「……げほおっ! これで全部か? 数は幾つだ!」
「ひい、ふう、みい、よお……五十三でさあ!」
「ふむ、十も残っとらんと思っていたが、上々だな?」
土煙が舞っている間に、しれっと離脱していたハンニバルとその部下達。
自分達の戦力を確認すると、ハンニバルは目を閉じて集中を始める。
「頭目、何をやってるんですかい……ぜぇ」
「しーっ、静かに。多分探知的なことをやってるんですから……」
数秒してから、ハンニバルは南の方角を向いた。
「こっちの方に娘っ子の気配があるのう。今から向かうぞ……クレヴィルなんぞ後回しじゃ。まさかこのタイミングで目覚めるとは……」
「色んな策に使える道具になりますネェ。ロズウェリを揺さぶるもよし、いや、もしかしたらグロスティもネルチも……」
「エレナージュも|寛雅たる女神の血族《ルミナスクラン》もなぁ。とにもかくにも手に入れてからだ、行くぞ!!」
祝宴の場であるはずが、跡形も残らなくなるまで吹き飛ばされてしまった。
誰かが言った。昔もこんなことがあったと。誰かが即座にその口を塞いだ。
そうしてからはっと気付いた。彼女が暴れ出した今、こんな口封じもする必要がないのだと。
「取り敢えず……皆お疲れ。とりわけあの子達……」
「……本当に取り敢えずだ。まだ事態は好転していない……」
壁の五分の一程度が抉られ、横殴りの雨が雪崩れ込んでくる屋敷。そこでキャサリンが次はどうするかを考えていると、
クライヴとクラヴィルの兄弟がやってきた。深刻な表情からは概ね父親と妹のことだろうと察しが付く。
「……クレヴィルは止めなかったよ。ボクが止めても無駄だと感じた。ボクには止める権利がない」
「だとしても、一言ぐらいは言ってやっても……!!!」
「頑固者だからねえ、アイツは……それとクラリアだけど。死んではいないよ、逃走したんだ」
「逃げた!? 一体何処に……!!」
今追っている途中、と言おうとした矢先に放っていた追っ手が戻ってくる。息を切らして水を要求しているロシェとグレッザだ。
一人と一匹に水を与えてやりながら話す。彼等の表情には悔悟が滲み出ている。
「……すいません、途中で見失いました。足が追い付かなくて……」
「……ちう~」
「ボクがバリクソ鍛えてやったキミでもそれか。やっぱ凄いねえ、四貴族の血筋……」
「一応貴女様もそうでしょうが……」
「猫は狼に食い破られるだけだよ……行っても止められない。でもさ、方角はわかってるでしょ?」
「南です、ログレス平原の方角……どのぐらいの距離に行ったかは、改めて探さないと……」
「オッケー……」
茫然と話を聞いていたクライヴとクラヴィルの方に向き直り、指示を出す。
「クレヴィルはぱったり気絶しちゃったからねえ。キミ達の血液を頂戴。探知の魔法陣を造り上げるよ……」
「……了解です」
「俺も、できることなら……っ」
雨に打たれ、風に流されながらも、入り口だった扉から入ってくる者が一人。
狼の少女――かなり幼い姿の彼女は、母の面影を微かに残していた。
「クラリス!」
「クラリス、ああ、こんなに傷だらけで……!」
二人が迎えに行くと、彼女はぱたりと倒れてしまう。
しかし直ぐに起き上がり、階段に向かって歩き出す。
「クラリス、お前も休んだ方が……」
「……それは、無理だ、」
「休まずにどうやってあの子を止めるつもりなんだ。騎士として務めを果たすのなら、どうか……」
「……違う、違うんだ、」
押し止める二人の手を強引に振り払い、クラリスは進む。
固い覚悟を前に、とうとう何も言えなくなってしまう。
どよめく客人達の声と人波だけが耳に入ってくる――
「う……ああ……」
「……ここだ、そうだ、ここだ……」
『開けるな』と看板が掛けてある部屋。主君は入ってはいけないと教わり、自分もそう教わった。
その扉に触れ、僅かばかりの魔力を込め、強引に扉を開く。
「……クラリス」
「クラリス・パルズ・ロズウェリ……」
狼の獣人の女性の肖像画。手を膝の上で組み、淑やかに座り穏やかに微笑んでいる。灰色の髪に橙色の瞳、その姿は主君によく似ていて、そして自分の姿も似ていることを知っている。
他にも、彼女が愛読していた本。彼女が好んで着ていたドレス。彼女の日記。そもそもこの部屋自体が、生前彼女がくつろいでいた自室。
彼女に纏わる事象と時間が、全て凍結されてここに入れられている。
「うっ……」
「ああ……うわあああああああ……!!!」
耐え切れずに涙が零れる。悔しいから地面を叩く。自分は彼女の代わりになろうとしたのに、結局なれなかった。主君は何処かに行ってしまい、自分は傷だらけでおめおめ逃げ帰ってきた。
「私は、私は……!!! あの子を止められなかった、私にも止められなかった……!!!」
「貴女の代わりになろうと決心したのに、代わりにもなれなかった……!!!」
「クラリス、教えてくれクラリス、あの子を止めるにはどうすればいい……!!!」
「知っているはずだ、あの子の母親である貴女なら……!!!」
「アーサー君、どう? 包帯きつくない?」
「いえ、全然平気です。レイチェルさん……わざわざ治療まで、ありがとうございます」
「ううん、これぐらいどうってことはない。私にできるのはこれぐらいだから……」
「……ドレスも似合ってましたけど、白衣も似合ってますよ」
「もう、口が利くんだから!」
クラリアの友人十名。アーサー達は泊まっていた部屋に集められ、それぞれが治療を受けていた所だ。物理的なものも魔術も、最適な方法が取られてみるみるうちに回復していく。
「アグネビットのお嬢様に治療してもらえるまたとない機会だぁ……」
「加えてついさっき人妻になったからなぁ」
「イザーク、ハンス、あんたらよく冗談言えるなあ……魔力水お代わりください」
「ピンチの時こそね、人は悪態付きたくなるもんなんっすよリーシャさぁん……い゛っだぁ」
「申し訳ありません、手に触れてしまいましたね……」
「いっすいっす、これは自分でも酷いタコだってわかってるんで……」
「……悪いな。きみ達が死力を尽くしているのに、ぼく何にもできなくって」
「俺も……済まなかった。情けない限りだな……」
「いいよ、いいよ。おれだって正直怖かった……だからハンス、ヴィクトール、おれよりもずっと怖い、思った。動けなくなる、頭止まる、それはそう。うう、いてて……」
「……近距離戦の訓練積んできたルシュドでもそれかよ」
「食う食われるに係る本能は……理性も超えるということか」
「……あたし、まだまだだな」
「カタリナでまだまだならわたしなんてどうなの……」
「エリスは、凄く頑張ってたよ。クラリアの攻撃を受け止めたの、咄嗟にできたのは凄かったよ……」
「うん、咄嗟だったけど何とかできた。訓練の成果がでたかな……でも、あんまり、嬉しくはないな……」
「確かに状況が状況だからね……」
全員が沈黙を恐れて口を動かす中、
ギネヴィアはただ一人沈黙を保って、ベッドで寝息を立てて眠るサラを、椅子に座って見つめていた。
「ご心配ですか?」
「友達ですから」
「……薬も塗りましたし、外から回復魔法も行使しました。後は傷が治るのを待つだけです」
「……そう、ですよね……」
ギネヴィアが視線を外すと、その先には扉。この部屋に入ってくる為に通る扉。
その扉は今まさに開かれて、案山子が一つ入ってくる所だった。
「……」
「コーダ……アネッサも……」
「……前もって茶を持ってきたんだよ。飲みな、ハーブティーだ」
亀甲羅の上に乗っかったお盆から、一つずつコップを持っていく。
すっきりとした優しい味わいの香草は、治療の質を高めていくようだ。
そうして口を潤していると、主君もまたやってくる。
「……二人共、ありがとう」
「!」
「よう我が主君。割とがっつり血を抜かれたようだね?」
「まあな……」
「……クライヴ様、クレヴィル様は? 亡くなっていないよね?」
「部屋で眠っている。魔力は使い果たしてはいたが、一命は取り留めた……」
「よかった……クレヴィル様もいなくなってしまったら、きっと、クラリアちゃんは……」
「……」
クライヴとクラヴィルの兄弟が部屋に入ってくると、空気は一変する。
大切な友人――クラリアのことをよく知る、二人の兄だ。
「……あの!」
「教えてください……教えてください! クラリアのこと、何か知っているんですか!」
「わたし達は、その……知る権利とか、あると思うんです。何だかんだで、五年ぐらい友達を、やらせてもらってますから……」
クライヴが口を開くより先に、エリスがそう切り出した。
だから改めて口を開こうとすると、今度はまた扉を開けて別の客人が入ってくる――
「ど、どうか、私からも頼む……教えてやってほしい。エリスは、エリス達は、力になる……」
依然としてボロボロに傷付いたクラリスであった。
「クラリス! オマエ……そうか、ずっとクラリアの中に……」
「貴女は貴女で、抑えようとしてくれてたんだね……」
「だが、結果は、このザマ、だがな……」
部屋に入ってきたクラリスは、サラが眠っているベッドの柱を背にもたれかかる。
見届けたクライヴは遂に話し出す。
「……全ては八年前。あの子が八歳の時に遭った、襲撃事件が発端です」
「その時僕達――父と弟と私と、そしてクラリアと、母上は。ラズ家の招待を受けて彼等が有している別荘に滞在していました……」
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