(さて……退院までの数日、世界のことをもう少し調べてみたけど……ほんと便利だな、このスマートフォンだっけ? さながらファンタジー小説で見たとおりのツールだ……)
退院日……上下デニムにオレンジシャツという風変わりな私服に着替え、朝子は病院で支給された衣服を畳むとベッドに座り込んだ。
時間が有るときはスマホで調べ物をしていたのだが……時間を忘れて熱中し、退院ギリギリまで片付けをしていなかったのだ。
ただ……その分、調べ物はしっかりできたといえる。
スマートフォンの画面に表示されたメモを眺めながら、朝子は静かに息を吐く。
魔術の世界に生きてきた彼女にとって、科学というのは空想を描いた世界のもの……紛うことなき未知の存在だ。
興味深く……同時に、ここまでの力を作り出せる人間という存在がある種恐ろしくもある。
彼らは魔の域や神域にあたる力を文明により手に入れた、そう評することができるだろう。
神魔ほどは肉体的な強さを持たない彼らが技術でそれを補っているのは、素晴らしいことと言わざるを得ない。
この文明そのものが彼らの生み出した芸術なのだ、芸術を愛でる神としてとても素晴らしく感じる。
(それはさておき……とりあえず、この世界は過去に戦争があったようだけど、それは人間同士の共食いで前の世界のようなものではない、か……そして今の時代においては戦争が起きていない……)
最後に起きた戦争は、100年前の世界大戦とされている。
しかし朝子はその情報に違和感を覚えた。
人が複数種いれば共食いは起きる。
アスセナエルはじめ多くの神が悪魔に貶められた宗教戦争などその最たるものだ。
意見の違い、見解の相違……それは人が複数いれば当然生じてしまう。
なら100年戦争がない世界……そんなのは明らかにおかしい。
人間は武器を取り上げれば拳で戦う生き物だ、それがずっと手を取り合えるわけはないのだ。
(……情報統制か? 何を隠している……)
前の世界でも、宗教が自分達に不都合な情報を秘匿すべく情報統制を敷いていたことがあった。
恐らくはそういったことがこの世界にもあるのだろう。
これだけの情報社会であれば隠蔽もまた手段が増えているはずだ。
そう推察しながら朝子はインターネットを巡る。
だが、やはり検索しても出てくるのは陰謀論系アングラサイトばかり……。
どうも要領を得ない。
(……推測してみるか、まず戦争が起きない条件……それは世界的に思想統一が行われているか、戦う力をそもそも持たない種なのか、起きてもそれを隠せる力があるのか、それか……そもそも戦争をする余裕がないか、か……)
まず思想統一、世界的に思想が一つになれば当然戦いは起きないだろう。
しかしこれは手段が思いつかないのでまずアウトだろうか。
世界中の人間を洗脳する装置……もしそんなものが有れば、それは神魔すら越えた力だ。
次に、この世界の人間は戦う力を元来持たない種である可能性。
しかしそれでは狩猟し捕食することもできないはずだ、となれば病院で行った明らかに獣肉の食事と矛盾する。
そして狩猟できるだけの力と文化があればそれは当然意見の合わない他者にも向くはず。
信じれば救われるは信じなければ救わないになり、やがて信じない者は人間ではないになって人間相手の狩猟を呼ぶのだ。
故にこの推察もアウト。
そもそもこれだけ文明が発展しているのだ、ならば武器一つ存在しないわけはない。
現代武器、と呼ばれるものについて検索してみたが……銃に警棒と種類は豊富だ。
では次、起きても隠せるだけの力がある。
これはもしかすると有力な線かもしれない。
これだけ社会の情報化が進んでいるのだ、ならばあり得ない話ではないだろう。
ただその場合、戦いにおいて必ず生じる傷というものをどうするかだ。
それが謎になる。
災害として片付けるか、事故として片付けるか、はたまた……。
最後は、戦争をする余裕がないというパターンだ。
戦争というのはそもそも金がかかる。
ではその金がかかる戦争をどこもできない状況といえば何か?
それは……どこも等しく不幸な場合、というやつだ。
どの国も等しく疲弊し、どの国も傷を負い、どの国も困窮している。
そんな状況になれば戦争はまず起きまい……というより、起こせまい。
一応、病院から周囲を見た限りではそんな印象はないが……いずれにせよ、自分はまだこの世界に来て一ヶ月ほど。
知りつくすにはまだ早いのだろう、もっと調べていかなくては。
そう考える朝子……そんな彼女の後ろで、ドアが開いた。
振り返るとそこには麗蘭望海がいる。
「朝子ちゃん、準備ができたから行きましょうか」
「はい、お願いします!」
何を探っていたかは隠し、朝子は明るく一礼した。
しかしその心中はあまり穏やかとは言えない。
世界に若干の疑いを向けている以上、望海も疑わしく思えてくるのだ。
襲撃者は自分をようやく見つけたように言っていたが、それは万一他者に聞かれたときのためアリバイ作りをしていたとも言える。
もしも望海が下手人ならば、その言葉を聞かれさえすれば犯人候補から外れることができるのだ。
(こういうのは正直苦手なんだけど……オレじゃ神算鬼謀の称号なんて夢のまた夢だな)
元は中級悪魔……まあ言うなれば権謀術数腹芸勝負なんていうのには縁がなかった身。
そんな朝子には彼女が信用できるかどうかなど明確には分からないが……。
しかし、何か一物有るとして、利用するだけ利用するのは悪くないだろう。
これでも悪魔の端くれなのだ、その程度の狡猾さは有している。
多少の狡猾さを得られるよう概念を与えてくれた人間には、感謝せざるを得まい。
「これから、タクシーで空港まで行って、そこから飛行機に乗るの……といっても飛行機分からないかしら」
「あ、いえ、スマホで色々調べましたから、記憶は全然戻りませんけどなんとか」
「そっか、なら良かったわ、ふふ……偉いわね」
世間話をしながら、二人はタクシーに乗っていく。
福岡空港までは十分もかからない位置だ。
どうやら望海の家は愛知に有るらしく、そこまで飛行機で飛んでいくらしい。
二時間程度の時間がかかる航路で、その間スマホもできないとなると少し退屈になるかも知れない……とのこと。
それを聞いていると、なんだか先が思いやられる生なのか少し眠くなってきた。
晴れていて暖かいというのも有るかもしれない。
あくびをし、うつらうつらと船を漕ぎ……。
そのまま、朝子はゆっくりと目を閉じた。
「解析結果は?」
「はっ、通常よりも高い数値です、恐らく極限状況からの生存が彼女を……」
(……? なんだ、この声……)
どうやら知らぬ間に眠ってしまっていたらしい。
そんな朝子の耳に声が聞こえてくる。
望海の声と知らない女性の声……。
今迂闊に目を開けたり動いたりするべきではないだろう。
警戒を常に行い、寝たふりを続けなくては。
「……きっと、彼女は……優秀な……」
(……チッ、声が遠いな……これは、機械の駆動音か? 大きい……)
「良いだろう、それでこそ育て甲斐が有る、未来のGDF隊員に相応しい」
(GDF……? なんだ? 望海さんはそれにオレを利用する腹づもりなのか……?)
耳を傾け続けるが、段々と意識が遠くなっていく。
どうやら眠気がまだ残っているらしい……。
この異様な眠気、もしかすると薬でも嗅がされたのだろうか。
そこまで考えたところで、完全に意識は闇の中へ落ちていった……。
「ん……」
「あら、起きたのね、ふふ……ずいぶんぐっすり寝てたわね、もう名古屋空港を出ちゃったわよ」
「ああ……すいません」
次に目覚めたとき、朝子はまた車の中にいた。
時間は夕刻……いや、もう夜に入りかけらしい。
いったい自分はどれだけ眠らされていたのだろう?
不信感は拭いきれないが、それを隠しながら朝子は目をこする。
そしてゆっくりと窓の外を見た。
どうやら信号には春日井と書いてあるようだ。
朝子曰く名古屋空港は正式名称が名古屋空港で通称が小牧空港でありながら、実際は春日井に存在するらしい。
そんな土地に関する蘊蓄を聞きながら、朝子はぼんやりとあくびをする……。
寝ている間に飛行機での旅を終えた……それはいただけない。
自分は不信感を抱いている身なのだ、それをしっかりと肝に銘じておかなくては。
そう考えながら、朝子は今度こそ起きていようと歯を食いしばる。
だがその時だ、突如地面が大きく揺れた。
「うおっ!? なんだ!? 何が起きた!?」
「……!!」
不意打ちに警戒するあまり、ついつい男口調が出てしまう朝子。
一方、望海は「こんな時に……」と呟きながら、舌打ちをする。
そして車を脇に駐めると、ゆっくりとドアを開けて外に出た。
「望海さん?」
「あなたは避難して! この少し先にシェルターがあるわ!」
「えっ、そっちはどうするんですか!?」
「やることがあるの、また後で会いましょう!」
シェルター、ようは避難所……アスセナエルの世界にもそれは存在する。
きっとこれだけ文明が発展した世界だ、さぞかし凄い避難所なのだろうなと朝子は考え……望海の背を見送った。
だが、朝子はシェルターへは向かわない。
腰に手を当てると……そこに隠し持っていた通信用装置にアクセスする。
前の世界において、仮想空間で作り上げていた装置はどやらネビュラ号と同じくこの世界でしっかりと機能するらしい。
これもイマジネーションの精巧さ故か、そう思うと我ながら誇らしいものである。
「ローザ、すぐ収容を」
「はっ、直ちに!」
トラクタービームでネビュラ号に収容されていく朝子。
上へ向かえば下の地震など無関係だ。
今はまず、ここで状況を確認する必要がある。
人間が信用しきれないのであれば自分達の力で対応する、それは当然のことだろう。
「この地震の原因は?」
問いかける朝子。
そんな彼女に、ネビュラ号オペレーター席に座っている白い犬の少女カンナが立ち上がる。
そして正面モニターに自分の端末から解析情報を映した。
……どうやらそこには、巨大な影が映っているらしい。
「地震は簡単に言うと、地表にある幾つもの岩盤が歪み、限界に達することで大きく揺れるのですが……今回は違います、解析したところ地面の中に大きな何かがいて、それが地面を揺らしているようです」
「地震を起こす獣……!? ……そうか! 戦争がない理由が分かってきたぞ、こういう怪物が出てくるせいで、戦争をする余裕がないのか……!?」
推察して目を見開く朝子。
もしこの推察が事実ならゆゆしき事態だ。
この世界は思う存分百合を楽しめる理想郷のはずだったのに。
しかし実際はこんな怪物により疲弊させられているなどと……。
そんなこと、あってはならない。
「しょうがない……! 覚悟を決めるしかないか!」
「ベリアード様、出られるのですか?」
「勿論、このままじゃおちおち百合を愛でてもいられないからね」
拳を鳴らし、朝子は意識を集中する。
すると……全身に魔力が満ちてくるのを感じた。
魔の者にしか視認できないステルス状態のネビュラ号を見られた時点で察していたが、やはり力は今もあるらしい。
魔術に必要なのは、自分が何をするかのイメージをしっかりと固めることだ。
この間のように不意打ちをされたわけでもなく、力が残っている確証も得ている今なら問題なく行使できるだろう。
だが……。
「……! くっ、流石に悪魔の姿には戻れないか……! 高望みはいけないな!」
「ベリアード様……!」
「しょうがない、装束だけ用意してくれ、バレないように変装だけはする……変声魔法もかけるか」
腕を広げ、息を吐く朝子。
そんな彼女にまるで宵闇のように黒いローブが装着されていく。
所々に金の刺繍で百合の装飾が施され、宝石も散りばめられた豪華な品だ。
派手な趣味だが、中流悪魔では果たせない夢を乗せまくった結果こうなったらしい。
それはさておき、最後の仕上げとして顔に山羊の骨を模した仮面が装着され……。
朝子は今ここに、六道朝子でもアスセナエルでもなく、リス・アムールの首領ベリアードとなった。
「よし……行くぞ、ネビュラ号に集いし乙女達よ! いざ立ち上がり、悪を滅ぼす礎とならん!」
「C'est entendu!」
ベリアードの檄に乙女達が声を上げる。
こうして……彼らの初陣が始まろうとしていた。
全ては平和を守るため……その延長線上にて我欲を満たすため。
そして乙女達は、創造主であるベリアードへの孝行をするべく……。
理由はどうあれ、この戦いは人類の益になるのだろう。
もしかすると感謝もされるかもしれないな……などと考えながら、ベリアードは神だった頃を思い出して仮面の下で笑みを浮かべるのだった。
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