16:00
歳は取りたくないものだ。
瀕死の状態で事務所に辿り着く。双子を反面教師とし、玄関の扉を静かに開けたのにも関わらず蝶番が軋んだ。その音に虫の知らせのようなものを感じる。そして案の定、目に入った光景に息を呑むことになった。
来客用の机の上、3つのマグカップが横に倒れ中身の紅茶が溢れている。他にも室内中に散らかるパンの屑や棚から取り出されあちこちに放られた本の数々。それを片付けずソファで物思いに耽る社長・うさぎの気だるそうな表情と床に座り込み額に汗を浮かべ天を仰ぐとら。私がぞうといぬの対処に追われている間に、なにがあったのか。
唯一ぴんぴんしているねこに尋ねる。
「依頼者がお子さんを連れて来られたんです。双子の男の子と女の子で、なかなかパワフルだったからあたしたち、ゆっくり話ができなくて。手が空いてるとら兄に双子の相手を頼んだ結果–––」
「もうやだ……疲れた……。俺、減給されるのにパン6千円分も買わされるし、子どもにぎたぎたに遊ばれるし……俺ってなんなんだろう……」
ただの屍のようだ。
「たまったもんじゃないよー。奇声を上げながら走り回ったかと思えば泣き叫んでお菓子をねだりはじめて、お菓子を与えたらお礼も言わずそれを鷲掴みにして食べながらまた叫んで走り回る。あれは怪獣だね。決めた、今後株式会社動物園は中学生以下のガキを出禁とする」
普段飄々としている社長の疲れきった姿は珍しいので、ここぞとばかりにカメラを回す。
「にしても怪しさ満点ですよね。社長、本当に心当たりないんですか?」
「あるわけないでしょー。こんなネーミングセンスのない会社はうちだけのはずだもん」
神妙に遠くを見つめるうさぎ。うさぎにレンズを向けていると、ねこが前を遮りキメ顔でピースをしてきた。防衛本能が発動し咄嗟にSONYの最新型ビデオカメラを背けるが、両手で機械を支える私の腕を凄まじい力でねこが握りしめ、こちらにレンズの焦点が合うよう引き戻される。
「実は今回の依頼で協働することになる会社がうちと社名とか業務内容とか社員を渾名で呼ぶ社風とか、諸々が似すぎていて。このチラシを見てください」
「ねえ、このD社ってうちのことだよねー? 絶対そうだよねー? ムカつくー! ふざけんな!」
チラシには「他社に負けない確かな実績と明瞭な料金設定! 例えばD社の場合–––。弊社であればこの金額!」と赤色や黄色といった原色を使い、尚且つ大きく太い文字で印字されている。
「さすがに悪意を感じるな」
おっとまた声が–––まあいいか。もう誰も気にしていないだろう。それにそう言わざるを得ない、あからさまに株式会社動物園を意識した文言や社名やである。
うさぎが大きくため息を吐いた。
「話を戻すけどー、今回の依頼はねこひとりで行かせらんない。危険すぎる。本当は受けたくすらない」
「でも受けないとあの会社の正体暴けないですよ」
「とら、減給やめてあげるからあなたも依頼入って」
「え、社長まじっすか?」
「まじまじ。それだけじゃなくふたりの歩合増し増しにする」
「やったあああ! オッス! オラとら! 頑張っぞ!」
屍が蘇った。
「言うまでもないけど、今回の件は極秘扱いでよろしくー。社内でもね」
「どうしてですか? みんなで手分けして調査したほうが段取りがいいと思います」
「段取り以上に重視すべき点があるからだよー」
「そうですか……」
ねこは納得いかないようだ。
「じゃ、わたしこれから食事だから。ふたりで仲良くお掃除頼んだよー」
17:00
うさぎに勘付かれないようにSONYの最新型ビデオカメラの電源を切る。
あたかも「撮影を続けている」ふりをするため、レンズをうさぎに向けて机の上に置いた。
「で、わたしの素顔は暴けたー?」
苦笑する他ない。
「刺客が多すぎて、お前の撮影どころじゃなかったよ」
おかげで明日は動けそうにない。慰謝料を請求すべきか迷う。
「うちの社員たちはみーんな優秀だから。手強かったでしょー」
「そうだな。腰痛を患う初老を悪びれることなく机の下に押し込む社長、屍のくせに一丁前に騒音をたてまくる戦闘員1号、一目で無害だとわかる私に一瞬の躊躇いもなく腕挫十字固をかました戦闘員2号、仕事中に高級なシャンパンを飲み泥酔し終いには私に吐瀉物の処理をさせた現代の明智光秀と名探偵。いやはや、本当によく教育されてるよ」
「そりゃどうもー」
得意げに笑う様はいっそ清々しい。
「ぞうたちはなにを食べたのかな。ステーキ? 鮭のムニエル? ぜんぶ美味しそー」
「知らん。私が来た頃には皿のほとんどが片付けられ、あるのはシャンパンのボトルとふたつのグラスだけだった」
「介抱してくれてありがとね。助かったよ」
本当にそう思っているのだろううさぎに感極まり、つい最後の最後までとっておくはずだった質問を投げかけてしまう。
「今お前は、幸せか」
–––「そんなふうにずっと生きてきた」
私がうさぎに無理矢理株式会社動物園を設立させた際の、今より幾分か若いうさぎの横顔。
本人が天職だと豪語するキャバクラから頬を引っ叩き足を洗わせた私は、所謂エゴイストだ。
うさぎはメニューから目を離さず、私と視線を合わせない。
「もちろん」
蚊の鳴くような声だった。
続けて、これまた小声で「感謝してるよ」とうさぎが言う。
「言葉にできないくらい、感謝してる。–––ミチオさんがいたから株式会社動物園を作ることができた。わたしは今、とても幸せ」
ビデオカメラの電源、切らなければよかった。
どうしても確かめたかった。私がうさぎに押し付けた未来はうさぎにとって、どのようなものなのかを。
「うさぎ、立派な社長になったな」
「はいはいありがとー。すいませーん、この一番高い赤ワインとそれから牛肉のカルパッチョとカプレーゼと魚介のフリットとアクアパッツァとマルゲリータとラザーニアと–––」
「待って」
「なにー?」
「いや、今結構感動的な場面だったよな。普通お前、『パパのおかげよ』って泣くところだろう? なぜそんなにあっさりしてるんだ。ていうか頼みすぎだろう。食べれるのか? 腹8分目にしなさい」
「あ、わかったー。お金ないんでしょー? 大丈夫、すぐ近くにATMがあるから。キャッシュカード持ってる? 暗所番号教えてくれれば、うさぎちゃん下ろしてくるよー」
「誰がお前に暗証番号なんぞ教えるか! 金がいくらあっても足りん!」
「頑張って稼げばいーじゃーん。わたしのために」
前言撤回。
株式会社動物園社長・うさぎの素顔は強欲の塊だ!
完。
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