を紡ぐ。
「昔の俺は混血であったことが嫌だった。最も嫌だったのは、俺を育ててくれた父上に恩が返せないことだった。故に立派に、一人前になってそうしようとした」
「だが、アーサーと出会って、俺は自分の血を受け入れられるようになった。彼奴だけではない、彼奴を通じて俺の実力だけを見てくれる友人に出会った。様々な出会いがあったが、一番大きかったのはやはり彼奴との出会いだな」
「……大切な友達。俺にとってのアーサーは、これに帰結する」
論理的に纏められたその言葉に、モードレッドは満足そうに頷く。
「やはり、君は十分に良い教育を受けてきたようだ。君の声色は淡々としていたのに、騎士王への感謝が名いっぱい伝わってきたよ」
「ふん……満足したか。では話を元に戻せ」
「ああ、そうしようか。とは言っても私が質問し、君からの発言を求める番だがな」
「そういえばそうだったな。ミュゼア殿については、時々人ではないと感じる時があった」
随分と率直だな、とモードレッドは首を傾げる。
「髪と目の色が赤なのだが、それが時折只の赤ではないと感じられる。血に染まったような……そんな感じだ」
「血に染まった。そういえばケルヴィン国があるデュペナ大陸は、昔ヴァンパイア族が繁栄していたな」
「そのようなこともあった。宵闇王ウラドの戯曲も、ケルヴィンが広めているしな」
彼女の右脚の噂は知っているか、とモードレッドは切り出す。
「……右脚?」
「おや、君は知らないのか? まあ上層部にのみ流布しているからな。君が知らないのも無理はない……ミュゼア殿の右脚は義足だったが、最近それが人肉に切り替わったとのことだ」
「……生えてきたと?」
「そうなるな。だが噂が存在しているというのに、ケルヴィンがその件について何も語らないのは、とても奇妙だと誰もが思っている。彼女が最近表舞台に出てくることが少なくなった故、真偽を確かめる機会が減ったこともあるがな」
「所詮噂だと割り切ることも可能ではあるだろうが……」
自分はケルヴィンの出身であるのに、祖国で起こっていることが、遠い異国の出来事に感じて仕方ならない。
「とにかく、私は君の意見に理解を示そう。何やら彼女は人知を外れた臭いがするのだ。だが……それを証明するには、情報が依然として足りなさすぎる」
「ケルヴィンの元老院は神秘の領域。秘密を持ち出すことは断固として許されていないからな」
「そこだ。その点が本当に不可解だ。カムランが総力を挙げて賢者達の内部を調べようとしても、一向に全容が見えてこないのだ。当然黒魔法だって使ったのだぞ?」
「……」
「君も覚えておくといい。ミュゼア、ウィルバート、或いは賢者と呼ばれる誰か……君の父上も例外ではない。近々事を起こすつもりでいるだろう」
最後に忠告までしてくれたこの男。
ここまで冷静で有意義な対話ができたのは、やはり身分と教育の賜物だろうか。
『……君』
『……ヴィクトール君!』
『もしもーし!? ヴィクトール君ー!? 聞こえるー!?』
突然この場に不釣り合いな、女子生徒の声が響く。その声はというと、ヴィクトールのポロシャツのポケットから響いてきた。
『リリアンなんだけどー! 今何処にいるのヴィクトール君ー!』
『今生徒会大変なのー! カムランの魔術師がセクハラしようとして、演習区で小競り合いー!』
『用事あるなら別にいいんだけど、暇ならさっさとこっち来てー!』
一方的な連絡を受けて、伝声器は静かになる。
ヴィクトールはモードレッドは鬼の形相で睨み付けながら立ち上がった。
「彼等はルナリスの管轄だ。私の知ったことではないよ……」
「連帯責任という言葉をその身に刻み込め」
捨て台詞のように言い放ち、ヴィクトールは部屋を出て行く。
「――モードレッドォー!!! 聞いたかね聞いたかね!!! 我等カムラン魔術協会に対するぞんざいな扱いを!!!」
彼が出ていった数秒後に、ルナリスが扉を開いて、興奮した様相で顔を見せてきた。
「ええ、何でも部下が暴れ回っているようで」
「そうなのだそうなのだ!! 何が問題かっていうとだな、我々の自由を許してくれないグレイスウィルが問題なのだと、私は思うのだよ!!!」
「……貴方の怒る所は同感できます」
「そうだろうそうだろう!! それでだな、貴様が前に言っていた計画を遂に実行に移そうと思うのだが、良いな!?」
「ああ、確かにもうじき予定の日になりますね……いいでしょう。連中にバレないように、計画の準備を」
「ふっふーん!! 任しとけーぃ!!!」
「先ずは倉庫に格納しているザイクロトルの様子を確認しに行くぞ!!」
嵐が吹き荒れるのは近いと、彼は密かに確信した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!