株式会社 動物園

普通について。
あかさた菜
あかさた菜

②ここ掘れワンワン

公開日時: 2022年1月23日(日) 12:00
更新日時: 2022年2月17日(木) 14:28
文字数:2,077

日本の昔ばなし、「花咲かじいさん(花咲爺)」において、飼い犬ポチが爺さんに宝の場所を教えるためのセリフ。童謡・唱歌「花咲かじいさん」では、


「裏の畑でポチが鳴く

正直じいさん掘ったれば

大判小判がザックザク」


と歌われている。(世界の民謡•童謡より)



 後数分で取り決めた調査の終了時刻になる。


 結局今日は12時頃、イノウエから 「妻とランチに出かけます」とメールがあったきりだった。なにもないに越したことはない。ただ最終日を待機のみで終えてしまったことに罪悪感が拭えずにいた。この場合、くまとねこなら「なにもなくて良かった」と平和を喜び、とらなら「ラッキー」とゲーム機片手にガッツポーズを決めるのだが、はてさて。


 いぬは調査を終了する旨を伝えようとスマホを手に取った。ロック画面をフェイスIDで解除した瞬間、まるで図ったかのように着信音が鳴り響く。


 イノウエだ。


 依頼遂行中はクライアントからの連絡にすぐ気づけるよう、音量をマックス、着信音を「ちびまる子ちゃん」の主題歌に設定している。


「なんでちびまる子ちゃんなんだよ……」


 陽気なメロディーを耳を手のひらで塞ぐとらと、「あら懐かしい」と遠い目をするぞう。けたたましく「ピーヒャラピーヒャラ」と鳴くスマホを黙らせるべく、電話に出た。


「実は、妻が急にこれからひとりで出かけると言い出しまして」


 てっきり依頼の取りまとめについての話かと思ったが、まさかここにきて動きがあるとは。


 イノウエの声がくぐもって聞きづらい。おそらくスマホに口を押し付けているのだろう。早口に話す。


「いえね、本当につい先程、急にでかけると言い出しまして……。どこに行くのかと聞いてもすぐに戻るからとか、夕食は置いて行くからとか、教えてくれないのです。妻がこの様な行動をとることははじめてだ。いぬさん、勿論追加で報酬をお支払いします。妻のあとをつけてくれませんか」

「私がそちらに着くまで30分はかかります。それまで奥様を足止めできそうですか?」

「はい。妻は今夕食を作っています。作り始めたばかりなので、30分程度なら問題ないでしょう」

「わかりました。奥様に動きがあったらすぐに連絡をください」


 イノウエとの通話を終え、タクシーを手配しようとするいぬをぞうが制した。


「タクシーなら呼んでおいたわ。それから–––」


 青色の文字で「タカセ」と印字されたビニール袋。池袋駅の東口から看板が見えるパン屋の袋だ。


「あんぱんは好きかしら? お昼に買いすぎちゃったの。余り物だけど食べて」

「ありがとうございます!」


 いつもぞうの地雷を踏みまくってしまうのに、こうして優しくしてくれるだなんてとても嬉しい。いぬは感動を全身で表したい気持ちを抑えた。いかんせん急がなければ。ビルのエレベーターは照明が切れかけていて不気味に点滅するから苦手だ。いぬは袋を胸に抱え階段を駆け降りる。あんぱんが潰れた気配がした。タイミング良くやって来たタクシーに飛び乗った。



 イノウエの妻は夕食の支度を終え身支度をしているらしい。


 日曜日の夕刻、道が空いていたおかげで5分早く到着できた。イノウエ家の斜め向かい、木々とフェンスに取り囲まれた小さな公園がある。タクシーを降り、木と木の間にベンチがあったので腰かけた。ここならフェンスの隙間からイノウエ家が確認できるし、木でほど良くいぬの姿が隠れる。


 いぬに尾行の掟を叩き込んだのは、大学生時代にバイトをしていた探偵事務所の所長だった。


 ターゲットとの距離は遠ければ遠いほどリスクが少ない。しかしノーリスクはノーリターン。遠ければ遠いほど得られる情報は減ってしまう。ぎりぎり見えて、聞こえる距離を保つこと。見たいから、聞きたいからと無理ににじり寄ってはいけない。1度受けた恩は絶対に忘れないいぬは今でも忠実に教えを守っている。


「妻が家を出ました」


 イノウエからの短いメールを確認し、あえてそのままスマホをいじる若者を装う。玄関を出たイノウエの妻は最寄りの駅方向へ足を向けた。車庫に停まっている車を使われたらどうしようかと心配していたが杞憂らしい。途中でタクシーを拾われる可能性が残っているが、そうなればいぬもタクシーを捕まえ追うだけだ。となればあまり距離を離さないほうがいい。いぬは一軒家が立ち並ぶ住宅地を抜けるまではあえて距離を長く置いて尾行し、人波が増えてから少しずつ間隔を詰めた。イノウエの妻はタクシーを探す様子がないまま歩き続け、広尾駅で歩みを止めた。


「いつまで着いてくるつもりですか」


 誰が誰に問われたのか、判断ができなかった。


 たくさんの人々が往来する駅前。いぬと同じ年代、同じ背格好の女の子が改札の横で誰かを待っているのだろう、スマホをいじりながら立っている。他にもいぬとそう変わらないメイクや服装をした女の子たちがいぬとイノウエの妻の間を横切る。

 

 イノウエの妻は真っ直ぐ、紛うことなく、いぬを見ている。


 様々な通行人がふたりの間をすり抜け、視界が遮られても変わらずに、いぬを見ている。


 背筋が凍った。


「あなた、この1週間、ずっと私を着けていましたよね。–––お名前は?」

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