株式会社 動物園

普通について。
あかさた菜
あかさた菜

④忠犬ハチ公

公開日時: 2022年1月26日(水) 17:07
更新日時: 2022年2月17日(木) 14:29
文字数:2,451

東京・渋谷駅まで飼い主の帰りを出迎えに行き、飼い主の死去後も約10年にわたり通い続けたという犬。犬種は秋田犬で、名前はハチ。ハチ公の愛称で呼ばれている。(Wikipediaより)



 探偵の真似事をした3年前。当時付き合っていたユウくんの浮気を暴くためだったのだが、まさかそれが職業になるとは。


「ねえ、言いづらいんだけど……。あんたの彼氏浮気してない?」


 言いづらいのならば言わないでほしい。


 当時、ユウくんにお熱だったいぬは宣告してくれた友人Aに恩を仇で返すようなことを思ってしまったが、今は感謝している。


 おそらくこれから話す出来事がなければ、いぬは探偵業に見向きもせず保育士として働き、子どもたちと穏やかな日々を過ごしていただろう。



 ユウくんはいぬが通っていた大学のひとつ先輩で、垂れた目尻と痩せた体つきをした優男だった。わざと洗いざらしのようにセットしている髪型とか、奇抜でもなく地味でもない服のチョイスとか。顔立ち自体は普通だが、自分の魅せ方を理解していて、その上飴と鞭ならぬ男らしさと甘やかさの使いこなしがプロ級。いぬはユウくんが人工的に放つ魅力の数々にハートを撃ち抜かれ一発KO、更にはじめての彼氏という相乗効果が合わさりぞっこん状態に陥っていた。


「この間、新宿のアルタでユウくんが女の子と歩いてたんだよね。……手、繋いで」

「それ、いつ?」

「えーと、3日前くらい。ほら、午後の講義が自習になった日があったでしょ? その日」


 友人Aは、自習をサボりぶらぶらしていた新宿でユウくんと女の子が仲睦まじくデートをしている姿を目撃してしまったらしい。


 得てして恋する乙女は皆そうだと思うが、いぬも例外ではない。ユウくんはビジュアル系バンド、ディスプレイズ–––通称ディスのボーカリストをしていて、練習やライブで頻繁に新宿へ訪れるし–––、


「ん? 3日前? 家で寝てたけど」


 ああ、そういえば前に、妹がいるって言ってたし–––、


「妹? 9歳」


 いぬの捜査が幕を開けた。



 直接ユウくんを問い詰めれば、という意見はご尤もだが、ご遠慮いただきたい。


「浮気してるの……?」

「そんなわけないでしょ。なに、最近あんまり会えてなかったから不安になっちゃった?」


 実践済みだ。


 会話からおわかりだろうが、いぬはユウくんのキスに脳みそを溶かされ容易に誤魔化された挙句、バンド活動が忙しくバイトに出れず金がないと嘆くユウくんに尻尾を振りながら金を貸した。


 馬鹿である。


 しかし馬鹿は馬鹿でも馬でも鹿でもなくいぬだったことが不幸中の幸い。



 いぬはまず、ユウくんのTwitterとInstagramのフォロワーを洗うところから始めた。名前やアイコンで女の子とわかるユーザーをピックアップし、その中からTwitterとInstagram、両方を相互フォローしているアカウントに目星を付け、ひとつひとつツイートや投稿を見ていく。「お出かけナウ」の投稿に添えられている写真の場所を特定すべく、偉大なGoogle先生に頼り写真を解析し、投稿日時とユウくんの行動を照らし合わせ、時系列をまとめた表を作り考察。繰り返すこと僅か12時間で、300人強のフォロワーから容疑者を3人に絞った。


 ユウくんはあまり学校へ来ないが故に常に単位がぎりぎりな学生で–––そういう不良なところも魅力だったんだけど–––しかもまともにバイトもしていない。毎日ではないが夕方からはほぼいぬと逢瀬をしていることを鑑みると、浮気はいぬが学業に励んでいる真昼間に行われている可能性が高い。けしからん! 容疑者を3人に絞った翌日、いぬはユウくんの動向を張るべく彼がひとりで暮らすアパートへ向かった。


「ねえユウ、たまには外でデートしようよお」

「どこ行きたいの?」

「ディズニーとかぁ、富士急とかぁ」

「仕方ねえな。次のライブ終わったらね」

「ふざけんじゃねえええええ!!」


 張り込むまでもなく、いぬが何度もいそいそと訪れたアパートからユウくんと女がご丁寧に手を絡ませあった姿で現れ、容疑者が加害者に確定。いぬは本能の赴くままユウくんへ噛みついた。



「あんた、探偵になれば?」


 再び登場、友人A。


「あたしの叔父さんが探偵事務所やってるんだよね。ちょうど人欲しがってたから、面接受けてみる?」

「バイトする元気なんてないよ……」


 当然だ。ユウくんには女が5人いたのだから。

 ちなみにいぬが怪しんだ3人はビンゴだった。他2人も調査を重ね芋蔓式に特定したいぬの腕前は見事と言える。


「時給1800円だけど」

「やる!」


 親からの仕送りをユウくんに注ぎ込んだ代償は大きい。次の仕送りまで丸2週間。財布の中身は空っぽ、いぬは3日間もやししか食べていなかった。



 友人Aの計らいであっさり採用され、いぬは探偵人生の第一歩を踏み出す。


 入社時は未成年を理由に事務作業をしていたが、成人すると同時に調査を任されるようになり、友人Aの叔父であるマツナガさんにとことん仕込まれ仕事を覚えていった。聞き込みの方法から盗聴器の仕込み方までを習得し、大学卒業後もマツナガさんの元で働こうと決意した矢先、晴天の霹靂がいぬを襲う。


「今月いっぱいで、事務所を閉めなければならないんだ」


 大手も個人もひっくるめて、コンビニと同じ数ほど存在する探偵事務所。経営難は疎いいぬも感じ取っていたが、まさか事務所を畳むほどとは。

 就職活動をしていなかったいぬは途方に暮れた。「探偵なんて危ない仕事はやめなさい!」「大学まで行かせてやったのに!」父と母の反対を押し切った強気が瞬く間に萎む。耳を垂らし茫然と立ち尽くすいぬに、マツナガさんが紹介をしてくれた。


 そここそが、現在いぬが身を置く「株式会社 動物園」。


 義理と人情に厚いマツナガさんとは正反対、いつも眠そうだしだるそうだし、化粧が濃いしたまに痛いところを突いてくる社長・うさぎ。


「情報は幻。余計なことをいかに耳に入れないか」


 うさぎがいぬに伝えたかったことは、マツナガさんが唯一、いぬに教えられなかったことだ。



 いぬはやっと、己の間違いに気づいた。

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