降神祭の日は、本当に神から祝福を受けたかのように神秘的だ。普段雪が降らない地域でも、見境なく雪が降る。
そのような数少ない雪を聖なる夜に味わっているのは、砂漠の王国エレナージュであった。
「……ふう」
「今日はこのぐらいにしておくか……」
ジャファル・マクシムスはそう呟くと、書きかけの魔術論文を静かに閉まった。雪に喜ぶ人々の姿を見て、仕事をする気がなくなっていったらしい。
「ああ、また暖炉の火が消えている……それっ」
砂漠の夜はとても寒い。日光に温められた後に、その熱を保つ物質がないからだ。そこに雪も加われば、とても出歩けるような温度ではなくなる。
だがそれは、砂漠に住まう者にとっては、普段とは違う非日常を演出する事象の一つにすぎない。
「……」
暖炉の火を点けようとしていた手を彼は止めた。
ここで点けようものなら、また部屋に長居してしまうと考えたのである。
「偶には町に……出てみよう」
彼の研究室は王城の一角にある。そこは魔術研究で名高いエレナージュ、優秀な魔術師が高度な設備の元で大いに研究させてもらっているのだ。
現在はその魔術師達も、思い思いの祝日を楽しんでいるようで、とても静かであった。
「ん……」
ジャファルはそんな廊下を進む中で、見知った顔を見つける。
黄色いスカーフが特徴的な三十代後半ぐらいの男、頭頂部が見事に禿げてしまった壮年の男。黒いローブを着用している彼等は、カムラン魔術協会からの視察団だ。
「ハスター殿、バックス殿、こんばんは」
「おや、誰かと思ったらジャファル殿ではありませんか」
「わ、吾輩の方が偉いぞ。頭を下げろ」
「今こうして下げたではありませんか」
どう見てもバックスの方が年上なのに、ハスターに怯えている。元々の実力がそうさせているのだろう。
「ところで今からお出掛けですか?」
「ええ。偶には外の空気をと思いまして」
「益々寒くなる一方ですのでくれぐれも暖かくして……」
「おい!! 寒いからさっさと部屋に入るぞ!!」
「……」
ハスターは笑顔を保ったまま、バックスに近付き、
笑顔を保ったまま鳩尾を殴った。
「がっ……」
「少し気を許せばこれだ……お前が黒魔術師やっていられるのは、私のお陰だということを忘れるなよ?」
「……」
そのまま気絶したバックスをあっさりと抱え、部屋に戻るハスター。
見送ってからジャファルは再び歩き出した。
基本的に砂漠は暑いので、町の建物は避暑を想定した建築となっている。故に雪が降ると大体てんやわんやになり、それもある程度落ち着くと興味に移り変わっていく。
外を出歩く殆どの人々が、見たこともないような表情を浮かべている。
「葉巻を頼むよ……五十八番」
「あいよ、銀貨一枚銅貨二枚……」
葉巻を売り出していた屋台があったので、一本手頃な物を買うジャファル。頻繁に嗜むわけではないが、偶に吸うとよい気分転換になるものだ。
「お待ちどう、こちらが五十八番……っと」
「……ありがとう」
屋台から離れて火をつけ、吸って煙を吐き出す。雪が葉巻の先端にもちらちらと乗る。
「隣いいですかね」
「ん……」
カモミールティーの入ったコップを手に、若そうな男が近付いてきた。銀髪のロングヘアー、如何にも高級そうなコートを着用し、相応の実力者であることが窺える。彼の足元には、同様にカモミールティーのコップを携えた子供の狼がちょこんと立っていた。
「どうして私なんかの隣に?」
「誰かと話したいと思いましてね。ほら、あれについて」
「ああ……今日という日でも、またやっているのか」
視線の先には見るからに貧しい風貌の人々が、葉巻を吸って気分が高揚している光景。割と広範囲に渡って広がって、臭いも非常にきつい。それは葉巻の臭いのみならず、体臭や服にこびり付いた臭いも混ざっているのだろう。
彼等が吸っている葉巻の先からは、健康に悪いことを主張している色の煙が出ている。それは赤、青、黄色、それ以外の色にもころころ変わり、さながら現場は絵の具をぶちまけただけの絵画のよう。醜悪さが勝って誰も買い付けに来ない。
「寧ろこういう日だからこそじゃないですかね。神が舞い降りることを、この世の終わりだと思う人は本当に多い」
「あれ、たしか『アスラ』って呼ばれてるんだっけ?」
「そうだ……クロンダインに伝わる、三面六臂の魔物の名を持つ、恐ろしい魔術大麻だ」
三面六臂ということは、三つの顔で力も三倍。その理論が先か名前が先かはわからないが、とにもかくにもアスラを服用すれば即座に三倍の筋力、三倍の魔力を手にすることができ、戦闘能力のない一般人をたちどころに前線に放り込める。
しかし代償は大きく、さながら本当に頭が生えてきたように人格も三つに分裂する。使える腕は二本のままなので非常に精神が不安定になり、それが二次障害を引き起こし、まともな生活は二度と送れないと思ってよい。
クロンダインの革命軍は、便宜上性格の分類を『プラス』『ノーマル』『マイナス』としていた。
「アスラは革命軍だけの代物だと思ってたんだけど、何で遠く離れたエレナージュに」
「……上層部がな。研究の一環として仕入れたんだよ」
「ん……?」
「そんなこと言うってことは、おまえはじょーそーぶに近い人なのか?」
「宮廷魔術師をやらせてもらっている……それもかなり極秘の研究をね」
ポケットが膨れている。そこにはお守り代わりとしている、あの物体が入っているのだ。
「……葉巻吸った勢いで情報吐いてくれない?」
「果たして酒の代わりになるかな。とはいえ、少しだけ、少しだけなら――名前を教えてもらっても?」
「シルヴァ・ロイス・スコーティオと相棒のカルファだ。スコーティオが何者かわからないなんてことはないよね?」
「……当然だとも」
グレイスウィル四貴族たる彼に、どのような情報を与えるべきか。
自分の目的達成に資してもらう為に――
「銃については知っているかな?」
「……狙撃用の長いやつ? それとも最近出回ってるらしい、魔力を撃つやつ?」
「流石、そこまでは知っているのだな。私が話したいのは後者だ――」
ポケットの中から、お守りを取り出す。
「……これって」
「プロトタイプとでも言うべきかな。今出回っている魔法銃は、これを元に改良が加えられている」
大分錆も見え隠れしていて、年季が入っているのは否めないものの、魔力を込めれば本来の仕事はしてくれそうだ。
「これを大量生産して、近距離における交戦においても魔術師を戦えるようにする。それで戦力を高めるつもりだ」
「その戦力で……何をするんです?」
「……これ以上は、すみません」
「……」
これで話は終わりにするか?
いや、考えてもみろ。相手はグレイスウィルの大貴族だ。
自国は元より世界の安寧も望んでいる彼等なら、あれを託しても――
「……ちょっと待っててくれ」
「ん?」
手頃な紙をローブの中から取り出し、魔力を送る。
頭に浮かんだことがそのまま転写されていく――
「……地図ですか」
「行ってほしい場所は二つ。どちらが先でも構わない。しかしこちらに示した場所には大切な物が置かれてあるから、それを必ず持ち帰ってほしいんだ」
「大切な物ってぐたいてきに何だよ」
「言えないが、見れば一瞬でわかるさ……これは決して他人に渡しちゃいけないってね」
「もう片方には何も無い?」
「物体は存在していない。けれども物体以外に大事なことが描かれてあるから、メモの準備をしていった方がいい」
「……?」
言葉が意味深になるのは、深く沈めた意味を読み取ってほしいから。
「では私はこれで……アスラの臭いにやられてしまいそうだからね。お二人も、くれぐれも気を付けて」
そうして王城に帰った先に、待っていたのは。
「……クラジュ殿下」
「ジャファル、外に出てたんだね……ごほっ」
咳き込んで倒れた彼を急いで支える。
「うう……僕も、聖なる夜だから遊びに行こうと思ったのに。やっぱり無理だったみたいだ……」
「城下に行っても禄な物はございませんでした。雪を見ながら本を読んだ方が建設的でございます」
「そうか、そうだね……」
起こされたクラジュは、ジャファルに抱えられつつ自室に向かおうとする。
「ねえ、ジャファル……」
「はい……」
「最近さ、石の調子がおかしいんだ」
「……」
「僕が持っている一番目じゃないよ……君がくれた二番目だ。一見するとわからないけど、比べてみるとわかる。二番目の方が鈍く輝いている……魔力だって減っている……」
「……数千年以上も時間が流れていたら、経年劣化は少なからず起こすのではないのでしょうか」
「そうかなあ、そういうものかなあ」
「ああ、三番目……三番目も、早く、この手に……」
「……風の噂に聞いた話ですと、魔物の群れに流れ着いて、それを討伐した傭兵が所持しているとか」
「じゃあさっさとそいつ殺そう」
「……」
「……三つ、三つ揃って初めて完璧なんだ。どことも知れない傭兵が……持ってるべきじゃないんだ……」
「僕こそが……相応しい……」
石の話をしている時、彼は最も感情豊かに笑い、
そして最も感情豊かに悪意を剥き出す。
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