二つの未来

杜都醍醐
杜都醍醐

五月下旬 その一

公開日時: 2020年9月2日(水) 12:00
文字数:1,442

「瑠瀬、母さんちょっと用事があるから、テーブル拭いておいて」


 母が頼みごとをした時、瑠瀬は既に台拭きを準備していた。


「言われなくても」


 母が喫茶店から外に出た。父も今日はいない。だから自分しか、店を掃除できる人がいない。閉店後の喫茶店に、一人残されている。

 一見すると子供に仕事を押し付けているように見えなくもないが、瑠瀬は瑠瀬で満足している。将来ここを継いで、キッチンには自分が立つんだ。昔からそう思っている。


「そういうことに関しては、夢を見ないんだよな~」


 やや自虐的な独り言を呟いた。

 その時だ。店のドアのベルが鳴った。もう帰って来たのか、いいや忘れ物をしたのだろうと入り口を向くと、瑠瀬の全行動が止まった。


「だ、誰…?」


 知らない人が、喫茶店に入って来た。若い男だ。


「す、すみません。今日はもう閉店ですし、僕がキッチンで料理作るの、まだ許されていないんで…」


 閉店時間とわからず入って来てしまったのだろう。そう思っての発言だったが、男はそんな感じをさせない。瑠瀬の顔を見るや否や、手に持っているタブレット端末の画面を確認する。


「お…。オマエが毒島瑠瀬だな? オレはオマエに用がある」


 不思議と、不審者のように感じなかった。そのため瑠瀬は席に案内し、お冷を彼に差し出した。男も素直に座ってくれた。瑠瀬も向かい合って座り、話を聞くことにした。



「手を引け?」


 大声を出してしまった。


「そうだ。これはオマエの将来のために言っているんだ」


 男は名前を、くろがね平祁へいけといった。平祁は濃子の親戚らしい。苗字が違うのは、母方の遠い親族だからと言っていた。ならば幼馴染である瑠瀬も、知らなくて当たり前だ。


「瑠瀬の気持ちはわかる。だが、気持ちだけでは病気は治らない。この先でそんなに悲しみたいのか?」


(病気…?)


 瑠瀬はその言葉に違和感を抱いた。


「ちょっと待って下さい。濃子が一体、何の病気なんです?」


 幼稚園から今に至るまで、そんな話を聞いたことがない。


「オレも詳しくは知らない。だが、生まれた時から患っているそうだ。治る見込みがないらしく、今毎日学校に行けてることが不思議なぐらいだと。もちろん卒業したら、遠くの病院で闘病生活が始まる」

「なら…」


 なら自分がそばにいてやらないと。瑠瀬はそう言いたかったが、平祁が遮った。


「オマエを巻き込むことはできない」


 それを言われては、瑠瀬は何も言い返せなかった。


「今のうちだけ、一緒にいることも駄目なんですか?」

「それをしたが最後、離れることができなくなるだろう? 無理な相談だ」


 瑠瀬のわずかな希望も、平祁は奪っていく。


「オレを恨んでくれていい。でもオレたち一族としては、身内の不幸に他人を巻き込みたくはないのだ。わかってくれ。オレはオマエが嫌いだから言っているんじゃない。寧ろ逆だ。高く評価しているからこそ、傷ついて欲しくない」


 辛い現実がぶち当たり、瑠瀬は顔を上げることができなかった。

 濃子は苦しんでいるのに、自分には何もできないのか…。その無力感が悔しい。


「もしも病気が治れば、すぐにでもオマエを呼ぼう。それは約束する」

「ほ、本当、ですか?」

「ああ。だが、期待はしない方がいい。主治医によれば、余命はあと数年…」


 一瞬だけ希望の光が差したかに見えたが、これは多分そうではない。気休め程度だった。


「オマエなら、約束を守ってくれると確信している。オレたち一族はそれぐらい、オマエを買っているのだ」


 平祁はそう言い残して喫茶店から出て行った。


 打ちのめされた気分になった瑠瀬は、一人席で涙を流した。

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