株式会社 動物園

普通について。
あかさた菜
あかさた菜

第1章 ぞうの1日

①「おはようございます」

公開日時: 2022年1月23日(日) 12:00
更新日時: 2022年2月17日(木) 14:24
文字数:1,772

 ぞうの出勤時間は9時から18時。「なんでも屋」と聞くと、「ブラックっぽい!」とか、「危険そう」とか、残念なイメージがほぼほぼだろう。だが、株式会社動物園は「大変なことが大きらい」と豪語する社長により、休憩の1時間を確実にもらえるし、基本ノー残業だ。残業をした場合は1.25倍の割増賃金が支払われる。依頼を遂行する従業員は客が支払う報酬の3割が基本給に歩合としてプラスされ、歩合の恩恵を受ける機会が少ないぞうは、一般企業だったらまあありえないマイペースさでの仕事が許されている。しかも中年に差しかかる女ひとりが生活するに充分な月給がもらえており、極め付けは人間関係が良好。文句はない。



 ただ、ひとつ。



「社長、起きてください。朝です」


 事務所の奥、パーテーションで仕切られた簡易的な仮眠室。ラブホテルを連想させる、レースが揺れる天蓋と桃色に統一されたベッドのシーツや枕のカバー。これまた桃色の毛布に鼻先までくるまり寝ているうさぎを起こすとき、ぞうはいつも見てはいけないものを見た気分になる。



 起業するまではキャバクラで働いていたうさぎは根っからの夜型で朝が大敵だ。ひと声で起きた試しはない。ぞうはアイボリーのフリルが層になっているカーテンを開けた。窓の向こう、水天宮を囲む木々が鮮やな緑色に茂っていて、夏の気配を感じる。「暑いの大きらい」と宣言をする社長が、更に働かなくなったらどうしよう。そう、ぞうの唯一の不満は社長・うさぎである。


「おっはようございまーす!」


 とらが小学生もびっくりするような挨拶をしながら、ドアを突き破る勢いで入ってくる。築18年、古すぎるわけではないが少々がたがきているこのビル。鉄筋の作りだからこそ音が響きやすい。真下の美容室に数回「静かにしてもらえないか」と管理人を通して注意をされている手間、とらには行動を改めてほしい。


「おはよう、とらくん。毎朝聞きあきてると思うんだけど、静かに入ってこられない?」

「うっす。すいません、以後気をつけます」


 途端に小声になる。そうじゃない。


「とら、うるさい」


 とらの迷惑行為の内、迷惑じゃない部分が僅かに–––ほんの僅かに、ある。


「社長、おはようございます」



 うさぎが目覚めることだ。



 化粧をしていない素顔のうさぎはますます年齢不詳で、笑っているのか悲しんでいるのか、どちらにも捉えられるアンバランスさが魅力とされるモナリザを思い出す。二重幅の広い瞳と付け根から真っ直ぐに伸びている鼻。作り物めいた2つのパーツと子どものような背丈がまさしくアンバランスだから、うさぎは年齢不詳なのかもしれない。


「ねえ、とら。あなた、静かにできないの? 毎朝毎朝うるさい」

「はい。すいません、以後気をつけます」


 小声なうえにかぜか背まで丸めたとらが更に腰を曲げ謝罪をする。見下げたとらの頭は綺麗な円形で、潔い短髪の尖り加減がはりねずみのようだ。とらからはりねずみに改名をすれば少しは大人しくなるかしら。


「あ、カーテン開けたのぞう? やだー、だめ。まだ日焼け止め塗ってない」


 コピー用紙に引けを取らない肌色をした腕をさすりながらうさぎが嘆く。


「紫外線は浴びたほうがいいですよ。心身の健康維持に重要です」

「わたし、そんなことをしなくてもとても健康だよー。じゃなきゃ昨日、テキーラあんなに飲めない」

「最近お酒飲みすぎでは?」


 うさぎは「ぞうもうるさいな」と呟いて、洗面所に消えた。髪を整え化粧をすると30分はかかる。ぞうはスマートフォンでいぬにリマインドのメールを打ち、コーヒーを淹れにキッチンに立つ。ついでにうさぎに簡単な朝食をと単身者用の冷蔵庫を開いた。中身は見事に空っぽ。あまり自宅に帰っている気配のないうさぎは、いったいどうやって生活をしているのか。首をかしげる。


「とらくん、申し訳ないんだけど社長に朝ごはんを買ってきてくれない? スープとかサンドウィッチとか軽いもので。とらくんも朝ごはん食べてないなら一緒に買ってきていいわよ」

「わかりました。姉さんは? 朝ごはん済ませてきましたか?」

「私はいらない。行ってらっしゃい」


 始業時刻は30分を過ぎている。けれど、別に急ぐ仕事はない。なによりも社長が咎めない。



 確かにうさぎは困った社長だが、「それくらい」と我慢してもおつりがくる。それほど株式会社動物園はぞうにとって素敵な労働環境だ。

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